Fukui Prefectural Archives

福井県史年表

Chronology

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1441~1460年

西 暦 和 暦 事 項
1441 嘉吉1 4 26 貞成親王,若狭遠敷郡松永荘新八幡宮より「伴大納言絵巻」「吉備大臣入唐絵巻」「彦火々出見尊絵巻」などを借覧し,翌日内裏に進める[看聞日記].
1441 嘉吉1 6 17 今立郡日円寺に塔婆が造営され,これに対して幕府が5,000疋を寄進[蔭凉軒日録].
1441 嘉吉1 6 24 赤松満祐,将軍足利義教を私第に誘殺し,播磨に下る(嘉吉の乱)[建内記].
1441 嘉吉1 7 12 嘉吉の乱にさいして,朝倉氏と赤松被官人の所縁が論議され,朝倉氏の処罰が検討される[建内記].
1441 嘉吉1 7 若狭守護武田信賢,若狭に播州発向陣夫を課す[(2)若杉家-8].
1441 嘉吉1 8 14 越前の平城寺(平泉寺か)と豊原寺が確執し,合戦する[建内記].
1441 嘉吉1 8 23 敦賀郡野坂荘嶋郷年貢30石を青蓮院が法事料に混じて押領しているので,万里小路時房が返却を求める[建内記].
1441 嘉吉1 9 3 京都周辺で徳政要求の土一揆が蜂起する[建内記].
1441 嘉吉1 10 21 若狭前守護一色義貫の牢人,武田氏と大飯郡佐分郷で戦い敗れる[吉川家文書].
1441 嘉吉1 11 12 若狭で一色氏牢人と土一揆が徳政一揆として蜂起し,武田勢と小浜で戦う[(2)朽木家-6~8,東宝記奥書,吉川家文書].
1441 嘉吉1 12 15 若狭守護武田信賢,遠敷郡妙光寺に禁制を下す[(2)松雲公-9].
1442 嘉吉2 4 1 遠敷郡太良荘の神社破損につき,東寺が修復を命じる[タ-117].
1442 嘉吉2 5 8 幸若大夫,西園寺公名第で曲舞を舞う(5月22日にも)[管見記].
1442 嘉吉2 5 越前から京都に赴く途中に公家の万里小路豊房の消息が不明となった事件について,放火された豊原寺による報復と噂される[建内記].
1442 嘉吉2 10 15 大野郡泉・小山両荘を二宮土佐守が請け負う[(2)一乗院-14].
1442 嘉吉2 11 28 一色義貫被官人の延永氏らが愁訴のため北野社に閉篭し,また一色氏の宿所に押寄せるとの風評により物騒となる[康富記].
1442 嘉吉2 11 遠敷郡太良荘の荘民,徳政一揆の定めた法を主張し,東寺の造営奉加借米を拒否[ヌ-293].
1443 嘉吉3 1 30 斯波満種,父義種の由緒により加賀守護職の補任を求め,加賀に押入ろうとして家臣にとどめられる[建内記].
1443 嘉吉3 3 19 遠敷郡の松永荘および吉田・三宅に対する摂津多田院造営段銭が停止される[看聞日記].
1443 嘉吉3 5 21 遠敷郡の鋳物師大工の小南六郎権守行信,撞鐘を鋳て東寺に進上[ヌ-295,モ-208].
1443 嘉吉3 この年遠敷郡太良荘で,同荘山王社の修復を怠った祢宜の権限を荘民が買得し,修復を行う[ハ-384].
1444 文安1 4 11 敦賀郡和久野村念仏田内の田畠・居屋敷を平内二郎が西福寺に売却し,村人4人が請人として署名[(8)西福寺-108].
1444 文安1 7 19 武田信賢,若狭国内寺社本所領預所職の知行を幕府から認められる[康富記].
1444 文安1 9 8 若狭国内の泉涌寺料所が武田信賢の違乱をうけ,同寺の舎利会が実施できなくなる[師郷記].
1445 文安2 3 11 敦賀郡西福寺,後花園天皇の祈願所となり,寺領安堵の綸旨を得る[(8)西福寺-111・112].
1445 文安2 3 敦賀郡西福寺で,畠山教元が常宮権現の託宣を受けて経蔵を造立し,同寺の浄鎮を中心に一切経の勧進を行う[(8)西福寺-112].
1445 文安2 7 11 敦賀郡西福寺と楽音寺が寺領について相論し,守護代から郡代に宛てて西福寺勝訴の旨が伝達される[(8)西福寺-115].
1445 文安2 7 大勧進宝栄,東寺から越前に下向し,東寺修造料奉加を求める[ヌ-139・140].
1445 文安2 9 16 坂井郡龍興寺住持の希明清良が死去する[延宝伝灯録].
1445 文安2 12 4 坂井郡細呂宜郷政所の堀江越中が加賀富樫氏に関連して,所領を闕所とされる[私要鈔].
1446 文安3 8 6 朝倉教景,足羽郡北庄神明社を再興[朝倉系図].
1446 文安3 10 27 越前守護代甲斐常治(将久),今南東・今南西郡の諸役を免除[(6)三田村士郎-3].
1447 文安4 3 敦賀郡気比社前に怪犬が現れたとされ,近日に蒙古襲来があるとの風説が流れる[建内記].
1447 文安4 4 27 越前守護代甲斐常治の京都宅が焼け,こののち常治と斯波満種の対立が強まる[康富記].
1447 文安4 4 27 敦賀郡野坂荘嶋郷の年貢30石について,万里小路時房に引き渡すよう幕府が青蓮院に命じる[建内記].
1447 文安4 5 27 越前守護代甲斐常治のふるまいが「狼藉尾篭」だとして,二宮・嶋田氏らが常治と対立するが,吉良氏を仲介として和合[建内記].
1447 文安4 5 坂井郡坪江郷の春日社新三十講料所の請口年貢を無沙汰し改易された香西豊前入道が,守護方の遵行を抑留するとして訴えられる[建内記].
1447 文安4 7 8 坂井郡河口荘大口郷政所の朝倉(阿波賀)但馬入道と郷民,段別50文の役銭賦課に端を発して相論[建内記,私要鈔].
1447 文安4 11 18 遠敷郡羽賀寺の本尊が遷座される[(9)羽賀寺-55].
1448 文安5 10 丹生郡大谷寺,地頭千秋氏による神田売却などを訴える[(5)越知神社-19].
1448 文安5 この年遠敷郡太良荘川境相論あり[ナ-35].
1449 宝徳1 2 13 丹生郡大谷寺,地頭千秋氏が神田を押領し神木を売り払ったとして訴え,離山の抗議行動をとる[(5)越知神社-20].
1449 宝徳1 3 12 三方郡丹生浦奥山につき,馬背・竹波は山代を丹生浦に支払って用木や柴を切るよう武田信賢が裁決[(8)丹生区有-3].
1449 宝徳1 3 若狭において,国内の寺院を対象とする東寺修造料の勧進が行われる[ヌ-185].
1449 宝徳1 4 10 大地震が起こり,若狭街道の小野・長坂付近の崖崩れで多くの人と荷負馬が死ぬ[康富記].
1449 宝徳1 5 20 若狭より200余歳の白比丘尼が上洛し,京中で見物人から料足を取る.26日に若狭に帰る[康富記].
1449 宝徳1 6 17 坂井郡河口荘大口郷政所の阿波賀氏の後任に,朝倉氏が充てられる[私要鈔,雑事記].
1450 宝徳2 2 18 越前田中香若大夫,京都室町殿で久世舞を舞う[康富記].
1450 宝徳2 2 29 遠敷郡国富荘に対して,武田氏が半済停止を命じる[壬生家文書].
1450 宝徳2 2 東寺修造料大勧進,礼銭を若狭守護武田氏・寺社奉行長井氏・小浜代官などに支払う[ヌ-186].
1450 宝徳2 12 20 朝倉教景(固山良堅,49歳)が死去する[朝倉系図].
1450 宝徳2 この年天台宗青蓮院末寺の遠敷郡羽賀寺が,定乗の真言密教を学び始める[(9)羽賀寺-56].
1451 宝徳3 3 7 越前香若大夫,京都千本炎魔堂で曲舞を舞う[康富記].
1451 宝徳3 3 10 越前守護代甲斐常治,坂井郡河口荘・坪江郷への非分課役を停止し,八朔・歳暮人夫徴発も止める[雑事記].
1451 宝徳3 3 28 遠敷郡の土豪池田貞祐が本願人となり,野代村上下産神六所宮が造立される[(9)妙楽寺-28].
1451 宝徳3 9 10 遠敷郡小浜八幡放生会・上下宮神事の人夫を太良荘民が怠ったところ,守護が報復のため荘民の小浜への出入を禁じると告げる[ぬ-106].
1452 享徳1 (8) 26 若狭守護武田氏,遠敷郡太良荘助国名主泉大夫を徳政一揆の加担者として処刑[ハ-271・390].
1452 享徳1 (8) 若狭で一色牢人が徳政一揆と結んで蜂起[(2)朽木家-6~8,ツ-132,タ-175].
1452 享徳1 9 1 越前守護斯波義健が死去する[東寺過去帳].
1452 享徳1 9 遠敷郡太良荘領主東寺,武田氏が守護不入の命令に背いて荘民を処刑し,荘に乱入して資財を奪うことを幕府に訴える[ニ-58].
1453 享徳2 12 11 越前守護斯波義敏,坂井郡細呂宜郷の闕所を押妨[私要鈔].
1453 享徳2 12 29 大飯郡東市場住人5人,一乗寺に毎年春の山王大般若法楽料として田地1段を寄進[(9)中山寺-15].
1453 享徳2 12 丹生郡織田寺について,本末契約のある同寺の扶助を延暦寺が決議する[(5)劒神社-4].
1454 享徳3 12 幕府の徳政令発布をうけ,一色氏牢人が南から若狭に攻め入ろうとする[(2)朽木家-8].
1454 享徳3 この年若狭に徳政令が発布される[タ-132].
1455 康正1 1 遠敷郡太良荘の荘民馬大夫,徳政を理由に勧心名を取り返そうとする[タ-132].
1455 康正1 5 10 敦賀郡西福寺浄鎮,自己の葬礼や門前者の念仏結縁などを遺言[(8)西福寺-124].
1455 康正1 6 5 遠敷郡妙興寺に対し,若狭守護武田信賢の禁制が発給される[(9)妙興寺-1].
1455 康正1 7 7 武田氏,遠敷郡太良荘に陣夫3人を賦課[し-231].
1455 康正1 7 27 若狭守護武田信賢が若狭に下向する[斎藤基恒日記].
1455 康正1 7 遠敷郡太良荘民に対し,武田氏半済給人の山県氏が陣夫役を命ずる[ハ-395].
1455 康正1 9 26 遠敷郡太良荘百姓,武田氏の陣夫役出費30貫文は年貢より支払い,尻高百姓にも陣夫負担をさせるよう東寺に訴える[ハ-279].
1455 康正1 9 28 二宮左近将監の外護を得て大野郡洞雲寺を開いた薩摩国日置郡出身の元勅が没する[大野領諸宗寺方寺領記].
1456 康正2 2 21 遠敷郡太良荘真村名主巫女鈴女,宗音を代官として名主職に補任される[タ-149].
1456 康正2 2 25 熊野御師清水頼泰,越前朝倉氏についての旦那職を実報院に本銭返しとして10年間売却する[(2)熊野那智大社-9].
1456 康正2 10 遠敷郡太良荘代官中尾幸聡,年貢米の和市報告を偽り,年貢を着服したことにより罷免される[タ-149].
1457 長禄1 1 1 越前守護斯波義敏・父持種,京都の屋敷を出奔[大乗院日記目録].
1457 長禄1 4 若狭守護,遠敷郡太良荘に対して,本所領に課す要銭とは別に,「御百姓中器用」を対象とした要銭を課す[ハ-374].
1457 長禄1 6 18 本願寺蓮如,父存如の死により本願寺8代目の住持となる.
1457 長禄1 6 19 幕府,遠敷郡神宮寺の寺領を安堵する[(9)神宮寺-19].
1457 長禄1 7 朝倉孝景(英林),このころから毎月8日に歌僧招月庵正徹を招いて京都で月次歌会を開く[草根集].
1457 長禄1 9 26 興福寺,越前国人堀江民部による建仁寺末坂井郡長慶寺領への介入を停止するよう,小守護代に依頼[私要鈔].
1457 長禄1 9 29 遠敷郡太良荘百姓,守護借用銭・田畠損亡・人夫役について東寺に訴え,容れられなければ年貢一粒も納入せずという[ハ-394].
1457 長禄1 10 8 武田信賢,8月22日の将軍御教書に従い等持院領三方郡倉見荘を諸役免除の守護使不入の地とする[(8)大音正和-110].
1457 長禄1 11 4 斯波義敏方の国人・被官らが洛内で乱妨を働いたので,幕府は甲斐・朝倉・織田氏らに斯波方の兵を討ち取らせる[私要鈔,雑事記].
1457 長禄1 11 大飯郡一乗寺(中山寺)の鐘楼が造営される[(9)中山寺-16].
1458 長禄2 2 29 越前守護斯波義敏と甲斐常治の和睦が成立する[雑事記].
1458 長禄2 3 25 斯波義敏方の被官所領はすべて元の如く安堵される[雑事記].
1458 長禄2 4 16 足羽郡社荘・得光保が京都北野社に還付される[(2)北野神社-7・8].
1458 長禄2 6 19 越前守護斯波義敏と守護代甲斐常治(将久)に関東出陣の命が下るが,両者がこれに難渋を示す[私要鈔].
1458 長禄2 7 越前国内において,越前守護斯波義敏・国人方と守護代甲斐方の最初の合戦が勃発[私要鈔].
1458 長禄2 8 19 敦賀郡西福寺寺領内での甲乙人徘徊を禁止すべき旨が,守護斯波方より山内首藤氏に対して伝えられる[(8)西福寺-128].
1458 長禄2 9 14 丹生郡志津荘の領主の賀茂御祖社社家,同荘内の祥瑞寺を首とする23の道場が闕所とされたことを幕府に訴える[蔭凉軒日録].
1458 長禄2 9 15 遠敷郡栖雲寺と越前瑞勝寺,寺領の不知行を幕府に訴える[蔭凉軒日録].
1458 長禄2 9 17 合戦により興福寺領坂井郡河口荘の諸郷の多くが「あき郷」となり,興福寺大乗院は河口荘の直務を幕府へ願い出る[私要鈔,雑事記].
1458 長禄2 10 2 越前北部を制圧した守護方の総大将堀江利真,守護斯波義敏の承認文書がなければ荘園は引き渡さないと告げる[雑事記].
1458 長禄2 10 27 遠敷郡栖雲寺が将軍家祈願寺となる[蔭凉軒日録].
1458 長禄2 11 11 甲斐敏光らの軍勢が越前に発向するが,堀江利真方は甲斐方を再び近江国海津まで退け,越前入国を阻止[私要鈔].
1458 長禄2 11 19 坂井郡竜沢寺が将軍足利義政の祈願所となり,寺領目録の安堵を受ける[(4)龍澤寺-19,蔭凉軒日録].
1458 長禄2 11 20 甲斐方の軍勢が加賀より坂井郡金津を攻撃し堀江利真を包囲するも,敗北する[私要鈔].
1458 長禄2 11 25 幕府・将軍により「越前国領地」が京都の相国寺蔭凉軒へ,丹生郡糸生郷山方が北野社へそれぞれ寄進される[蔭凉軒日録,(2)北野神社-10].
1458 長禄2 11 30 朝倉孝景,甲斐敏光らとともに越前に下国する[日下部系図].
1458 長禄2 12 1 越前守護斯波義敏,甲斐氏にも関東出陣を命令されるよう幕府に要求[私要鈔].
1458 長禄2 この年青蓮院領敦賀郡莇野保において,半済が停止される[(2)醍醐寺-95].
1459 長禄3 1 14 越前守護斯波氏と守護代甲斐氏の合戦が,尾張国でも勃発[私要鈔].
1459 長禄3 1 20 堀江利真が土一揆を起こして坂井郡豊原寺を攻撃する用意をし,河口・坪江の荘民も同意したとの報告がなされる[私要鈔].
1459 長禄3 2 斯波氏と甲斐氏の和睦を図るため,真西堂(蔭凉軒真蕊か)が幕府の上使として敦賀郡疋壇(疋田)に派遣される[朝倉家記所収文書].
1459 長禄3 2 甲斐方が守護方を破り,中郡まで進む[私要鈔].
1459 長禄3 3 17 甲斐常治,将軍から越前支配を認められ,改めて越前守護代職に任命される[私要鈔,雑事記].
1459 長禄3 4 4 越前瑞勝寺が将軍家祈願寺となる[蔭凉軒日録].
1459 長禄3 4 4 大飯郡立石荘の11の名を嘉吉2年より守護武田氏が半済として押領していると京都東山香林寺が幕府に訴える[蔭凉軒日録].
1459 長禄3 4 17 興福寺大乗院尋尊,転法輪三条実香と坂井郡三国湊の件について問答[雑事記].
1459 長禄3 4 熊谷持直,坂井郡河口荘兵庫郷政所職の代官となり,旱水損等地下の煩をいわず契約年貢を請け負うことを誓約[(2)黄梅院-1].
1459 長禄3 5 13 敦賀の合戦で堀江方が敗北[雑事記].
1459 長禄3 5 27 甲斐方の軍勢,府中を制圧[(2)醍醐寺-97・98].
1459 長禄3 5 朝倉孝景が足羽郡北庄に下着する[日下部系図].
1459 長禄3 5 守護武田氏,遠敷郡太良荘に越前発向陣夫を賦課[タ-161].
1459 長禄3 7 23 坂井郡長崎に堀江氏の軍勢が陣を取り,同郡河口荘に年貢などを催促[雑事記].
1459 長禄3 7 遠敷郡太良荘百姓,若狭の不穏な状態を告げ,この大事に下向しない代官を非難し,前代官中尾幸聡を推す[ぬ-41].
1459 長禄3 8 11 足羽郡和田荘などの合戦で守護方が甲斐方に敗北し,総大将の堀江利真をはじめ,朝倉豊後守父子・同新蔵人・同掃部,平泉寺大性院・豊原寺成舜院らが戦死[雑事記,朝倉家記所収文書].
1459 長禄3 8 12 越前守護代の甲斐常治が死去する[雑事記,碧山日録].
1459 長禄3 9 17 幕府倉奉行籾井信久,坂井郡本庄郷の公文・政所など堀江氏の闕所の代官に補任される[雑事記].
1459 長禄3 9 29 越前の興源寺が将軍家の祈願寺となる[蔭凉軒日録].
1459 長禄3 9 29 坂井郡河口荘細呂宜郷上方の興禅寺が,後花園天皇の祈願所となる[雑事記].
1459 長禄3 10 20 大野郡井野部郷の名主,同郷内に乱入した軍勢により百姓2人が討たれたことを報じ,武家代官梁田氏を退け,直務支配とすることを領主醍醐寺に要求[(2)醍醐寺-99].
1459 長禄3 10 22 幕府,管領と結ぶ中尾幸聡の遠敷郡太良荘押領を停止[ヒ-74].
1459 長禄3 11 朝倉孝景,坂井郡河口荘山荒居郷の代官職に補任される[雑事記].
1460 寛正1 1 18 南条郡河野浦の納所注文に,河野浦の刀祢・百姓が「大滝さつし(雑紙)」を隔年に与えられるとみえる[刀祢文書].
1460 寛正1 3 22 朝倉孝景,籾井信久の所領河口荘本庄郷などの諸職を押妨することを幕府より停止される[雑事記].
1460 寛正1 4 千秋浄祐跡の丹生郡野田本郷を一色政煕に宛行う[(2)古証文-1].
1460 寛正1 8 22 丹生郡志津荘総持寺とその塔頭伝泉院(伝泉庵)が寺領を安堵される[蔭凉軒日録].
1460 寛正1 8 25 越前の瑞勝寺領に対する諸方の押妨を退け,寺領が安堵される[蔭凉軒日録].
1460 寛正1 9 23 遠敷郡太良荘百姓,連署起請文により東寺提案の損免半分を拒否し,3分2免除を求める[フ-131].
1460 寛正1 (9) 7 越前の瑞勝寺領が再び不知行となる[蔭凉軒日録].
1460 寛正1 (9) 21 堀江民部,坂井郡細呂宜郷下方奪回のため乱入するが,百姓の抵抗を受け,金津道場の仲介により徹兵[私要鈔].
1460 寛正1 この年遠敷郡小南金屋が梵鐘(秋田県鹿角市大日堂蔵)を鋳る[日本古鐘銘集成]./飢饉[碧山日録]./斯波義敏,朝鮮に使者を派遣する[海東諸国記].

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