Fukui Prefectural Archives

福井県史年表

Chronology

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1741~1760年

西 暦 和 暦 事 項
1741 寛保1 2 7 小笠原信胤,大坂加番役を拝命(小笠原家譜など).
1741 寛保1 4 8 福井藩,三国湊の津留を解き,この日までに他国米1万6,108俵を買い上げる[家譜].
1741 寛保1 4 17 他国米代金支払いに札所の金子が多く出たので再び三国湊を津留[家譜].
1741 寛保1 4 福井藩で札所元金への不安から騒動がおこる[続片聾記].
1741 寛保1 6 26 大野町で虫送りが行われる[斎藤寿々子家文書].
1741 寛保1 7 19 江差の大島噴火による地震の津波,越前・若狭へ到達[拾椎雑話,柴田一男家文書].
1741 寛保1 9 5 鯖江藩,今立郡広瀬組で定免制を採用[間部家文書].
1741 寛保1 9 25 福井藩,老中招請などのため御用金3万両を課す[家譜].
1741 寛保1 10 16 大野藩,張札の禁止を命じる[斎藤寿々子家文書].
1741 寛保1 10 小浜で箒星出現[拾椎雑話].
1741 寛保1 11 13 大野藩,若殿婚礼のため御用金1,250両を町方に課す[斎藤寿々子家文書].
1741 寛保1 この年敦賀郡立石浦,新法の目広手繰網を再開するが差し止められる[港町漁家組合文書]./小浜の町人人口1万27人,敦賀町の人口1万1,138人[拾椎雑話,指掌録].
1742 寛保2 3 11 酒井忠用,領内の寺社に竹木伐採などに関する禁制を与える[酒井家稿本].
1742 寛保2 3 18 福井藩が札所の両替を停止したため,札所騒ぎがおこる[松平文庫].
1742 寛保2 3 26 福井藩,札所元締役を処罰[松平文庫].
1742 寛保2 10 小浜藩,西浦に敦賀町での生魚の自由販売を許可[山本宗右衛門家文書].
1742 寛保2 この年敦賀浮買座廃止される[敦賀市史]./福井藩,札所奉行を復しその上席に札所目付を置く[駒屋節二家文書]./丹生郡天王村の高橋勝安,「農事覚書」を著す[八坂神社文書].
1743 寛保3 4 9 土井利知隠居,利寛大野藩を継ぐ[土井家文書].
1743 寛保3 (4) 2 敦賀両浜町の「大坂まかせ網」停止[港町漁家組合文書].
1743 寛保3 6 土井利寛,「国家の大体」をまとめた法令を出す[土井家文書].
1743 寛保3 8 11 福井藩,日光普請手伝いを命じられ,御用金6万5,000両を課す[家譜].
1743 寛保3 8 小浜町で小浜八幡正遷宮を機に放生会がさかんになる[拾椎雑話].
1743 寛保3 9 16 福井藩,南条郡河野浦と赤萩村の出入で田地山を取り上げる[家譜].
1743 寛保3 11 26 本保代官所再設,6万4,742石余が福井藩預所から直轄領に戻る[家譜].
1743 寛保3 この年鳴鹿大堰で川底をならす大工事が行われる[大連彦兵衛家文書]./京都望楠軒塾教授小野鶴山,小浜藩の家中教授役となる.
1743 寛保3 この頃南条郡大良浦,布包紙・雑紙を漉く[中野貞雄家文書]./「越藩拾遺録」が著される[越藩拾遺録].
1744 延享1 5 小浜藩,社倉を設置[酒井家稿本].
1744 延享1 この冬越前・若狭で大雪[拾椎雑話,家譜].
1744 延享1 この年敦賀の商人那須好治,身分制を批判[那須伸一郎家文書]./府中の家数1,847軒,人口9,464人[辻川利雄家文書].
1745 延享2 2 1 南条郡帰村で雪崩,死者14人[家譜].
1745 延享2 3 21 南条郡甲楽城浦の網漁師,三方郡早瀬浦竃ケ崎の大網場を請け負う[上野山九十九家文書].
1745 延享2 3 26 遊行上人,福井の乗久寺に着く[家譜].
1745 延享2 6 遊行上人,小浜西福寺を経てその後丹後へ向かう[拾椎雑話].
1745 延享2 6 小浜藩,三方郡早瀬浦の新式の大網を当年限りと裁定,翌年より旧式に戻す[上野山九十九家文書,早瀬区有文書].
1745 延享2 8 13 幕府,今立郡北小山村と金屋村の地論を裁許[家譜].
1745 延享2 8 13 三国湊からの幕府廻米船,坂井郡浜住浦にて沈没[家譜].
1745 延享2 8 29 小笠原信房,勝山藩を継ぐ[寛政譜].
1745 延享2 10 29 預所坂井郡東長田村と丸岡藩領福島村の用水江筋出入,幕府裁許に従い落着[家譜].
1745 延享2 この年福井藩,口銭改めのための立会役人を廃止し,問丸が荷物を改めることとする[内田文書].
1746 延享3 1 11 小浜藩,家中借米を3年間本知に戻す[拾椎雑話].
1746 延享3 3 12 勝山城下で火事,町家334軒・家中73軒など焼失[松屋文書].
1746 延享3 3 幕府巡見使,若狭を訪れる(4月越前に入る)[酒井家稿本,家譜].
1746 延享3 10 18 土井利貞,大野藩を継ぐ[土井家文書].
1746 延享3 この年勝山町の家数630軒,人口3,273人[松屋文書]./高浜の家数,浦方を含めて603軒,人口2,567人[市瀬吉坂家文書]./小浜藩領内で疱瘡が流行[拾椎雑話].
1747 延享4 1 敦賀商人,小舟を丹生浦の小漁師に賃借する[丹生区有文書].
1747 延享4 2 8 小浜西津堀屋敷から出火,諸士屋敷89軒焼失[拾椎雑話].
1747 延享4 3 郡上藩,大野郡荷暮村銅山の吹屋を葺くために萱を穴馬の諸村で調達[聞書写].
1747 延享4 6 1 酒井忠用,寺社奉行となる[寛政譜].
1747 延享4 6 12 一橋徳川宗尹の嫡男於義丸,松平宗矩の養子となる[家譜].
1747 延享4 7 鯖江藩領丹生郡・今立郡内の村むら,虫付きの被害をうける[間部家文書].
1747 延享4 12 23 酒井忠用,大坂城代となる[寛政譜].
1747 延享4 この年吉崎御坊の大谷派別院本堂再建.
1747 延享4 この頃府中の鎌・菜刀・釘などの鍛冶職,仲間を作り取り締る[鍛冶由緒書].
1748 寛延1 1 22 福井藩,領内に御用金5万5,000両を課す[国事叢記].
1748 寛延1 2 13 福井藩で御用金賦課から藩札騒ぎがおこり,強訴となる[続片聾記,国事叢記].
1748 寛延1 3 5 福井藩,町在の困窮者へ救米を与える[家譜].
1748 寛延1 3 14 福井藩,御用金を中止[家譜].
1748 寛延1 4 大野郡松丸村と六呂師村,山論で江戸へ出訴[松村利章家文書].
1748 寛延1 6 勝山商人,他所商人の勝山町での商売を禁じるよう願い出る[室屋笠松家文書].
1748 寛延1 6 小浜町,町まちの火消人数の中から急火消を編成[須田悦生家文書].
1748 寛延1 8 25 今立郡別印村の大高持と小百姓の諸雑用割方の出入が解決[内田秀数家文書].
1748 寛延1 9 5 福井藩,年季免を命じる[家譜].
1748 寛延1 この年丸岡藩,寄合組以上の家臣の家禄をすべて300石にならす[藤原有馬世譜].
1749 寛延2 2 19 福井藩,姫路藩領の一揆に御側物頭を派遣[家譜,国事叢記].
1749 寛延2 5 19 福井藩,金1両につき銀札60匁とする[家譜].
1749 寛延2 5 大飯郡和田村の小高百姓・小百姓と大高持,争論をおこす[市瀬吉坂家文書].
1749 寛延2 7 5 福井藩,他国役者の逗留と芝居開催を許可[家譜].
1749 寛延2 7 鯖江藩領一帯で粉糠虫の被害がでる[間部家文書].
1749 寛延2 9 20 福井藩,疫疾流行のため祈祷を行う[家譜].
1749 寛延2 10 21 松平宗矩死去,結城秀康の血統絶える[家譜].
1749 寛延2 11 20 福井藩預所全廃,越前の幕府領全域が直轄地となる[家譜].
1749 寛延2 12 7 松平於義丸(宗矩養子),福井藩を継ぐ[家譜].
1749 寛延2 この年小浜藩儒者の稲庭正義,「若狭国志」を完成.
1750 寛延3 1 11 敦賀町の商人,三方郡丹生浦の大網場一側を3年切で請海する[丹生区有文書].
1750 寛延3 2 13 小浜西津の諸士屋敷20軒焼失[拾椎雑話].
1750 寛延3 4 三方郡日向・早瀬両浦からの上方行き背負魚荷,熊川宿で止められる[早瀬区有文書].
1750 寛延3 7 幕府,銅座を廃止.
1750 寛延3 この年福井藩家中の家数1,777軒,城下町家5,386軒[家譜].
1751 宝暦1 2 14 小笠原信房,大坂加番役を拝命[小笠原家譜].
1751 宝暦1 3 22 福井城下三橋町で火事,100軒余焼失[家譜].
1751 宝暦1 7 鯖江藩領丹生郡有定村から西鯖江村への納入銀をめぐっての出入,内済となる[桑原喬家文書].
1751 宝暦1 8 18 吉田郡五領ケ島の百姓,鳴鹿大堰を破壊し,十郷・高椋・磯部の各用水組合の村むらと争う[土肥孫左衛門家文書].
1751 宝暦1 8 福井藩領内の百姓,昨冬以来大勢欠落[家譜].
1751 宝暦1 9 福井藩の伊藤錦里,六冊本「越前世譜」を完成[松平文庫].
1751 宝暦1 9 小浜で疫風が流行[拾椎雑話].
1752 宝暦2 2 22 坂井郡東長田村の幕府代官所へ300人余の百姓が押しかける[松平文庫,家譜].
1752 宝暦2 4 7 酒井忠用,京都所司代となる[寛政譜].
1752 宝暦2 6 13 幕府,福井藩や丸岡藩などに十郷用水堰所出入の内済を命じる[家譜].
1752 宝暦2 7 20 勝山藩領内の惣百姓,5か条の願書を藩へ提出し藩政を批判[中村吉右衛門家文書].
1752 宝暦2 7 小浜西津で大火[拾椎雑話].
1752 宝暦2 11 21 大野藩・鯖江藩・幕府領の13か村,大野町端の木本野開畑地をめぐり争う[国事叢記].
1752 宝暦2 この夏小浜で疱瘡が流行[拾椎雑話].
1753 宝暦3 3 15 三方郡早瀬浦で火事,家89軒・納屋19軒焼失[早瀬区有文書].
1753 宝暦3 4 13 鳴鹿大堰争論で双方の代表,幕府評定所で対決[重森邦夫家文書].
1753 宝暦3 4 幕府,諸藩に高1万石につき籾1,000俵の貯えを命じる[御触書宝暦集成].
1753 宝暦3 4 小浜八幡宮で勧進相撲が行われる[拾椎雑話].
1754 宝暦4 2 幕府,諸大名へ前年同様の囲籾を命じる[御触書宝暦集成].
1754 宝暦4 (2) 13 鯖江藩領で新運上に反対した領民が水落森に集まる[間部家文書,家譜].
1754 宝暦4 (2) 勝山藩,郷盛銀を改めて取り決める.
1754 宝暦4 5 14 福井藩,町在に才覚金2万5,000両を課す[松平文庫].
1754 宝暦4 7 鯖江藩領一帯で粉糠虫や猪鹿の被害がでる[間部家文書].
1754 宝暦4 この年小浜の家中4,829人,町人9,601人,小浜を除く大飯・遠敷・三方の3郡の人口7万2,078人[高嶋文庫]./佐柿の家数116軒,高浜の家数644軒[館太正家文書]./遠敷郡名田庄下村の小百姓,諸掛り物や村入用の高割を要求[森口徳左衛門家文書].
1755 宝暦5 2 2 幕府,鳴鹿大堰争論を裁許[家譜].
1755 宝暦5 3 17 西鯖江出村で出火,侍屋敷・足軽長屋・町家など焼失[間部家文書].
1755 宝暦5 6 13 松平於義丸,将軍の偏諱を賜り重昌と称する[家譜].
1755 宝暦5 7 小浜神明宮で勧進相撲が行われる[拾椎雑話].
1755 宝暦5 10 14 福井藩,米高値のため領内の困窮人に籾260俵を貸す[家譜].
1755 宝暦5 10 22 福井藩,古寺号の譲渡を禁じる[松平文庫].
1755 宝暦5 11 15 福井藩,天候不順による領内の損毛高14万5,000石余を幕府に届ける[家譜].
1755 宝暦5 11 小浜藩,米の出津を停止(~翌年5月)[拾椎雑話].
1755 宝暦5 12 5 福井藩,幕府から米高値のため1753年に囲った籾の売払いを指示される[家譜].
1755 宝暦5 この年三国湊の口銭の対象となる物品と口銭が改定される[越前史料].
1756 宝暦6 1 11 福井藩,米穀高値のため三国湊の津留を実施[家譜].
1756 宝暦6 1 22 本保騒動おこる[家譜,国事叢記].
1756 宝暦6 1 26 福井藩と鯖江藩,本保陣屋からの要請で援兵を出す[家譜,間部家文書].
1756 宝暦6 2 1 府中本多氏,丹生郡山干飯の百姓が府中の米会所を襲うという噂で警戒にあたる[家譜].
1756 宝暦6 2 5 本保騒動ほぼ鎮まる[間部家文書].
1756 宝暦6 2 12 福井藩,幕府から米高値のため1754年に囲った籾の売払いを指示される[家譜].
1756 宝暦6 2 12 三国湊で米騒動がおこり,尾張屋五郎兵衛らを本保の百姓が潰すとの風聞がたつ[大門区有文書,国事叢記].
1756 宝暦6 3 大野町の家数860軒・人口5,081人,大野藩領全体の家数4,815軒・人口2万3,742人[武田知道家文書].
1756 宝暦6 3 三方郡日向・早瀬両浦の上方行き背負魚荷,再び熊川宿で止められる[早瀬区有文書].
1756 宝暦6 8 13 福井藩,幕府に領内の人口14万8,498人を届ける[家譜].
1756 宝暦6 8 25 本保騒動の参加者,丹生郡本保村で処刑される[国事叢記].
1756 宝暦6 11 6 大風で福井藩領内の18か浦へ大波が打ち上げ,被害が出る[家譜].
1756 宝暦6 12 大野町端の木本野開畑地をめぐる争いに幕府裁許が下る[鈴木与兵衛家文書など].
1756 宝暦6 この年福井藩,他国商為替銀貸付会所を創設[松平文庫]./小浜の町人人口9,692人,敦賀町の人口1万684人[拾椎雑話,指掌録].
1757 宝暦7 3 30 酒井忠與,小浜藩を継ぐ[寛政譜].
1757 宝暦7 4 18 有馬允純,丸岡藩を継ぐ[寛政譜].
1757 宝暦7 4 9 勝山の町方,藩が屋敷地の一部を御用地とすることに反対[室屋笠松家文書].
1757 宝暦7 9 2 福井藩,金1両につき銀札62匁とする[家譜].
1757 宝暦7 9 勝山藩,「漆実・多葉粉・菜種牙人之定」を出す.これに対し三町商人その中止を願う[室屋笠松家文書].
1757 宝暦7 12 16 生活に困窮した定府の福井藩士が失踪[国事叢記].
1757 宝暦7 12 19 福井藩,風雨洪水による領内の損毛高9万9,300石余を幕府に届ける[家譜].
1757 宝暦7 この年中川淳庵,平賀源内主催の薬品会に薬品を出品./井川領,小浜藩の支配から離れる[敦賀市史].
1758 宝暦8 3 21 一橋徳川家の嫡男重富(松平重昌実弟),福井藩を継ぐ[家譜].
1758 宝暦8 4 碁の名手備中国三ツ田源五郎,小浜に来る[拾椎雑話].
1758 宝暦8 5 鯖江藩領内の人口2万6,094人[間部家文書].
1758 宝暦8 8 勝山藩,大野郡柿ケ島村内の組分けを認める[山川彦右衛門家文書].
1758 宝暦8 10 11 福井藩,農政の抜本的見直しと改善を郡奉行に申し渡す[家譜].
1758 宝暦8 11 大坂の富商牧村清左衛門,福井藩札所元締役となる[家譜].
1758 宝暦8 12 26 幕府,金森可英に南条・今立両郡に3,000石を与える[寛政譜].
1758 宝暦8 12 27 青山幸道,丹後宮津から郡上へ入封.南条郡千福村に陣屋を置く[寛政譜など].
1759 宝暦9 1 15 酒井忠與,領内の寺社に竹木伐採などに関する禁制を与える[酒井家稿本].
1759 宝暦9 1 26 福井藩,大坂蔵屋敷の完成を大坂町奉行へ届ける[家譜].
1759 宝暦9 8 3 土井利貞,大坂加番につく[土井家文書].
1759 宝暦9 12 吉田郡東古市村の百姓欠落,家財没収,妻子とも居村追放[永平寺町史].
1759 宝暦9 この年鞠山藩,小浜藩の支配から離れる[敦賀市史].
1759 宝暦9 この頃郡上藩領穴馬16か村,紙役を藩に納める[古世賀男家文書].
1760 宝暦10 2 13 丸岡城下で火事,町家176軒・侍屋敷36軒焼失[丸岡町史].
1760 宝暦10 2 14 小笠原信房,大坂加番役を拝命[小笠原家譜].
1760 宝暦10 4 24 福井藩,両替のため町在加入金2万両を命じる[松平文庫].
1760 宝暦10 4 勝山町と暮見村,入会地をめぐり江戸へ出訴[笹屋文書].
1760 宝暦10 5 3 福井藩,有力町人・百姓ら18人に札所元締役を命じる[家譜].
1760 宝暦10 6 25 福井藩,銀札の両替を再開[家譜].
1760 宝暦10 7 幕府,諸藩に囲籾を命じる[家譜].
1760 宝暦10 この年野尻銅山開かれる[荒木新輔家文書].

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