つなごう。ふくいの記憶-だるま屋少女歌劇の思い出-

新春のヴァライテイ・フィナーレ”青春の歌”


だるま屋少女歌劇とは

 1928年(昭和3)7月、福井駅前に県内初の百貨店・だるま屋が開店しました。だるま屋少女歌劇は、別館「コドモの国」がオープンした際に県内の少女たちを採用・養成して発足した歌劇部です。県内出身の少女たち約30名が在籍し、31年(昭和6)11月から36年(昭和11)7月まで、月ごとにプログラムをかえながら(8月は休演)、公演を行っていました。
 当館では、少女歌劇に出演していた高田富氏(芸名霞浦子、1918-2006年)が収集した出演者のブロマイドや公演プログラム等の寄贈を受けています。初演から最終公演までのモダンな表紙のプログラム『少女歌劇タイムス』、出演者のブロマイドがほぼ揃っており、昭和のはじめにふくいの人々を魅了した「だるま屋少女歌劇」のようすを知ることができます。
 これらの資料を過去3回にわたり、月替展示等で紹介してきました。展示で使用した、ブロマイド等の写真パネルを利用してみませんか?


過去に行われた月替展示の様子


だるま屋少女歌劇の思い出を伝えよう

 当館ではふくいの歴史に関する証言を後世に伝えたいと考えており、だるま屋少女歌劇に関する思い出を募集しています。
 どんなことでも結構ですので、ご存じのことがあれば教えてください。(なお、いただいた証言は、当館の事業で利用することがあります。)


これまでに寄せられた声

「私は大正15年8月生まれです。母に連れられてよく見に行きました。クリスマスが近づくと社長さんが文具等をまいておられました。歌劇の女優さんが普通の日には売り場に出ておられました。」


「毎月1回新しいのに変わりますので、毎月行くのが楽しみでした。家族の付き添いがないとだめなので、祖母がいつでも来てくれました。中で上手な人がいまして、ファンになりました。千草麗子さんで歌も芝居も上手でした。少女歌劇は1時間くらいだったと思います。もっと見ていたいくらいでした。」


「私は残念ながら舞台を見たことはございません。でも歌劇が昭和11年に終了しても、その後、歌劇団の大半の方が店員として女性の方は売り場に、男の方もそれぞれの特技を生かした職場について活躍されました。私は昭和12年に入社し、歌劇におられた女性、男性の方々と接する機会も多く、いろいろ勉強させていただきました。」


だるま屋少女歌劇とふくいの記憶

 これまでの展示では、お客様が、生き生きとした表情で、懐かしそうにご自身やご家族の思い出を話す姿が多く見られました。地域の催しでの展示のほか、病院や社会福祉施設でのリハビリ活動などにも、ぜひご利用ください。


デジタルアーカイブ福井で関連資料を閲覧できます。

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高田富家の資料の詳細はこちらから見ることができます。

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