- Sort Score
- Result 10 results
- Labels All
Results 111 - 120 of 632 for 検索ワード (0.01 sec)
-
『福井県史』通史編4 近世二
地方の給人は免(年貢率)を定めて、給知の村方から年貢米を徴収しており、従来の権限を保有していた...方から代官の指示に従って給禄米を受け取ることになり、しかも年貢米のうち夫米と口米は藩庫に収められ、減収となった。 半知に...localhost/fukui/07/kenshi/T4/T4-0a1-02-02-02-01.htm -
『福井県史』通史編3 近世一
第一条で、当年の年貢米の決定法について定め、前年以上の納入は求めないとし、第二...米・小入木米などの付加税について規定し、第六条から第九条で年貢としての綿・ごま・餅米・大豆の取扱いを決め、第一〇条で村々...localhost/fukui/07/kenshi/T3/T3-0a1a2-03-01-04-02.htm -
『福井県史』通史編2 中世
らも、個々の百姓を直接に対象として年貢高を査定し、彼ら百姓を村という集団に帰属させ年貢を請け負わせるという新しい支配方式...権を制限して直接に農民を掌握することができず、旧来の荘園本年貢と内徳を認めたうえでの複雑な支配にとどまっていたからである...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-01-05.htm -
福井県史年表(1441年~1460年)
1456 康正2 10 遠敷郡太良荘代官中尾幸聡,年貢米の和市報告を偽り,年貢を着服したことにより罷免される[タ-149]....[建内記]. 1441 嘉吉1 8 23 敦賀郡野坂荘嶋郷年貢30石を青蓮院が法事料に混じて押領しているので,万里小路時房が返却を求める[建内記]....localhost/fukui/07/nenpyo/rekishi/chrn18.html -
『福井県史』通史編2 中世
賦課高をみると、年貢高を申告させて基準とした長禄元年の「拾分一」役も含めて(ツ...認識していたのかもしれない。 要銭や一献料などはその一部が年貢から支出されたものの(要銭は半分が原則)、多くは百姓の負担...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-3-01-02-06-03.htm -
『福井県史』通史編3 近世一
なかったから、その分が年貢率の二割以上に相当するというのである。いいかえれば、普請役の負担は年貢の二割以上の増徴に等しいということになる。...の農村が「大坂御普請役に出し申し候分」を見積もれば、寺領は年貢率が二割高くなってもむしろ「御百姓仕合せ」といっている(『...localhost/fukui/07/kenshi/T3/T3-0a1a2-03-01-03-05.htm -
図説福井県史 近世14 湊の繁栄(1)
越前の諸藩や幕府直轄領では、河川交通を利用して三国湊に年貢米を集め、江戸や大坂などへ廻送しました。このため、湊には福...蔵も多数ありました。町蔵の多くは各藩が借用し、川下げされた年貢米を一時的に保管するのに利用されました。 福井藩は三国湊の...localhost/fukui/07/zusetsu/C14/C141.htm -
『福井県史』通史編4 近世二
方で百姓は厳しい支配を受け、年貢諸役を負担させられ、困難な生活を余儀なくされた。そのため年貢の減免やその他諸負担の軽減に...ところで、農村支配の基本的な単位は村であったが、そこでは庄屋を中心とした上層高持百姓による年貢や村盛の算用、村運営が行われ、これに小高持や水呑層が反発し...localhost/fukui/07/kenshi/T4/T4-4-01-02-01-01.htm -
『福井県史』通史編2 中世
毎年の年貢は五〇〇石で、そのほかに段別米・加徴米、あるいは綿・小袖絹・糸・苧などの公事を負担していた(資1...「醍醐雑事記」巻一)。鎌倉期末の徳治二年(一三〇七)の荘内井野部郷の算用状によれば、米年貢はほぼ銭納化されており、絹製品の一部も銭納となっている。し...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-04-05-04.htm -
『福井県史』通史編4 近世二
入主が年貢諸役を納める)、半頼納(年貢は質取主、諸役は質入主が負担する)、残地(質地の半分を質入主に小作させて年貢諸役を全部負担させる)は禁止されていた。...九年に村の御宮の修復不足銀を短期間借りたもので、それまでの年貢代に差し支えての借米銀とは異質である。 村借は書入れ、本物...localhost/fukui/07/kenshi/T4/T4-2-01-01-02-02.htm