『福井県史』通史編1 原始・古代 目次                              『福井県史』通史編 全6巻



  通史編序説

     自然と風土
      一 越山若水  嶺北の地形 嶺南の地形
     二 環境と風土性   自然環境 東と西 嶺北と嶺南
     原始より古代へ
      一 旧石器文化・縄文時代   旧石器の遺跡 縄文時代の遺跡
       二 弥生時代より古墳時代へ   弥生時代の遺跡 古墳文化


     政治・社会
     一 政治の推移   北陸の大国 平氏と源氏 南北朝期の越前・若狭
        朝倉氏と武田氏   織豊統一下の両国 藩体制 幕末維新時の動き
     二 社会の構造・制度   東大寺と荘園 諸荘園の成立 浦とムラ 検地

     産業・交通と都市
     一 産業・特産物   製塩業 漁業 伝統産業 織物業
      二 交通   陸路 海路
     三 港市の発達   敦賀 三国 小浜 

     宗教と文化
      一 天台宗・真言宗の寺院   白山信仰と白山天台系寺院 真言密教系の寺院
     二 曹洞宗と真宗教団の発展   永平寺開山道元 蓮如と真宗の弘布
     三 建築・名勝と諸美術品   建築・名勝 仏像・絵画・工芸 越前焼
     四 文化の諸相   朝倉・武田氏の文化 幸若舞 藩校


  原始・古代 序章

  第一章 原始時代の社会と文化
     第一節 ふるさとのあけぼの
      一 はじめての福井人   旧石器文化 福井県での最初の発見 西下向遺跡
      二 縄文人の足跡    縄文文化のはじまり 縄文文化の時期区分 草創期の遺跡
        早期の遺跡   前期の遺跡 中期の遺跡 後期の遺跡 晩期の遺跡
      三 ふるさとの遺跡をめぐって    和泉村の縄文遺跡 雪の考古学 低湿地遺跡 低湿地遺跡の博物館
      四 古福井人の生活    種まく人 サルノコシカケ トリハマパール 糞石 食卓拝見
        編布の発見 木の文化 漆について 土器 交流・交易

     第二節 米作りのはじまり
      一 米作りのはじまりとひろがり    弥生時代とは 弥生時代の区分と特色 イネの故郷と伝来 福井県の稲作文化
      二 生産と交流    石器から金属器へ 青銅器の生産 玉生産  そのほかの石製品
        土器をめぐる交流 金属器・玉にみられる交流
      三 祭とくらし    ムラの祭と銅鐸 銅鐸の発見地 銅鐸の用途 「聞く銅鐸」から「見る銅鐸」へ 一日の生活、一年のくらし
      四 村と墳墓    共同の墓地 墳丘墓の出現 首長墓へ 首長墓―原目山墳墓群―


   第二章 若越地域の形成
     第一節 古墳は語る
      一 前方後円(方)墳の出現と社会    古墳出現の前夜―弥生墳丘墓の発展― 前方後円(方)墳の出現と波及
      二 越前・若狭の前方後円(方)墳    前方後円(方)墳の分布 広域首長墳と地域首長墳 越前の広域首長墳
        若狭の広域首長墳 越前・若狭の地域首長墳
      三 王者の棺―石棺―にみる地域色    越前の北部に偏在する石棺 卓越する刳抜式舟形石棺 
        越前の刳抜式石棺の編年と他地域の影響 珍しい石棺 石棺にみる階層差
      四 古墳からみた継体王権     横山古墳群と継体王権 横山古墳群と三尾氏 継体天皇の母の里
        横山古墳群にみる各地との交流 継体天皇陵と手白香皇后陵 継体天皇の擁立基盤

     第二節 継体王権の出現
      一 継体天皇の出自    越前か近江か 継体天皇の父系 息長氏の性格 気比大神 継体天皇の母系
        三尾氏と三国氏 三国の意義 二つの三尾氏 皇親か否か
      二 継体天皇進出の背景     越前における農業の発展 越前・若狭の塩業 鉄と馬の問題 海外との交流・交易
        地方豪族連合 茨田・和・阿倍氏
      三 継体天皇の治世     倭彦王説話の意味 継体天皇は平穏に迎えられたか 妥協による継体朝
        
相次ぐ「遷都」 継体朝の紀年と治世 百済との交渉 筑紫の動乱
      四 継体天皇崩後の情勢     継体天皇の崩年 辛亥の変 継体・欽明朝内乱説 継体天皇崩後のコシ

     第三節 人びとの生産と生活
      一 人びとの生産    碧玉石製品の生産 塩の生産 須恵器の生産
      二 人びとのくらし    鉄器化する農具 きらびやかな装飾品の登場 乗馬のはじまりと普及
        祭祀の発展 鏡・埴輪にみる家屋 発掘された家屋跡 発掘された主な集落跡
      三 群集墳(墓)の展開と消滅     前方後円墳の消滅と群集墳(墓)の展開 横穴式石室と横穴墓の普及
        群集墳(墓)の被葬者 群集墳(墓)の消滅

     第四節 ヤマト勢力の浸透
      一 高句麗使の来着     高句麗使の漂着 道君と江沼臣 高句麗使来着の意義 膳臣傾子の活躍
        高句麗使の都入り 高句麗使の相次ぐ来航 
      二 四つの国造     「国造本紀」の四国造 若狭国造 角鹿国造 三国国造 高志国造
      三 ミヤケと部民     ミヤケの成立 部民とは何か 若狭の部民 越前の部民
      四 迫る力役と貢納     労働力の徴発 「大化改新」とコシ 「蝦夷」対策の基地 阿倍比羅夫の遠征 越の「蝦夷」
      五 律令体制の整備     天智朝とコシ 壬申の乱の波及 「越前」の成立 「蝦夷」地への強制移住

  第三章 コシ・ワカサと日本海文化
     第一節 古代貴族のコシ・ワカサ観
      一 ヤマト貴族のコシ観     史実と説話 神話や説話にみるコシ
      二 オオヒ(ビ)コ神の来征―四道将軍説話とコシ―      オオヒコ神 オオヒコ神と建ヌナカワ別
      三 ヤマト貴族のワカサ観     神話にみえないワカサ ワカサのミミ

     第二節 若越における古代文化の形成
      一 日本海文化     日本海文化論の発展 日本海文化の特色
      二 若越と日本海文化     渡来文化と地域間交流 潟湖と地域勢力の成長 文献史料の語るもの
      三 遺跡の語る日本海文化     遺跡の語る特色 鳥浜貝塚 三国町下屋敷遺跡 墳丘墓・古墳をめぐって 四隅突出型墳丘墓
        舟形石棺 横穴式石室 特殊な遺物

     第三節 若越の神々とケヒ神
      一 在地の神々     式内社の祭神から 式内社の社名から
      二 渡来の神々     漢神の信仰 渡来の神々
      三 気比神     ケヒ神へのヤマト朝廷の関与 ケヒ神との易名説話 神格の上昇と地域諸神の変化

  第四章 律令制下の若越
     第一節 地方のしくみと役人
      一 律令制地方支配の成立     律令制地方支配と国郡制 評制の施行と支配方式の転換 評制支配と民衆
        木簡からみた律令地方行政制度の確立過程 国府・郡家の成立とその所在地 古代の国郡の推移
      二 若越の郷(里)      青郷の広がり 遠敷郡の郷(里) 三方郡の郷(里) 郷(里)の分布 敦賀郡の郷(里)
        丹生郡の郷(里) 足羽郡の郷(里) 大野郡の郷(里) 坂井郡の郷(里) 越前国の郷(里)の特徴
      三 地方政治のしくみ      国司の職務と初期の国司 若越国司の補任状況 郡司の補任状況 郡司のはたらき
        郡雑任のはたらき 国医師と国博士 軍団職員と兵士 律令国家と兵器 地方の政治と技術の伝播
        巡察使と地方行政監察 越前国の政治的環境
      四 若越出身の官人たち      三国真人 トネリとウネメ 技術官人益田連縄手 大学博士大春日朝臣雄継
        献物叙位の人びと 優婆塞として貢進された人びと 地方人の中央出仕からみた律令国家

     第二節 人びとのくらしと税
      一 国郡衙の財政運用
        正倉院に残る越前の公文類(帳簿)     出挙 大税と大税帳 「越前国大税帳」 「越前国郡稲帳」
        「越前国義倉帳」 財政の管理と運営
      二 荷札木簡と税     荷札木簡 調 若狭の調木簡 若狭のミヤケ 若狭の製塩遺跡 藤原宮時代の調塩
        越前の調 山背郷計帳にみる調 若狭の庸 越前の庸 若狭の贄 若狭国遠敷郡青郷(里)の贄
        若狭の中男作物 越前の中男作物 租と年料舂米 若狭・越前からの貢納の旅 雑徭 仕丁 兵士役
        対「蝦夷」戦争への徴発 三方町田名遺跡出土の荷札木簡 田名遺跡の性格
      三 人びとのくらし     山背郷計帳 家族の構成 浮浪と逃亡 口分田の班給とその耕営形態 農村のくらし
        漁村のくらし 漁業活動を物語る遺跡・遺物 久米田橋智識料稲 智識による架橋 架橋の現実的意味
        「大唐内典録」の書写 祭祀遺跡 松原遺跡

     第三節 都につながる北陸道
      一 官道の役割     律令国家の道 駅馬の制 伝馬の制 若狭・越前国の駅家の比定 濃飯駅
        弥美駅 葦田駅 松原駅 敦賀から鹿蒜駅への道 鹿蒜駅 淑羅駅 丹生駅 朝津駅 阿味駅
        足羽駅 桑原駅 三尾駅 水上交通と敦賀津 道路の管理
      二 官道を通った人びと     中央から地方へ 地方から中央へ 国内・他地域との交流
      三 近江から越前ヘの道と愛発関      近江から越への道 愛発関 押勝の乱 愛発関の位置

     第四節 開発と土地管理
      一 土地の区画と記録・表示       墾田の成立 条里呼称法の導入 越前・若狭国の条里プラン
        条里プランの表現と実態 条里プランの機能 条里地割の形成
      二 嶺北地方の条里       坂井郡条里の復原 「細枳村」の条里 足羽郡条里の復原
        丹生郡条里の復原 大野郡条里の復原
      三 条里プランと福井平野の土地開発       福井平野の条里地割分布 東大寺領荘園の比定地
        東大寺領荘園の立地 土地開発の進展度
      四 嶺南地方の条里       敦賀郡の条里 三方郡の条里 遠敷郡の条里地割分布
        小浜平野の条里復原 復原した条里プランの検証

     第五節 奈良・平安初期の対外交流
      一 渤海使の来航と縁海諸国の対応      古代日本の「窓口」としての若狭・越前国 渤海の建国
        渤海と日本との交渉 来航の季節と航路 使節のメンバー 来航の年紀 存問
        「縁海」国司の外交に関する職務と国書の開封 入京の規定
      二 渤海使の来航と若狭・越前国の対応      八世紀の事例 九世紀の事例 十世紀の事例
        若狭・越前両国の対応 渤海使への供給と地元の負担 私貿易の禁止と民間交易の実態
      三 松原客館の実態とその位置       「客館」の特質 松原客館の管理と創設時期 松原客館と敦賀津(津守)
        松原駅館(客館)の現地比定 松原客館と気比神宮 松原客館と「松原倉」

  第五章 福井平野に広がる東大寺の荘園
     第一節 初期荘園の成立と経営
      一 荘園の成立と奈良時代の政治      初期荘園とは 開墾の進展と律令国家 三世一身法と墾田永年私財法
        橘諸兄政権と貴族墾田地 野地の占定による荘園のはじまり 開墾の権利をめぐる争い 先占と開墾の実績
        政権による揺れ動き 荘園をめぐる政治と経済
      二 直接経営をめざした初期荘園―桑原荘―       桑原荘の成立 経営の年次報告書 開墾・荒廃と賃租
        溝の開削 舂米 田租と出挙 桑原荘の収支の特徴 耕作以外の労働力 その後の桑原荘
      三 郡司と初期荘園―鯖田国富荘と道守荘―       東大寺領北陸荘園の二つの類型 鯖田国富荘の成立と一円化
        散在していた広耳の寄進田 賃租関係と一円化 足羽郡道守荘の成り立ち 用水をめぐる争い 一円化と用水
        生江東人の開墾と寄進 二つの「寄進」 その後の両荘園
      四 経営組織の性格と初期荘園の没落      さまざまな使者 野占使と検寺田使 国使の性格 田使(荘使)の性格
        在地の経営機構と田使の関係 越前国東大寺領荘園の衰退 畿内・近国の荘園との比較 雇傭・賃租関係の背景

     第二節 荘園の人びとと中央との交流
      一 生江臣東人と安都宿雄足       荘園経営を担った人 生江臣東人の登場 足羽郡大領生江臣東人
        郡領氏族生江臣 大領生江臣安麻呂 生江臣東人の出身 東人と桑原荘の経営 東人と道守荘の経営
        在地の祭礼と東人 生江臣家道女 越前国史生安都宿雄足 桑原荘経営への参画
        国郡司と荘園経営 造東大寺司主典安都雄足と越前とのつながり 安都宅と私田経営
      二 交易・交通       現物貨幣としての稲 安都宿雄足をめぐる交易 楢磐嶋の交易
        荘園の稲穀輸送 郡衙機構の輸送関与

     第三節 荘園絵図とその歴史的世界

      一 絵図の作製と背景       荘園絵図の伝存 天平宝字三年の絵図 天平宝字五年の絵図 天平神護二年の絵図
        天平神護三年の絵図
      二 越前国荘園の景観と構成       道守荘絵図の特徴 道守荘所と百姓家 糞置荘絵図の特徴 高串荘絵図の特徴
      三 絵図の描写と資料的価値       天平宝字三年の絵図―糞置荘― 天平神護二年の絵図―道守荘・糞置荘―

  第六章 若越中世社会の形成
     第一節 王朝時代の政治と若越
      一 王朝時代の政治と社会       応天門の変と生江恒山 転換の時代と摂関政治 受領の非法と郡郷制の改編
      二 「開発の時代」と荘園整理       私領の開発と再開発 院政の成立と荘園整理

     第二節 北国武士団の形成と領主制
      一 利仁将軍とその伝説       利仁の身辺 説話の世界 征新羅将軍 利仁と敦賀
      二 武者の家の形成       越前斎藤氏の創世記 貞正と公則 為延と則光 越前在地との関連
        武士の暴力団的性格 越前国押領使
      三 越前斎藤氏       疋田系斎藤氏 河合系斎藤氏 在地領主の出現 民衆支配の様相 私闘の世界

     第三節 若越の荘園公領と地域社会
      一 若越の中世的郡郷制       十一世紀の国制改革 若狭国の中世的郡郷制 越前国の中世的郡郷制
      二 若狭国における荘園公領制の成立       大田文にみる荘園と公領 摂関期の荘園 院政期の荘園
        中世荘園の特色 若狭国の公領 別名と国衙
      三 越前国における荘園公領制の成立       平安時代成立の荘園 摂関期の荘園―方上荘と曾万布荘―
        院政期の荘園―牛原荘と小山荘― 越前国の公領と荘園

     第四節 北陸道の水陸交通
      一 新しい津と道       駄馬・運船の強雇 気山津・木津の新ルート
      二 国司の通った道       紫式部の通った道 藤原為房の通った道
      三 武者往来の道       白山神輿上洛 日吉神社の分布 源平北陸合戦 『義経記』の道

     第五節 平安中・後期の対外交流
      一 十世紀以降の東アジアの変動・再編と日宋貿易       変動する東アジア 王朝国家の外交方針 日宋貿易とそのシステム
      二 日宋貿易と若狭・越前国      「唐人」の若狭・越前国への来航 朱仁聡・林庭幹らの来航 源信僧都と朱仁聡
        紫式部の父と宋人との詩の唱和 宋商林養・俊政の敦賀津への来航 宋商孫忠・黄逢の敦賀津への来航
        楊宥の越前来航 藤原為房と「唐人」 藤原顕頼と若狭・越前国の「唐人」 院政期初頭の越前と「唐人」
        院政期初頭の若狭と「唐人」 若狭・越前国と日宋貿易の衰退

   第七章 若越の文学と仏教
     第一節 郷土と文学
      一 文字の普及       墨書土器 土器に書かれた地名と人名など 官衙的な遺跡と墨書土器 県内墨書土器の特徴
      二 『万葉集』と歌謡       笠朝臣金村 大伴家持と大伴池主 中臣宅守と狭野茅上娘子 紫式部の歌
        『古今和歌集』などの歌 催馬楽と神楽歌
      三 漢詩―酬唱文学―       渤海との交渉 王孝廉の死 都良香と藤原佐世 嶋田忠臣の漢詩 菅原道真の漢詩
      四 説話文学       説話文学と若狭・越前国 楢磐嶋の物語 敦賀の女の物語 利仁将軍の物語
        越前守為盛の物語 甲楽城の山伏の物語

     第二節 古代の寺院
      一 初期寺院の成立と展開       仏教伝来と寺院の造営 越前・若狭の初期寺院の分布 織田町の湖東式瓦
      二 越前の初期寺院       てんのう堂遺跡 篠尾廃寺 丹生郡の寺院跡 野々宮廃寺 深草廃寺 大虫廃寺
        幻の越前国分寺 気比神宮寺
      三 若狭の初期寺院       興道寺廃寺 下タ中遺跡 太興寺廃寺 出土瓦 国分寺に転用された太興寺
      四 若狭国分寺跡・若狭神宮寺       位置と遺構 塔跡 金堂跡 中門と南大門など
        謎の多い若狭国分寺跡 若狭神宮寺

     第三節 泰澄と白山信仰
      一 泰澄の足跡       泰澄の伝記について 『泰澄和尚伝記』の検討 『泰澄和尚伝記』の性格
      二 山林修行と白山信仰       古代の山岳信仰 山林修行と仏教・道教 山林修行と白山・泰澄
      三 十一面観音信仰について       古代の観音信仰 白山と十一面観音
      四 越前以外の地域の寺院と泰澄       泰澄関係の寺院 越前の宗教文化と中央
      五 白山信仰について       行場としての白山 平安時代の平泉

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    執筆者一