川流域では、地割の方位が違ういくつかのブロックに分けられる。 川の本流域に沿って、ほぼ正南北の方位をもっているのは、左岸の田名・佐古と右岸の藤井にまたがる二〇町の条里地割である。井崎・横渡には約三七町の条里地割がある。 川の支流高瀬川流域の向笠地籍では、北二五度西の方位をもつ約三〇町の規模で分布している。この 川流域の条里地割は、左岸に多く、右岸に少ない。右岸には、三方断層崖から直角に流れ出す小河川の形成する急傾斜の扇状地もあり地割の乱れが目立つ。 川上流域では上野・能登野などの地名が示すように扇状地上の開発が遅れた原野を想定させ、条里地割がみられない。支流の黒田川流域の黒田・岩屋・田上には、「市之坪」「大坪」などの小字地名があるが、北二五度東の断片的で不連続な地割となっている。
三方湖に注ぐ別所川の流域の田井地区では、北三〇度西の方向の地割が分布する。田立集落から田井野集落に挟まれた海抜五〜一五メートルの別所川の沖積地には、約一二町の条里地割が分布する。 ところで、 川流域には、佐古に「八ノ坪」「九ノ坪」「十ノ坪」の数詞をもつ遺称地名が南から北へ並び、「十ノ坪」は東に二坪分が広がっている(図84)。後述する遠敷郡と同じ東南隅を一坪として西に二坪、三坪と数え、東北隅を三十六坪とする千鳥式坪並をもつ条里プランだとすれば、「八ノ坪」と「九ノ坪」は、それぞれ十がとれたもので本来十八坪と十九坪に相当し、「十ノ坪」の西半部は三十坪に相当するものと考えられる。同一国内では、郡が異なっても同一の条里呼称法を採用することが多いことから、この復原案が妥当であろう。 |