Fukui Prefectural Archives

福井県史年表

Chronology

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1581~1600年

西 暦 和 暦 事 項
1581 天正9 1 16 佐々成政,今立郡大滝掃部に奉書紙の権限を認める判物を下す[三田村士郎家文書].
1581 天正9 2 柴田勝家,上洛して織田信長に加賀平定を報告[信長公記].
1581 天正9 3 坂井郡竜沢寺,伽藍再興のため勧化を行う[龍澤寺文書].
1581 天正9 3 顕如,信長が分国中の門徒の本願寺参詣を許可した旨を報じる[円和寺文書].
1581 天正9 4 16 信長,溝口秀勝に病死した高浜城主逸見昌経の本地分を宛行う[溝口家文書].
1581 天正9 4 ルイス・フロイス,府中を経て北庄を訪れ布教[フロイス日本史,イエズス会士日本通信].
1581 天正9 8 17 信長,前田利家に能登一国を与える[信長公記].
1581 天正9 8 27 正親町天皇,後奈良天皇の25回忌につき遠敷郡羽賀寺に本尊開帳を指示[羽賀寺文書].
1581 天正9 10 2 信長,利家に菅屋長頼への所領引渡しを命じる[尊経閣文庫所蔵文書].
1581 天正9 11 16 勝家,三国湊に対して定書を出す[森田正治家文書].
1581 天正9 この年真智死去.その後熊坂専修寺没落[片聾記].
1582 天正10 2 21 柴田勝安,大野郡新村の村立てを許可し台所入とする[久保長右衛門家文書].
1582 天正10 3 8 前田利家,南条郡河野浦に対し船寄山を安堵[中村三之丞家文書].
1582 天正10 6 2 本能寺の変,織田信長死去.
1582 天正10 6 13 羽柴秀吉,山崎の戦いで明智光秀を破る.
1582 天正10 6 18 柴田勝家,近江坂田郡加田荘に禁制を与える[小川武右衛門氏所蔵文書].
1582 天正10 6 27 清洲会議,勝家と秀吉が対立[多聞院日記].
1582 天正10 7 19 武田元明,近江海津法雲寺で殺される[高野山過去帳].
1582 天正10 7 28 遠敷郡妙楽寺,丹羽長秀に指出を提出[妙楽寺文書].
1582 天正10 8 22 長秀,小浜長源寺に寺領安堵状を出す[長源寺文書].
1582 天正10 8 24 柴田勝豊,近江国坂田・浅井・伊香の3郡に徳政令を発する[菅浦文書].
1582 天正10 8 25 長秀,小浜西福寺に寺領安堵状を出す[西福寺文書].
1582 天正10 10 21 長秀,国侍を近江海津の城番として動員[山庄家文書].
1582 天正10 10 お市,3人の娘を連れて北庄に赴く.
1582 天正10 11 2 勝家,長浜に軍勢を派遣[中村不能斎採集文書].
1582 天正10 12 秀吉,長浜城の勝豊を包囲し降伏させる[兼見卿記].
1582 天正10 この年三門徒派専照寺,北庄堀小路に移る.
1583 天正11 2 20 丹羽長秀,小浜の桑村氏の船公事家役を免除[桑村文書].
1583 天正11 2 27 長秀,羽柴秀吉に越前口を押さえていることを報じる[上野五左衛門氏所蔵文書].
1583 天正11 3 3 柴田勝家軍,北庄をたって近江国伊香郡柳ケ瀬に本陣を構える.
1583 天正11 3 20 柴田勝安,大野郡新村の夫役を免じ還住を命じる[久保長右衛門家文書].
1583 天正11 4 21 賎ケ嶽の戦い.
1583 天正11 4 22 秀吉,「さばや船頭中」に諸役免許状を出す[舟津五丁目区有文書].
1583 天正11 4 24 秀吉,北庄城を陥落させる.
1583 天正11 4 24 秀吉,「あこ大渡船頭中」「あこ小渡船頭中」へ諸役免許状を出す[石倉家文書,越前国名蹟考].
1583 天正11 4 24 秀吉,三国湊に兵粮・預け物などについての覚を出す[森田正治家文書].
1583 天正11 4 長秀,越前に転封.
1583 天正11 4 堀尾可晴,大飯郡に入部[譜牒余録].
1583 天正11 4 秀吉・長秀,越前所々に禁制を与える[白山神社文書,昌蔵寺文書など].
1583 天正11 5 2 長秀の家臣成田重政,袋田(勝山)へ入る[久保長右衛門家文書].
1583 天正11 5 4 長秀,三国津問丸中に諸国商人へ三国入津をうながすよう伝える[森田正治家文書].
1583 天正11 5 7 長秀,家臣上坂大炊助に知行宛行状を発給[松雲公採集遺編類纂].
1583 天正11 5 25 長秀,鯖江誠照寺に還住を促し,諸役を免除[誠照寺文書].
1583 天正11 5 蜂屋頼隆,敦賀郡西福寺に禁制を与える.これより前,敦賀郡の領主となる[西福寺文書].
1583 天正11 5 長秀,越知山室大谷寺・門前に定を出す[越知神社文書].
1583 天正11 6 12 長秀,高田専修寺に対し諸役を免除[法雲寺文書].
1583 天正11 6 29 長秀,鋳物所に定を出す[成簣堂文庫所蔵文書].
1583 天正11 6 長秀,筒井公文所に諸役免許状を与える[大河内区有文書].
1583 天正11 7 26 秀吉,小浜の豪商木下和泉に遠敷郡虫生村で知行を与える[岡本栄之氏所蔵文書].
1583 天正11 7 長秀,翌月にかけて国枝半介ら家臣に領知を宛行う[土佐国蠹簡集残篇など].
1583 天正11 8 14 頼隆,敦賀の道川氏に地子・諸役・櫂役を免除[道川文書].
1583 天正11 8 21 長秀,北庄の小武太郎三郎屋敷に地子銭と祥雲寺屋敷を免許[慶松勝三家文書].
1583 天正11 11 5 長秀,北庄の橘屋三郎左衛門に地子銭・臨時諸役を免除[橘栄一郎家文書].
1583 天正11 11 20 金森長近,大野専福寺に友兼村内の屋敷方壱縄を免除[専福寺文書].
1583 天正11 11 26 頼隆,敦賀本妙寺に諸役を免除[本妙寺文書].
1583 天正11 この年木村隼人佐,若狭で検地を実施[宇波西神社文書].
1584 天正12 4 13 羽柴秀吉,小浜の木下和泉に西路まで塩100石の輸送を命じる[岡本栄之氏所蔵文書].
1584 天正12 4 15 穴馬八ケ衆,大野郡野津俣長勝寺に帰参を誓約[法勝寺文書].
1584 天正12 7 丹羽長秀,越前で検地を実施.
1584 天正12 8 18 木村隼人佐の家臣木村由信,三方郡早瀬浦へ裁許状を出す[早瀬区有文書].
1584 天正12 8 長秀,家臣へ領知を宛行う[長井健一家文書].
1584 天正12 12 22 結城秀康,秀吉の養子として大坂に送られる[家譜].
1584 天正12 この年南条郡池大良浦・大谷浦・糠浦,網手米を納入[宮川源右ヱ門家文書].
1585 天正13 4 16 丹羽長秀死去,子の長重があとを継ぐ[寛政譜].
1585 天正13 5 1 南条郡河野浦と今泉浦との網場争論,諸浦の扱いにて内済[西野次郎兵衛家文書].
1585 天正13 5 28 羽柴秀吉,小浜の木下和泉に加賀へ米の輸送を命じる[岡本栄之氏所蔵文書].
1585 天正13 5 長重,7月にかけて領内寺社・商人などに領知安堵状,諸役免許状を出す[称念寺文書,橘栄一郎家文書など].
1585 天正13 6 2 山内一豊,大飯郡を領する[山内家史料].
1585 天正13 6 13 長秀の家臣山田高定,長井左京亮に吉田郡内などで300石を宛行う[長井健一家文書].
1585 天正13 7 25 北庄の一乗町紺屋中17人,役銭などについて定を作成[橘栄一郎家文書].
1585 天正13 7 金森長近,飛騨に入り一時制圧[岐阜県史].
1585 天正13 (8) 13 溝江長氏,秀吉から坂井郡金津で3,000石を宛行われる[中村不能斎採集文書].
1585 天正13 (8) 13 堀秀政,秀吉から越前北庄29万石を宛行われる.この月,家臣に知行を宛行う[松雲公採集遺編類纂].
1585 天正13 (8) 14 木村隼人佐,秀吉の指示で野辺四郎右衛門尉に越前国中蝋燭司を命じる.これより前,若狭佐柿から府中に入部[内田吉左衛門家文書].
1585 天正13 (8) 19 長谷川秀一,石屋中に条々を与える.これより前,足羽郡東郷へ入部[木戸市右衛門家文書,多聞院日記].
1585 天正13 (8) 21 山内一豊,近江に転封.
1585 天正13 (8) 21 蜂屋頼隆,敦賀船の先積みの法を定め保護[道川文書].
1585 天正13 (8) 25 長谷川秀一,足羽郡祥雲寺の諸役を免除[慶松勝三家文書].
1585 天正13 (8) 28 長重,小浜八幡宮に禁制を与える.その後あいついで領内諸寺社に禁制を与える.これより前,北庄から若狭一国へ転封[八幡神社文書,兼見卿記など].
1585 天正13 (8) 丹羽長秀の次男長正,秀吉から領知500石を宛行われる[丹羽歴代年譜].
1585 天正13 9 2 堀秀政,北庄鋳物師に諸役を免除し,屋敷を与える[松村文書].
1585 天正13 10 秀政,永平寺・長崎称念寺・西教寺に寺領を寄進[永平寺文書,称念寺文書].
1585 天正13 11 3 長重,小浜の桑村四郎右衛門に船公事家役などを免許[桑村文書].
1585 天正13 この年北庄一乗町の中に「一乗之魚屋町」がみえる./金森長近,別山に社殿を建立.
1586 天正14 1 18 豊臣秀吉,溝江長氏に越前において3,500石を宛行う[中村不能斎採集文書].
1586 天正14 この年金森長近飛騨へ転封,その跡へ青木一矩が入る.
1587 天正15 3 丹羽長重,加賀松任4万石に転封[寛政譜].
1587 天正15 3 結城秀康,14歳で初陣[家譜].
1587 天正15 9 5 浅野長吉,若狭一国を拝領[浅野家文書].
1587 天正15 10 20 長吉,領内の村むらに7か条の条々を出す[渡辺市左衛門家文書など].
1587 天正15 10 長吉,小浜長源寺に禁制を与える[長源寺文書].
1587 天正15 11 16 長吉,小浜神明社に社領を寄進[神明神社文書].
1587 天正15 この年酒井忠勝,忠利の子として三河に生まれる[寛政譜].
1588 天正16 2 24 浅野長吉の奉行人,遠敷郡本保村に5か条の定を出す[清水三郎右衛門家文書].
1588 天正16 6 長吉,若狭一国の惣検地を実施.
1588 天正16 11 長吉,領内所々に禁制を与え,かつ領知を寄進[妙光寺文書など].
1588 天正16 この年若狭に約1万石の豊臣氏蔵入地が設定される.
1589 天正17 1 24 浅野長吉,遠敷郡熊川村に諸役免除の判物を与える[熊川区有文書].
1589 天正17 4 25 鯖江の誠照寺再興,後陽成天皇綸旨が出される[誠照寺文書].
1589 天正17 7 24 毫摂寺,勅願寺の綸旨をうけ,粟田口青蓮院の院家となる[本山毫摂寺文書].
1589 天正17 8 2 蜂屋頼隆,敦賀の高嶋屋伝右衛門に地子を免除[小宮山文書].
1589 天正17 9 25 頼隆死去,その跡に大谷吉継が入部.
1589 天正17 10 2 赤座吉家,南条郡大桐村に灰焼きの独占的営業を認める[前川三左衛門家保管文書].
1589 天正17 11 3 戸田茂右衛門,刀狩に際し三方郡佐田村に猪追いの槍10本を認める[田辺半太夫家文書].
1589 天正17 12 大谷吉継,敦賀西福寺に禁制を与える[西福寺文書].
1589 天正17 この年高嶋屋伝右衛門はすでに加賀藩の蔵宿を務めている[小宮山文書]./伊勢茶,敦賀に初めて来る[旧西村孫兵衛家文書].
1590 天正18 2 17 浅野氏,小浜の桑村玄作に馬役を免除[桑村文書].
1590 天正18 4 14 敦賀郡泉村の手浦山利用についての条々が定められる[秦実家文書].
1590 天正18 5 27 堀秀政死去,子の秀治が16万石を継ぐ[延岡堀文書].
1590 天正18 7 小田原の北条氏直,秀吉に降伏.
1590 天正18 8 6 結城秀康,結城晴朝の養子となり10万1,000石を継ぐ[家譜].
1590 天正18 12 6 青木一矩,大野最勝寺に寺領を寄進[最勝寺文書].
1590 天正18 12 10 秀康,奥州葛西一揆鎮圧のため白川へ出陣[家譜].
1590 天正18 この年大谷吉継,木村常陸介の領地の一部を得る.
1591 天正19 (1) 12 敦賀郡常宮浦と同郡沓浦,山境につき内済[山本宗右衛門家文書].
1591 天正19 (1) 堀秀治,領内の寺社・職人・商人に安堵状を発給[橘栄一郎家文書など].
1591 天正19 5 24 前田利家,高嶋屋伝右衛門に加賀・能登・越中から敦賀に運ばれた米すべての引渡しを命じる[小宮山文書].
1591 天正19 9 22 浅野長吉,若狭の蔵入地から6,500石加増される[浅野家文書].
1591 天正19 9 豊臣秀吉,朝鮮出兵を命じる.
1592 文禄1 2 3 大谷吉継,敦賀の道川氏に地子・諸役・舟3艘の役を免除[道川文書].
1592 文禄1 2 18 前田氏,敦賀から九州への米の輸送を高嶋屋に依頼[小宮山文書].
1592 文禄1 3 結城秀康,肥前名護屋に出陣[家譜].
1592 文禄1 9 8 浅野長継,小浜の桑村源作に朝鮮出兵のため領内諸浦の船水手改めを命じる[桑村文書].
1592 文禄1 11 24 本願寺顕如死去[本願寺史].
1592 文禄1 12 26 浅野長継,遠敷金屋中に若狭国金屋職を安堵[芝田孫左衛門家文書].
1592 文禄1 12 豊臣秀吉,教如に命じて本願寺を継がせる.
1593 文禄2 2 9 浅野長吉,小浜の組屋と古関に米3,000石と大豆1,000石の肥前名護屋への輸送を命じる[組屋文書].
1593 文禄2 2 豊臣秀吉,敦賀の商人塩屋新五郎に肥前名護屋への船の派遣を命じる[川船文書].
1593 文禄2 2 敦賀郡内から朝鮮出兵のための水主が徴用される[川船文書].
1593 文禄2 4 12 末吉二郎兵衛宛の秀吉朱印状に北袋銀山の記載がみえる[東末吉文書].
1593 文禄2 5 16 浅野氏,三方郡日向浦と早瀬浦の網場争論を裁許[渡辺六郎右衛門家文書].
1593 文禄2 (9) 16 教如,本願寺の裏方に隠居し,弟准如が本願寺を継ぐ[本願寺史].
1593 文禄2 11 20 長吉,甲斐へ転封[浅野家文書].
1593 文禄2 11 25 長谷川秀一の一族,専照寺の中野門徒に判物を出す[専念寺文書].
1593 文禄2 この年木下勝俊が小浜に,木下惟俊が高浜に入る.
1594 文禄3 1 19 豊臣秀吉,溝江長氏に伏見城普請役を命じる[中村不能斎採集文書].
1594 文禄3 2 長谷川秀一,出兵先の朝鮮で死去.
1594 文禄3 3 6 大谷吉継,敦賀の川舟兵衛三郎に伝馬1疋を与える[道川文書].
1594 文禄3 7 21 木下勝俊,若狭国中の本願寺末寺に禁制を与える[妙光寺文書].
1594 文禄3 11 5 勝俊,遠敷一宮領11石を寄進[若狭彦神社文書].
1594 文禄3 11 30 秀一の一族,石屋中に条々を与える[木戸市右衛門家文書].
1594 文禄3 12 11 小浜の組屋甚四郎,ルソン壷の請負売却代金を豊臣氏奉行前田玄以に皆済[組屋文書].
1595 文禄4 3 23 丹生郡塚原村,南条郡河野浦舟寄山を米8石で請け負う[中村三之丞家文書].
1595 文禄4 4 11 長谷川嘉竹,丹生郡西光寺に寺地を寄進[西光寺文書].
1595 文禄4 5 5 青木一矩,府中御霊宮別当へ禁制を与える[御霊神社文書].
1595 文禄4 6 10 松平忠直,下総結城に生まれる[家譜].
1595 文禄4 8 3 豊臣秀吉,湯浅茂左衛門に府中などで500石を宛行う[湯浅文書].
1595 文禄4 8 28 織田秀雄,大野郡友兼村専福寺の寺領を安堵し,大野最勝寺へ寺領を寄進[友兼専福寺文書,最勝寺文書].
1595 文禄4 10 10 木下勝俊,遠敷郡熊川町中に諸役を免許[熊川区有文書].
1595 文禄4 10 10 勝俊,遠敷郡羽賀寺に寺領50石を寄進[羽賀寺文書].
1595 文禄4 11 2 勝俊,領内に定を出す[清水三郎右衛門家文書].
1595 文禄4 11 4 敦賀郡浦底浦と色浜浦,そての網場などについて申しあわせる[色浜区有文書].
1595 文禄4 この年小浜の組屋源四郎,豊臣政権の米を津軽で請け負い,その輸送と売却にあたる[組屋文書]./秀吉,聚楽第を破却し新たに伏見城の建設を始める./敦賀の道川兵二郎や小浜の塩屋甚右衛門,太閤板を敦賀に輸送[秋田家文書].
1596 慶長1 1 15 長谷川嘉竹の家臣,大野郡畔川村の百姓中に役儀を免除[久保長右衛門家文書].
1596 慶長1 6 8 教如,「九ケ寺総坊」に親鸞聖人真影を下付[願念寺文書].
1596 慶長1 (7) 17 織田秀雄,生駒直勝に大野郡において1,509石を宛行う[成簣堂文書].
1596 慶長1 9 18 前田利家,高嶋屋に敦賀にある荷物の使者への引渡しを命じる[小宮山文書].
1596 慶長1 9 豊臣秀吉,朝鮮への再度出兵を決する.
1596 慶長1 この年三国の治兵衛・敦賀の高嶋屋久次・小浜の古関平右衛門,太閤板を敦賀に輸送[秋田家文書].
1597 慶長2 2 29 大谷吉継,敦賀の川舟兵三郎に地子銭と諸役・船役を免除[道川文書].
1597 慶長2 2 敦賀郡江良浦,村高や塩年貢などの指出を上げる[刀根春次郎家文書].
1597 慶長2 3 7 木下勝俊,田中宗徳に居屋敷の地子と諸役を免許[長井健一家文書].
1597 慶長2 4 26 堀秀治,三国問丸に京都への米の運送を命じる[森田正治家文書].
1597 慶長2 5 秀治,7月にかけて寺社や町人などに諸役を免除[滝谷寺文書など].
1597 慶長2 7 木下惟俊,高浜の妙長寺に禁制を与える[妙長寺文書].
1597 慶長2 8 10 秀治,大連に十郷用水の支配を命じる[大連彦兵衛家文書].
1597 慶長2 11 17 吉継,敦賀の永建寺に禁制を与える[永建寺文書].
1597 慶長2 12 14 松平忠昌,秀康次男として大坂に生まれる[家譜].
1597 慶長2 この年道川三郎左衛門と高嶋屋良左衛門,太閤板を秋田から敦賀に輸送[秋田家文書]./尊光寺,勝山に移る[勝山市史].
1598 慶長3 3 5 南条郡大良浦,大谷山について大谷浦に約定を出す[宮川五郎右衛門家文書].
1598 慶長3 4 2 堀秀治,越後春日山に転封,跡に小早川秀秋が入る[延岡堀文書].
1598 慶長3 7 20 越前の検地完了,石高49万石余から68万石となる.
1598 慶長3 7 28 豊臣秀吉,幸若小八郎・上田主水や丹羽長正の母に領地を加増[桃井雄三家文書,上田家文書,丹羽歴代年譜].
1598 慶長3 8 5 秀秋,家臣へ領知宛行を行う[松野文書など].
1598 慶長3 8 6 木村由信,大滝掃部に大滝村代官職を命じる[大滝神社文書].
1598 慶長3 8 18 秀吉死去.
1598 慶長3 8 22 長束正家,大谷寺に越知山の用木伐採を禁じる[越知神社文書].
1598 慶長3 12 1 戸田勝成,坂井郡黒目村の称名寺に寺領などを安堵[称名寺文書].
1598 慶長3 この年三国の利右衛門,敦賀の河野屋彦右衛門・彦十郎,小浜の塩屋甚右衛門,太閤板を秋田から敦賀に輸送[秋田家文書].
1599 慶長4 2 5 小早川秀秋,筑前・筑後へ転封.府中の青木一矩,北庄20万石に転封[毛利家文書].
1599 慶長4 2 20 敦賀郡浦底浦と色ケ浜浦,川向御所辻子町の無切手磯見漁を訴える[色浜区有文書].
1599 慶長4 (3) 10 一矩,北庄の橘屋に地子銭を免除するとともに,薬販売の特権を保証[橘栄一郎家文書].
1599 慶長4 6 13 豊臣氏五大老,府中方にて江原小五郎に1,000石,友松忠右衛門に500石を宛行う[荒尾文書,蠧簡集].
1599 慶長4 9 7 徳川家康,結城秀康に伏見城を守らせる[家譜].
1599 慶長4 10 1 堀尾可晴,府中城の留守居として5万石の領地を得て入部[内閣文庫所蔵古文書集].
1599 慶長4 12 26 家康,敦賀の田中清六に北国中の諸浦での諸役を免除[田中梓文書].
1599 慶長4 この年三国新保の新介,敦賀の道川孫左衛門,小浜の馬借屋孫三・中川小三郎・弥兵衛・溝尾源右衛門,太閤板を秋田から敦賀に輸送[秋田家文書].
1600 慶長5 2 21 今立郡の水落神明社,屋敷地の地子を免除される[瓜生守邦家文書].
1600 慶長5 2 26 大野郡御領村の伊藤家,置書を作成[伊藤三郎左衛門家文書].
1600 慶長5 4 8 豊臣氏大老,溝江長晴に知行を安堵[中村不能斎採集文書].
1600 慶長5 4 堀尾可晴,織田庄寺社に定を出し,また府中平吹権現に祭領を寄進[上坂一夫家文書,佐治覚右衛門家文書].
1600 慶長5 6 8 結城秀康,上杉景勝を討つため伏見を発つ[家譜].
1600 慶長5 7 2 南部利直,敦賀の道川氏に領内諸浦での舟役を免除[道川文書].
1600 慶長5 8 2 大谷吉継,南条郡今泉村に禁制を与える[西野次郎兵衛家文書].
1600 慶長5 9 15 徳川家康,美濃関ケ原に石田三成の西軍を破る.
1600 慶長5 9 20 前田利長,坂井郡長崎村称念寺に禁制を与える[称念寺文書].
1600 慶長5 9 23 木下勝俊の家臣,遠敷郡矢代浦に年貢の免状を出す[栗駒清左ヱ門家文書].
1600 慶長5 10 10 青木一矩病死除封,保科正光在番として北庄城に入る[橘栄一郎家文書].
1600 慶長5 10 12 京極高次,小浜の長源寺へ禁制を与える.これより前,高次に若狭一国8万5,000石が与えられる[長源寺文書など].
1600 慶長5 10 19 高次,小浜町人組屋六郎左衛門に志積浦などの代官を命じる[組屋文書].
1600 慶長5 11 6 可晴の家臣,今立郡大滝5か村に夫役紙などの特権を保証[大滝神社文書].
1600 慶長5 11 16 高次,遠敷郡金屋鋳物師の金屋職を安堵[芝田孫左衛門家文書].
1600 慶長5 11 高次,領内寺社に対し禁制を与え,寺領を寄進・安堵,また諸役を免除[広峰神社文書,長井健一家文書など].
1600 慶長5 11 初代幸若弥次郎,家康に音曲役として召し出される[辻嘉左衛門家文書].
1600 慶長5 11 秀康,越前一国68万石拝領[家譜].

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