14 湊の繁栄(1)
18世紀後半ころの三国湊  18世紀後半ころの三国湊
 福井藩の施設として絵図左端の思案橋横に川口番所、
 中央の汐見橋付近に口銭役所、右下に福井藩や幕府
 の米蔵が見える。
            「三国浦絵図」三国町郷土資料館蔵
 越前・若狭の湊には越前諸藩の物資の集散地として栄えた三国湊や、北国と上方を結び中継商業都市として大きく発展した敦賀湊・小浜湊があります。

 九頭竜川河口に位置する三国湊は、福井藩領に属し、藩の外港として保護・統制されていました。越前の諸藩や幕府直轄領では、河川交通を利用して三国湊に年貢米を集め、江戸や大坂などへ廻送しました。このため、湊には福井藩や幕府の米蔵のほか、商人の町蔵も多数ありました。町蔵の多くは各藩が借用し、川下げされた年貢米を一時的に保管するのに利用されました。

 福井藩は三国湊の流通制限を行うとともに、湊を出入りする商品について口銭を徴収し、問屋の収入にあて、その一部を藩に収めさせています。三国湊は、福井藩の保護のもと年貢米の廻米をはじめとして、領内の諸産物や他国商物の取扱いにより利益を得たのでした。
   福井藩の津留(2) 福井藩の津留(1)
   ▲福井藩の津留
   福井藩は、三国湊から移出入される物資を制限する津留を行った。1668年(寛文8)の福井藩の幕府への届け出によると、塩や大豆を他国
   へ出すことはつねに禁止され、蝋・漆・油木実・鮭・鱒・鱈などは領内で不足するとき移出を禁止されていた。この津留は、越前国内に適用
   されたので越前全体の物資の流通に影響を与えた。           「家譜」 越葵文庫 松平宗紀氏蔵 福井市立郷土歴史博物館保管

←前テーマ/→次ページ目次