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 第三章 コシ・ワカサと日本海文化
   第三節 若越の神々とケヒ神
    二 渡来の神々
      渡来の神々
 先にみたように漢神は大陸から伝わった神と考えられるが、『延喜式』神名帳に載せる越前の諸社(式内社)のなかには、やはり渡来の神を祀っているとみられるものがある。
 敦賀郡には白城神社と信露貴彦神社がある。白城・信露貴はともにシラギと訓み新羅のことであるとみられる。前者は現在、敦賀市白木に所在し彦波瀲武鵜草葺不合尊を祭神とする。後者は敦賀市沓見の信露貴神社ないし南条郡今庄町今庄の新羅神社にあてられている。祭神は前者は迩々芸命と日本武尊命、後者は素盞鳴命である。このようにいずれも祭神は日本の神となっているが、本来は新羅系の神を祀っていたのであろう。とくに素盞鳴命は新羅に天下ったという伝説をもち(『紀』神代上第八段第四の一書)、新羅との関係は深いものがある。
 また前述のように、養老二年(七一八)五月に分立するまでは越前に属した能登国の、鳳至郡の美麻奈比古神社、珠洲郡の古麻志比古神社は、それぞれ任那・高麗(高句麗)にちなむ男神を祀った社とみられる。
 こうした渡来系の神々は朝鮮半島から渡って来た人びとによって祀り始められ、しだいにその信仰を広げていったのであろう。北陸道には渤海使の来着がたびたびあったように、中国大陸・朝鮮半島との関係は深いものがあった。そのような地に外来の漢神や渡来人にちなんだ名をもつヒコ神の信仰も盛んであったのは自然なことであったといえよう。



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