Fukui Prefectural Archives

福井県史年表

Chronology

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1661~1680年

西 暦 和 暦 事 項
1661 寛文1 1 20 小浜藩江戸辰ノ口藩邸類焼[酒井家稿本].
1661 寛文1 3 敦賀・小浜など,江戸送りの荷物を信濃川経由で運ぶ計画に反対[寛文雑記].
1661 寛文1 4 江戸送りの荷物を信濃川経由で運ぶ計画,幕府老中の裁許により中止[寛文雑記].
1661 寛文1 6 福井藩,伝馬駄賃の公儀札を掲げる[西野次郎兵衛家文書].
1661 寛文1 8 福井藩,藩札を発行[家譜].
1661 寛文1 (8) 小浜八幡宮で操り芝居が行われる[拾椎雑話].
1661 寛文1 9 松平光通,永平寺へ高30石を忠昌追善の石塔料として寄進[永平寺文書].
1661 寛文1 9 酒井忠直,下野国安蘇郡4,550石を上知[酒井家稿本].
1661 寛文1 11 8 小浜藩,柴田権右衛門の敦賀郡市野々新田開発を許可[柴田一男家文書].
1661 寛文1 11 福井藩,百姓に対し福井藩や他藩の藩士に無礼がないよう再確認[上田重兵衛家文書].
1661 寛文1 11 忠直,安房国平群郡7,302石を賜る[酒井家稿本].
1661 寛文1 この年北国荷物の西廻りによる影響が敦賀湊にすでに出始めている[寛文雑記].
1662 寛文2 4 福井藩,家中の婚姻について規定を設ける[家譜].
1662 寛文2 5 1 大地震により小浜城郭破損,三方湖東部隆起[酒井家稿本].
1662 寛文2 5 23 小浜藩,浦見川普請工事を始める[行方弥平治家文書].
1662 寛文2 5 福井藩,領内の糸綿を他国他領に売ることを禁じる[上田重兵衛家文書].
1662 寛文2 7 12 酒井忠勝死去[寛政譜].
1662 寛文2 8 敦賀町奉行,町方仕置13か条を出す[敦賀市史].
1662 寛文2 12 福井藩,領内の要所に札場を置く[駒屋節二家文書].
1662 寛文2 この夏鯖江誠照寺の美濃廻檀始まる.
1662 寛文2 この年敦賀町今橋の西詰に海産物を取り扱う町(四十物町)の町立て始まる[敦賀志].
1663 寛文3 3 伊勢専修寺が真教を訴え,幕府裁許により「一向衆宮方法性寺」は再度破却される[三重県専修寺文書].
1663 寛文3 5 幕府,武家諸法度を改定し,殉死を禁じる.
1663 寛文3 8 16 土井利房,若年寄となる[寛政譜].
1663 寛文3 8 28 敦賀町奉行,荷物俵物などの運搬に関する条目を制定[酒井家稿本].
1663 寛文3 12 小浜藩,家中へ節倹を求める[林田英夫文書].
1663 寛文3 この年大野郡長野村の本百姓と新百姓,田地山の利用について争う[古世賀男家文書]./敦賀町の人口1万5,101人,在方の家数3,803軒・人口2万377人[寛文雑記].
1664 寛文4 2 28 敦賀の橋野弥二兵衛ら,材木と四十物の仲設置を願い出る[寛文雑記].
1664 寛文4 2 三方郡南前川村で村入用割をめぐり争論がおこる[野々間区有文書].
1664 寛文4 5 1 浦見川普請工事が完了[行方弥平治家文書].
1664 寛文4 5 22 幕府,松平光通に弟昌勝・昌親の所領をまとめて領知判物を発給.判物により越前国,8郡に改められる[家譜など].
1664 寛文4 8 福井藩,「御舟方御定法」を制定[森藤右衛門家文書].
1664 寛文4 8 九十九橋(福井大橋)掛替え普請完了[家譜].
1664 寛文4 8 敦賀で馬市始まる[寛文雑記].
1664 寛文4 10 敦賀湊,ともおり順番の特権を制限[寛文雑記].
1664 寛文4 10 小浜で箒星出現[拾椎雑話].
1664 寛文4 11 7 田中好安,知行200石となり「学者一篇」を命じられる[御自分日記].
1664 寛文4 11 幕府,諸藩に宗門改役の設置や転宗者登録制などを命じる.
1664 寛文4 この年府中正覚寺の梵鐘,上方からよばれた鋳物師により鋳造される[伊藤久兵衛家文書]./三国湊の城米を積む船が40艘余に減少[三国町史]./敦賀で茶仲が設けられる[寛文雑記]./敦賀湊における米や大豆の入津量・入津船数が最高となる[寛文雑記].
1664 寛文4 この頃敦賀に入った四十物は3分の2が敦賀で売り払われ,残りが大津や江戸に登せられる[寛文雑記]./南条郡赤萩村,紙漉きをする[赤萩区有文書].
1665 寛文5 4 福井藩,諸宗の触頭格の寺院から末寺の書上を提出させる[本山毫摂寺文書、滝谷寺文書].
1665 寛文5 7 小浜藩,敦賀郡立石浦と敦賀両浜漁師町・今浜漁師の沖漁場をめぐる争論を裁許[寛文雑記など].
1665 寛文5 7 幕府,大名の証人制を停止.
1665 寛文5 8 打它宗貞の妻清月尼,亡夫の供養のため時の鐘を鋳造[敦賀一目鏡].
1665 寛文5 9 12 福井藩,幕府から預所勝山領の物成拝借3か年延長を認められる[家譜].
1665 寛文5 10 幕府,法華宗不受不施派を処罰.
1665 寛文5 12 11 本多重勝,父重良の所領の内500石を分知される[寛政譜].
1665 寛文5 この年越前・若狭の諸藩,宗門改を本格的に開始.
1666 寛文6 2 22 敦賀浮買座,生魚口銭を4歩取る[寛文雑記].
1666 寛文6 5 酒井忠直,丹後宮津城受取控役を命じられる[酒井家文書].
1666 寛文6 7 遊行上人,小浜浄土寺に到着,のち但馬へ向かう[拾椎雑話].
1666 寛文6 11 福井藩,人馬の荷物の目方や賃銭を各宿駅の高札に規定[宮川源右ヱ門家文書].
1666 寛文6 この年小浜藩,領内村高と神社の祭礼日,寺院の宗派を改める[大野治雄家文書]./本山仏光寺,丹生郡武周に西雲寺を創建.
1667 寛文7 (2) 大野郡朝日村で請山をめぐる争論がおこる[朝日助左衛門家文書].
1667 寛文7 5 5 三方郡久々子村の百姓,供養施餓鬼の資として土地を金山龍澤寺に寄進[酒井家稿本].
1667 寛文7 5 丹生郡小丹生浦で刀祢山などの争論がおこる[刀禰茂兵衛家文書].
1667 寛文7 7 14 幕府巡見使,越前に入り,その後若狭を訪れる[家譜など].
1667 寛文7 8 4 敦賀郡中,幕府巡見使に北国荷物の西廻り差止めを願う[中山正彌家文書].
1667 寛文7 8 7 敦賀町数41,家数2,076軒,人口1万5,101人[寛文雑記].
1667 寛文7 8 敦賀郡で洪水[酒井家稿本].
1667 寛文7 9 今立郡五箇,楮を野岡領内で買うことを禁止される[大滝神社文書].
1667 寛文7 11 12 酒井忠直,小浜建康寺を建康山空印寺と改める[酒井家稿本].
1667 寛文7 (11) 大野郡不動堂村と六呂師村,山論で江戸出訴[砂田弘太家文書].
1667 寛文7 この年白山麓牛首16か村,美濃笠松の幕府代官の支配所に編入[家譜]./小浜藩,下人の召抱えを減らすことを許可[酒井家文書].
1668 寛文8 1 11 松平光通,飯田主米を家老に抜擢,本格的な改革を開始[家譜].
1668 寛文8 3 15 福井藩,暮れからの借知実施を申し渡す[家譜].
1668 寛文8 4 1 遠敷郡上竹原村から出火,161軒焼失[御自分日記].
1668 寛文8 4 27 福井藩,代官を廃し組頭73人を「百姓代官」とする[家譜].
1668 寛文8 4 福井藩,在方に寺への勧進や施物について指示[上田重兵衛家文書].
1668 寛文8 5 福井藩,幕府からの津留に関する質問に回答[家譜].
1668 寛文8 6 13 酒井忠直,甥忠国に1万石を分知.安房勝山藩成立[寛政譜].
1668 寛文8 8 福井藩,幕府に「御国通用の納升」について報告[家譜].
1668 寛文8 この年福井藩,全藩的な割地を開始./福井藩,組頭に内検地などについて8か条を通達[堀田五左衛門家文書]./絵師那須泉石,光通に召し抱えられる.
1668 寛文8 この頃越前産物に鎌・菜刀がある[国事叢記].
1669 寛文9 2 21 吉田郡幾久村や大野郡稲郷村・野中村などで割地が行われる[小沢元滋家文書,土蔵市右衛門家文書].
1669 寛文9 2 26 今立郡岩本村で割地が行われる[岩本区有文書].
1669 寛文9 2 福井藩,割地の実施について厳しく催促[土蔵市右衛門家文書].
1669 寛文9 4 15 福井城下で大火,本丸・天守・侍屋敷379軒・町家2676軒焼失[家譜].
1669 寛文9 4 幕府,不受不施派の寺院の寺請を禁止[御触書寛保集成].
1669 寛文9 5 1 福井藩,幕府より5万両拝借[家譜].
1669 寛文9 5 小浜藩,小浜から熊川への荷物の取扱いを高札で定める[荻野八左衛門家文書].
1669 寛文9 7 京都の町人,敦賀と琵琶湖を結ぶ運河の開削を願い出る[山本計一文書].
1669 寛文9 (10) 小浜藩,三方郡佐柿・遠敷郡熊川などを「泊り村」に指定[荻野八左衛門家文書].
1669 寛文9 11 福井藩,幕府高札と浦々高札を領内に掲げる[家譜].
1669 寛文9 この年福井藩,大火後侍屋敷を移転し侍屋敷跡地を菜園地とし,城之橋の寺町を城下東端に移転[稿本福井市史など].
1670 寛文10 1 小浜藩,蔵米を「御救」として売る[拾椎雑話].
1670 寛文10 2 遠敷郡本保村の庄屋と小百姓の間で争論がおこる[清水三郎右衛門家文書].
1670 寛文10 3 17 今立郡新在家村人,楮皮を若狭から脇道の丹生郡糠浦に荷揚げして咎められる[宮川源右ヱ門家文書].
1670 寛文10 3 19 小浜城内で町人670人が能を見物[拾椎雑話].
1670 寛文10 3 21 京都の町人,敦賀と琵琶湖を結ぶ運河の開削を再度願い出る[山本計一文書].
1670 寛文10 10 今庄町庄屋と南条郡五箇山木地師,木地挽定証文を取り交わす[大河内区有文書].
1670 寛文10 11 敦賀郡疋田の馬借と小浜町の茶商人との争論,調停成立[酒井家稿本].
1670 寛文10 12 9 小浜で茶の新市が立つ[寛文雑記].
1670 寛文10 この年敦賀へ秋田・越後・庄内・本荘・津軽から米29万5,000俵入津[寛文雑記].
1671 寛文11 2 幕府,宗門改の徹底を命じる[家譜].
1671 寛文11 5 福井城本丸普請が完了[家譜].
1671 寛文11 6 14 酒井忠直,小浜の祇園会を見物[拾椎雑話].
1671 寛文11 6 28 若狭で疫癘流行,神宮寺で祈祷[酒井家稿本].
1671 寛文11 7 25 酒井忠直,小浜八幡宮に禁制を与え,同時に供米を毎年うけとるよう命じる[八幡神社文書].
1671 寛文11 8 仏光寺派に改派していた旧越前専修寺門徒,東本願寺派に転じて法雲寺をおこす[法雲寺文書].
1671 寛文11 11 10 小浜藩,幕府に従い領内での京升(江戸桝)の使用を励行[拾椎雑話].
1671 寛文11 11 小浜で出火時の町まちの火消人数が決められる[須田悦生家文書].
1671 寛文11 12 23 福井藩,家中の借銀調査を命じる[家譜].
1671 寛文11 この年金屋七兵衛,福井藩札発行の資金として調達した金1万両の証文を返上[金屋慶治家文書]./丹生郡宿・新保両浦と敦賀手繰網漁師,漁場をめぐり争う[佐藤徳次郎家文書,岡田健彦家文書].
1672 寛文12 2 5 福井藩,家中の借銀整理を助成[家譜].
1672 寛文12 3 金屋七兵衛,足羽郡賀茂山の内に山屋敷を賜り諸役を免除される[金屋慶治家文書].
1672 寛文12 8 福井藩,割地事業を終了[岩本区有文書].
1672 寛文12 この年河村瑞賢,西廻航路を整備.
1673 延宝1 1 敦賀両浜漁舟座,「大座仲間定」を取り決める[敦賀町漁家組合文書].
1673 延宝1 2 9 徳川家綱,幸若舞を観る[徳川実紀].
1673 延宝1 3 27 福井藩,領内の女子が遊女として他国へ出ることを禁ずる[家譜].
1673 延宝1 6 20 松平光通の庶子権蔵(直堅),江戸へ出奔[家譜].
1673 延宝1 6 福井城廻りの門・塀・櫓まで作事完了[家譜].
1673 延宝1 11 福井の浄土宗浄光院,結城秀康菩提所を理由に常紫衣地となる[国事叢記].
1673 延宝1 この年吉崎山上争論おこる[松平文庫]./小浜町の人口1万1,167人[拾椎雑話].
1674 延宝2 4 11 松平光通死去により越前諸寺院,千部経法事を執行[国事叢記].
1674 延宝2 5 6 松平昌親,福井藩を継ぐ.福井藩領知高,吉江藩領を合わせて47万5,280石となる[家譜].
1674 延宝2 6 11 小浜でひょうが降り,稲が枯れ大凶作となる[拾椎雑話].
1674 延宝2 この年小浜藩,家中借米を始める[鈴木重威家文書].
1675 延宝3 1 25 吉田郡幾久村の百姓と庄屋,年貢収納をめぐり出入[小沢元滋家文書].
1675 延宝3 2 10 小浜藩,家中の一部に暇を出し,残った者には「俵直し」をして俸禄を渡す[鈴木重威家文書].
1675 延宝3 2 小浜藩,諸国飢饉のため大豆・小豆・麦の他国出しを停止[拾椎雑話].
1675 延宝3 3 27 小浜で飢人への施粥始まる[拾椎雑話].
1675 延宝3 5 小浜で洪水[酒井家稿本].
1675 延宝3 8 福井藩,家中に定や武具之定などを出す[家譜].
1675 延宝3 9 小浜藩,領内の寺社改めを行う[永建寺文書].
1675 延宝3 11 5 福井藩,今立郡五箇で生産する奉書の他国出しを禁止[岩本区有文書].
1675 延宝3 12 26 松平権蔵,備中守に任じられ直堅と名乗る[家譜].
1675 延宝3 この年越前・若狭で飢饉のため餓死者が多くでる[福井県立図書館文書]./小浜藩,年貢米1俵を江戸升4斗に改める[酒井家稿本].
1676 延宝4 3 5 小浜藩,疫癘流行のため神宮寺に祈祷を命じる[酒井家稿本].
1676 延宝4 3 19 本多重益,丸岡藩を継ぐ[寛政譜].
1676 延宝4 7 21 松平昌親致仕,養子綱昌(兄昌勝の子)福井藩を継ぐ[家譜].
1676 延宝4 この年福井藩借銀の累計2万貫にいたる[家譜]./遠敷郡の明通寺など真言宗5か寺と天台宗神宮寺,大般若経転読をめぐり争う[明通寺文書]./今立郡水海村で猪や鹿による雑穀の被害が多く,百姓が生計のため藩用の炭を焼きたい旨を願う[鵜甘神社原神主家文書]./福井藩,領内から鍛冶役銀72匁を上納させる[松平文庫]./福井藩,廻米用の城米を積む船を120艘に増加[三国町史].
1677 延宝5 1 18 福井藩,勝手不如意のため4分の借知を申し渡す[家譜].
1677 延宝5 6 15 堀田正信幽居脱出により酒井忠直「閉門」,忠隆「差扣」[酒井家稿本].
1677 延宝5 8 福井藩,山方条目26か条を制定[福井縣史].
1677 延宝5 11 3 松平直堅,合力米1万俵賜る[家譜].
1677 延宝5 11 18 吉崎山上争論に幕府の裁決が下る[松平文庫].
1677 延宝5 (12) 福井藩,郷盛や郷盛米の改定や割方などを令する[上田重兵衛家文書].
1677 延宝5 この秋大野郡御領村の弥四郎谷に銅山が開発される[伊藤三郎左衛門家文書].
1677 延宝5 この年大野藩,丹生郡新保浦の相木惣兵衛から借銀.1679年とあわせて銀42貫余[相木嘉雄家文書]./福井藩領大野郡清兵衛組の庄屋,百姓代官の存続を願う[平野治右衛門家文書]./丹生郡左右浦,玉川浦と漬木場をめぐり争う[佐藤徳次郎家文書].
1678 延宝6 6 15 大野郡御領村弥四郎谷銅山の鉱毒が問題化[伊藤三郎左衛門家文書].
1678 延宝6 6 福井藩,藩の用紙漉立てを三田村和泉らに命じる[大滝神社文書].
1678 延宝6 6 今立郡篭掛・稗田・西青・東青・蒲沢の5村,新田村として独立[田中作右衛門家文書].
1678 延宝6 8 21 松平直明,大野藩を継ぐ[家譜].
1678 延宝6 この年敦賀に蔵屋敷を置いていた津軽藩,西廻による蔵米輸送を行う[敦賀市史].
1679 延宝7 3 小浜藩,柳町以外の遊女を禁止[拾椎雑話].
1679 延宝7 3 松岡藩,丹生郡新保浦の相木惣兵衛から米1,000俵借用[相木嘉雄家文書].
1679 延宝7 7 5 越前国惣同行中,善林寺と称念寺の非法・専横を東本願寺本山家老に訴える[高嶋文庫].
1679 延宝7 7 10 土井利房,老中となり,領知高は4万石となる[寛政譜].
1679 延宝7 9 13 松平直堅,江戸赤坂に屋敷を拝領[家譜].
1679 延宝7 10 19 幕府,松平光長の家老らを諸大名に預ける[国事叢記].
1679 延宝7 11 11 福井藩,家中財政悪化のため抱え人馬の減少を認める[家譜].
1679 延宝7 この年小浜藩領内の人口11万105人[拾椎雑話].
1680 延宝8 3 小浜八幡宮で歌舞伎興行,1日平均客1,300人程[拾椎雑話].
1680 延宝8 (8) 6 小浜,大雨暴風で大洪水[拾椎雑話].
1680 延宝8 11 22 福井藩,不作のため借米を免じる[家譜].
1680 延宝8 この年高野山報恩院と若狭の真言宗寺院の本末争論が起こる[妙通寺文書,小野寺文書]./丸岡藩家老本多織部らの知行取上げ,丸岡騒動始まる[辻川利雄家文書]./翌年にかけて越前で餓死者多くでる[続片聾記].

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