Fukui Prefectural Archives

福井県史年表

Chronology

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1521~1540年

西 暦 和 暦 事 項
1521 大永1 5 23 儒学者の高辻章長が越前に赴く[公卿補任].
1521 大永1 6 10 敦賀郡司朝倉教景,木崎郷名分半済を松田氏に安堵し,敗訴した西福寺には逃亡した名代の跡職を与える[(8)西福寺-195].
1521 大永1 9 26 足羽郡浅水の金橋の架設のための出銭を,今立郡神明社祝屋敷は免除される[(5)瓜生守邦-18].
1521 大永1 10 武田元光,幕府および細川高国邸で猿楽能を張行する[親孝日記,二水記].
1521 大永1 11 19 武田元光,若狭に下る[実隆公記,二水記].
1521 大永1 11 小浜八幡宮多宝塔供養の勧進が行われる[(9)八幡神社-1].
1521 大永1 12 3 武田元信が死去する[宣胤卿記抜書,系図纂要].
1521 大永1 この年足羽郡石場の商人小武太郎三郎(のちの慶松氏)により,祥雲寺(現崇福寺)が創建される[祥雲寺由緒書].
1522 大永2 3 2 三条西実隆,3月13日の武田元信百日忌のために,武田元光に法華経寿量品を贈る[再昌草].
1522 大永2 3 三方郡上瀬社(宇波西社)の「上瀬宮祭礼御神事次第」が作成される[(8)宇波西神社-7].
1522 大永2 5 25 興福寺大乗院門跡経尋,維摩会に充てる坂井郡河口・坪江両荘段銭徴収を朝倉孝景に依頼[経尋記].
1522 大永2 8 9 丹生郡風尾勝鬘寺明真ら越前高田派4か寺院が,和談により専修寺住持となった真智に従うと誓約[(2)専修寺-6].
1522 大永2 8 22 朝倉孝景,祈願所滝谷寺の出陣・陣僧を免除[(4)滝谷寺-5].
1522 大永2 9 大野郡平泉寺衆徒,白山権現社殿修造のため美濃国の棟別銭と知識米を寄付されるよう求める[(2)東山御文庫記録-27].
1522 大永2 この年遠敷郡名田荘が大水害を受け,百姓が欠落ちする[大徳寺文書]./武田元光が後瀬山城を築城する[若狭国伝記,長源寺文書].
1523 大永3 2 3 三方郡日向浦の網場相論にさいし,浦内百姓・麹屋・庵室・隣の早瀬方惣中などより訴訟費用が寄せられる[(8)渡辺六郎右衛門-22].
1523 大永3 4 10 連歌師宗長,大徳寺山門造営勧進のため,越前へ出発する[実隆公記].
1523 大永3 4 18 吉田郡大工新原住藤原朝臣彦左衛門吉久,丹生郡小樟の看景寺梵鐘を鋳造[看景寺梵鐘銘].
1523 大永3 5 14 朝倉孝景,坂井郡竜沢寺領の榎富中荘本所方・門前における,斎藤・上林・武曽氏らの押妨停止を命令[(4)龍澤寺-18].
1523 大永3 8 小浜代官粟屋元隆,青苧座本所の三条西実隆の依頼を受け,越後の青苧船を小浜津に留置き,本所への上納金を要求する[実隆公記].
1523 大永3 9 25 大野郡平泉寺において臨時祭礼児流鏑馬が行われ,寺領吉田郡藤島荘の荘官中村氏が485貫文の費用を負担[(7)白山神社-1].
1523 大永3 11 13 小浜係留の青苧船のことにつき,青苧商人が100貫文の支払いを約束[実隆公記].
1524 大永4 3 丹生郡尼か谷・老原・小河の衆が越知山神領の木を伐採し,神事負担を怠るとして大谷寺が訴える[(5)越知神社-36].
1524 大永4 5 16 幕府,大飯郡本郷における武田家臣松宮宗永の違乱を武田元光に命じて停止させる[(2)本郷-153].
1524 大永4 7 18 遠敷郡羽賀寺,開帳による堂舎修造を許可する綸旨を得る[(9)羽賀寺-18].
1525 大永5 5 19 朝倉教景(宗滴),近江浅井氏を攻撃中の六角定頼を援助するため近江に出兵[当国御陳之次第].
1525 大永5 5 23 敦賀郡西福寺,丹後に出陣する疋田景保より陣僧の催促をうけるが,先例により郡司から免除される[(8)西福寺-208].
1525 大永5 9 25 幕府,近江朽木氏に対し,武田元光に従い丹後に出兵すべきことを命じる[(2)朽木家-48].
1526 大永6 12 26 武田元光,細川高国の要請で大軍を率いて上洛[(9)羽賀寺-27,二水記].
1527 大永7 1 敦賀郡江良浦が無断で天野与一に売却されたことにつき,浦人が抗議[(8)刀根春次郎-6].
1527 大永7 2 13 武田元光軍,将軍義晴・細川高国方として京都西七条川勝寺で三好・柳本軍と戦い,多くの家臣を失う[言継卿記].
1527 大永7 4 4 三方郡御賀尾浦が丹後の海賊の襲撃を受ける[(8)大音正和-228].
1527 大永7 10 6 朝倉教景以下の軍勢が近江坂本に到着[二水記].
1527 大永7 10 13 足利義晴に従い越前衆が入京[厳助往年記].
1527 大永7 11 19 朝倉孝景軍,京都西院口で合戦[(2)松雲公-22].
1527 大永7 11 29 朝倉氏家臣の前波氏以下3,000余の兵が重ねて上京する[厳助往年記].
1528 享禄1 5 25 朝倉孝景,将軍足利義晴の御供衆に加えられる[朝倉系図].
1528 享禄1 7 15 若狭大旱魃のための雨請祈念により,降雨[(9)羽賀寺-27].
1528 享禄1 9 6 武田元光,小浜公用6か月分を朝廷に納入する[実隆公記].
1528 享禄1 11 28 朝倉孝景,織田剣社と織田寺の年貢収納分と下行分(支出分)を安堵し,修造料分を他の費用に流用することを戒める[(5)劒神社-29~31・50・51].
1528 享禄1 この年永平寺,峨山派のなかで排除されてきた源翁派の下総安穏寺に請状を出すが,関東の了庵派を中心とする他派から猛反対を受ける[孝顕寺文書].
1529 享禄2 2 16 儒学者清原宣賢,朝倉孝景の招きにより越前に下る[公卿補任,実隆公記].
1529 享禄2 3 13 朝倉孝景,越前国内(一乗谷か)に三昧の地を開くことを後奈良天皇より許される[御湯殿上日記].
1529 享禄2 5 8 朝倉孝景,丹生郡小河村百姓の越知山神領での材木伐採と炭焼を禁止し、大谷寺領を安堵[(5)越知神社-39・40].
1529 享禄2 5 近江高島郡五ケ商人,同国の得珍保の商人を小浜から締め出すため小浜代官の粟屋元隆に訴える[(2)今堀日吉神社-3~7].
1529 享禄2 6 朝倉孝景,京都を逃れた細川高国を迎え,また南条郡今庄に関所を立てて高国牢人を吟味する[(2)朽木家-50].
1529 享禄2 7 19 南条郡府中広瀬村が大虫之社・岡本・太田野三か村に対して止めていた輪番用水を,一乗谷裁許と府中奉行人の意見により流す[(6)田中四郎兵衛-1].
1530 享禄3 8 21 小浜誓願寺において千部経読誦が始まる[(9)羽賀寺-27].
1530 享禄3 この年秋,武田氏が内裏進懈怠段銭と称し,遠敷郡今富の寺社・百姓に段銭を賦課する[(9)羽賀寺-27].
1530 享禄3 11 15 大飯郡一乗寺本堂修理の勧進が行われる[(9)中山寺-20].
1530 享禄3 11 21 南条郡大塩八幡社の大破を地頭の大瀬千光坊が訴え,朝倉孝景が神祭料地を報告させ修造を命じる[(6)大塩八幡宮-14].
1530 享禄3 この年南条郡帆山寺の造営勧進が開始される[(2)曼殊院-2].
1531 享禄4 5 加賀一向一揆内で,実如兄弟の加賀在住4か寺派(小一揆派)と越前の超勝寺・本覚寺派(大一揆派)との内紛がはじまる.
1531 享禄4 7 5 遠敷郡羽賀寺,多田ケ岳での雨請祈祷の登番僧を鬮取りによって派遣し,12日の降雨をもたらす[(9)羽賀寺-27].
1531 享禄4 8 6 武田氏重臣の粟屋元隆,子孫繁栄・武運延洪を遠敷郡名田荘長田寺に祈願し,縁起を閲覧する[(9)妙楽寺-27].
1531 享禄4 8 22 朝倉孝景,能登畠山勢らとともに小一揆派助勢を名目に加賀一向一揆に介入[当国御陳之次第].
1531 享禄4 10 4 若狭3郡の百姓代表が小浜塩浜小路紙屋を本拠として武田氏に徳政を愁訴し,認められる[(8)大音正和-235,(9)羽賀寺-27].
1531 享禄4 12 27 辻道場惣中の時宗僧住持良阿ら,遠敷郡常満保地蔵丸名を礼銭18貫文で明通寺に売却[(9)妙楽寺-6].
1531 享禄4 12 朝倉氏が国中寺庵役を賦課する[(5)越知神社-42].
1531 享禄4 この年朝倉孝景,自詠の30首歌の批評を京都の三条西実隆に求める[再昌草].
1532 天文1 1 20 大野郡穴馬城で合戦[(2)宇都宮-1].
1532 天文1 3 21 武田元光,遠敷郡正照院を若狭の真言根本の寺と定め,寺法を制定[(9)萬徳寺-4].
1532 天文1 4 10 遠敷郡小野寺で「若狭国神名帳」が書写される[(9)小野寺-2].
1532 天文1 7 11 清原宣賢,小浜栖雲寺の潤甫周玉のもとで「孟子」を講じ始める[孟子抄奥書].
1532 天文1 8 24 今立郡立町郷の去年検地のとき豊綱・友定が百姓の川崩れ隠田を告発した報償として作職を与えられる[(5)馬場一郎-2].
1532 天文1 8 越前へ亡命した加賀小一揆勢が,加賀国江沼郡へ侵攻する[朝倉始末記].
1532 天文1 9 25 越前,次いで遠敷郡谷田寺に逃れていた細川晴国が丹波に移る[(9)羽賀寺-27].
1532 天文1 この年秋,武田元光の兄潤甫周玉が三方郡に出奔し,次いで遠敷郡矢田部の雲外寺に移る[(9)羽賀寺-27].
1532 天文1 10 30 朝倉孝景,大谷寺山伏たちが垂髪を立て俗人化したため,山門梶井門跡の指示に任せ,今後は衆徒が大谷寺を取り仕切るよう命じる[(5)越知神社-44].
1532 天文1 11 9 近江斤屋の海運と商売は敦賀郡川舟を用いること,敦賀郡斤屋の直買は厳禁することを郡司が確認[(8)道川-2].
1532 天文1 この年吉田郡護田寺が河合荘岩坂の地から弘祥寺の傍に移転し,中興開山の桃渓悟の肖像画に月舟寿桂の賛を依頼[幻雲文集].
1533 天文2 3 25 朝倉氏が越前において去年より本願寺門徒を厳しく吟味したところ,大野郡恵光寺は念仏を停止したが,本願寺派でなければ別儀なしと大野郡司が伝える[(7)恵光寺-1].
1533 天文2 5 丹生郡大谷寺,越知山の支配する蚕種上分に対する先の請負人高間次郎左衛門の干渉を停止されるよう,朝倉氏に訴訟[(5)越知神社-46].
1533 天文2 12 14 小浜代官粟屋元隆,遠敷郡長源寺に禁制を発する[(9)長源寺-19].
1533 天文2 この年月舟寿桂により「幻雲稿」「月舟和尚語録」が成る.
1534 天文3 2 13 敦賀において,河舟衆以外の入買いが禁止される[(8)道川-4].
1534 天文3 6 21 越前府中の正金与太郎の紙座の認可を得た近間藤四郎が紙を売ることを,今立郡水落の代官が認める[(5)瓜生守邦-23].
1534 天文3 9 越前へ亡命した加賀小一揆勢,再び加賀国江沼郡へ侵攻[朝倉始末記].
1534 天文3 この年窪田統泰,粟屋元隆の庇護のもと,小浜の長源寺において「日蓮聖人註画讃」を描き始める[同奥書].
1535 天文4 4 22 朝倉孝景が塗輿を将軍より認められる[朝倉系図].
1535 天文4 10 1 武田氏,丹後田辺を攻撃する[(9)羽賀寺-27].
1535 天文4 11 朝倉孝景,後奈良天皇の即位式に1万疋を献じる[御湯殿上日記].
1535 天文4 この年若狭は大旱魃となり,2月17日から6月29日までほぼ降雨なし[(9)羽賀寺-27]./富小路資直の「資直越前紀行」「資直詠草」が成る[同書跋]./野辺地湊(陸奥国)の五十嵐甚右衛門家の初代が,越前の三国に移住したと伝える[五十嵐甚右衛門家文書].
1536 天文5 2 11 遠敷郡羽賀寺に寄進された田2町・畠2所について寺家と百姓が武田氏のもとで争うが,この後に和談する[(9)羽賀寺-27].
1536 天文5 3 22 浄土宗知恩寺派の西方寺,一乗谷内に三昧精舎を建立する勅許を得る[(2)東山御文庫記録-30,御湯殿上日記].
1536 天文5 5 22 武田氏,丹後田辺城を攻略する[(9)羽賀寺-27].
1536 天文5 5 27 遠敷郡神宮寺,百姓牛馬の門内出入りを厳禁[(9)神宮寺-39].
1536 天文5 7 2 天文法華の乱.将軍義晴,京都に警護の兵を派遣するよう,朝倉孝景・武田信豊に命じる[(2)松雲公-23・24,御内書案].
1536 天文5 8 25 遠敷郡神宮寺が武田元光の了解を得て,延暦寺の要請する京都の天文法華の乱に出陣[(9)神宮寺-40・41].
1536 天文5 8 三方郡御賀尾浦と常神浦の網場相論が武田氏のもとでの裁判となり,検使が網場を実見する[(8)大音正和-237].
1536 天文5 9 9 朝倉孝景,谷野一栢に命じて熊宗立の編集した医学書「八十一難経」を校正出版させる[八十一難経奥書].
1536 天文5 9 12 今立郡水落代官の小嶋雪悦,町人の水落神明社神役を定め,売買屋敷地からの神役負担を命令[(5)瓜生守邦-25].
1536 天文5 9 20 武田元光,小浜西福寺の貸付米銭・興業頼子・買得田畠山林は寺の修造料として徳政の時は延公事とする[(9)西福寺-32].
1536 天文5 この年秋,小浜長源寺において,窪田統泰の描く「日蓮聖人註画讃」が成る[同奥書].
1536 天文5 11 2 南条郡池太良番頭中野兵衛と間人らの番頭手作地と日追公事についての紛争を,府中奉行人が裁定する[(6)中野貞雄-1].
1537 天文6 6 5 敦賀郡江良浦が去年網を再興したので肴納入を課せられるが,先例なしと訴え郡司より3年間猶予される[(8)刀根春次郎-7].
1537 天文6 6 28 朝倉氏,坂井郡河口荘十郷と東長田の用水について鳴鹿井堰普請の定書を下す[(4)大連三郎左衛門-1].
1537 天文6 12 28 大覚寺義俊,将軍足利義晴の意向を受け,越前・加賀両国間の通路を開くため本願寺証如と朝倉孝景の交渉の仲介を始める[天文日記].
1537 天文6 この年冬,若狭で前代未聞の盗人蜂起あり[(9)羽賀寺-27].
1538 天文7 2 27 武田氏重臣の粟屋元隆,丹後田辺に出奔[(9)羽賀寺-27].
1538 天文7 4 4 敦賀郡手浦が海賊に襲われ,刀祢が戦死[(8)秦実-23].
1538 天文7 7 15 若狭についての不穏な噂が流れたため,将軍が武田元光と永元寺氏に対し御内書を発する[御内書案].
1538 天文7 7 17 武田信豊,家臣粟屋元隆の叛乱の動きを鎮めるため遠敷郡谷田寺に出陣[(9)羽賀寺-27].
1538 天文7 7 27 武田信豊,謀反を起こした粟屋元隆を攻撃し,元隆は遠敷郡名田荘より逃亡[(9)羽賀寺-27,親俊日記].
1538 天文7 9 8 粟屋元隆が丹波に赴き,細川晴元家臣の支援を得て若狭に乱入しようとする[大館常興日記].
1538 天文7 9 20 朝倉氏のもとにいた武田信孝の若狭乱入を制止するよう,幕府が朝倉孝景に命じる[大館常興日記].
1538 天文7 9 29 武田信豊,若狭に侵入しようとする越前勢の背後をおびやかすため,本願寺証如に加賀勢の越前侵入を依頼[天文日記].
1538 天文7 10 23 武田元光,幕府から大草公広へ返却するよう命じられた大飯郡青郷支配の3年間延長を望む[(2)成簣堂文庫-5].
1538 天文7 11 15 武田軍,丹後加佐郡水真村で合戦[(2)白井家-27].
1539 天文8 3 25 若狭から朝倉女房衆が上洛し,野依氏宅を宿とする[親俊日記].
1539 天文8 8 8 武田元光,病気養生のため鞍馬に赴く[親俊日記].
1539 天文8 8 17 不作の若狭を洪水が襲う[(9)羽賀寺-27].
1539 天文8 8 26 越前の善応寺が公帖を与えられる[鹿苑日録].
1539 天文8 8 26 敦賀気比社社家,遠敷郡羽賀寺僧の指導を受けて管絃楽を気比本宮などで奏し,この日帰国の寺僧を見送る[(9)羽賀寺-27].
1539 天文8 10 7 永平寺を「日本曹洞第一」の出世道場であるとする後奈良天皇綸旨が出される[(4)永平寺-14].
1539 天文8 10 7 越前勢と洲崎氏らが申し合せて加賀へ乱入するとの噂が流れる[朝倉始末記,天文日記].
1539 天文8 10 17 小浜地下人吉宗朔入道,武田信豊より国中諸買徳地の知行を安堵される[若狭国志伴信友註].
1539 天文8 この年遣明使策彦周良,若狭生酒を携えて明国に渡る[若狭郡県志]./足羽郡弘祥寺の功浦洞丹,臚雪鷹
と漢詩文を交わす[臚雪藁]./武田信豊が従五位下・伊豆守に叙される[歴名土代].
1540 天文9 3 11 武田信豊,近年寄進鋳物鋳造と称して他国職人を呼ぶことを禁止し,若狭金屋職の独占営業を保証[(9)芝田孫左衛門-5].
1540 天文9 5 28 加越通路と和平問題につき,朝倉孝景が本願寺証如に5か条の条件をつけたため,交渉が決裂[天文日記].
1540 天文9 6 1 武田信豊,遠敷郡羽賀寺を祈願所とし,寺領・竹原天満宮供僧職・年貢収納などを保証する条々を定める[(9)羽賀寺-20].
1540 天文9 7 13 遠敷郡神宮寺の預職が秋彼岸田・預給田を売却し,仏事が退転したので武田氏が売却地取戻しを命じる[(9)神宮寺-47].
1540 天文9 7 17 越前軍,丹後海賊への報復のため500艘の船をもって加佐郡に侵入するが,さしたる戦果なく引き返す[(9)羽賀寺-27].
1540 天文9 8 11 若狭で洪水あり[(9)羽賀寺-27].
1540 天文9 8 25 越前衆,美濃郡上郡に乱入し,山田篠脇城を攻撃するも,反撃を受け9月23日に越前に撤兵[長滝寺文書荘厳講執事帳].
1540 天文9 8 武田信豊,代替りにともなう段銭を賦課する[(9)羽賀寺-27].
1540 天文9 10 8 朝倉孝景,敵対している一族の景高を将軍義晴が許容しなかった礼銭として50貫文を送る[(2)越前へ書札案文-33].
1540 天文9 11 9 三方郡日向浦弥五郎兵衛ら,指嶋の鰒網場を遠敷郡多烏浦刀祢三郎五郎に売却[(9)大野治郎太夫-2].
1540 天文9 この年坂井郡竜沢寺の大工職の紛争が解決し,退出していた住持・衆僧が帰国[(4)龍澤寺-41]./大野郡司朝倉景高,兄の孝景から国を追われる[(2)越前へ書札案文-33].

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