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Results 101 - 110 of 233 for 地頭 (0.01 sec)

  1. 『福井県史』通史編2 中世

    武家政権の成立と荘園・国衙領 第二節 鎌倉幕府の成立 三 守護と地頭・御家人の動向 承久の乱の前夜 このように大内氏が守護の職...拒否した後鳥羽は、逆に摂津国長江・倉橋荘(大阪府豊中市)の地頭職改補を北条義時に拒否され、大内(内裏)守護の源頼茂を討つ...
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    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  2. 『福井県史』通史編2 中世

    、「御使」による所務引渡しが実現し、東寺は寄進された太良荘地頭職を初めてわが手にしたのである。 図19 佐々木氏略系図 ...を願うとともに、在地における直阿の対抗勢力として脇袋頼国を地頭代に起用する。脇袋氏はかつて得宗により太良荘末武名名主職を...
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    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  3. 『福井県史』通史編2 中世

    の没収所領を受け継いだ若狭忠季が地頭職を有していたことが知られる(ユ函一二)。当荘の地頭に関しては、忠季のあと誰に替わっ...の貢納に関して何度か訴えが出されているが、その裁許を下した地頭のなかに、鎌倉幕府の有力御家人である二階堂氏とおぼしき人物...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-04-03-01.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  4. 『福井県史』通史編2 中世

    鎌倉初期には地頭が置かれていたが、建永元年(一二〇六)に興福寺がこれを訴え、院宣によって将軍源実朝が地頭基員を停止した...らである(『尊卑分脈』)。その後、承久の乱後に没官領として地頭が再び置かれ、「武蔵局」という人物が補任されたが興福寺側か...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-04-04-02.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  5. 『福井県史』通史編2 中世

    南北朝期さらに室町期の変動のなかで、荘園・公領の領主および地頭がどのように交代していったかをみておきたい。ここで領主とい...町期において寺門支配の史料を見出せず、応永二十一年に三分一地頭職が南禅寺竜華院に安堵されていることなどからみて支配権を失ったものと考えられるが(資2...
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    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  6. 『福井県史』通史編2 中世

    しかし少なくとも寛喜元年には、忠時自身は若狭から姿を消し、その所領一六か所の地頭職を没収されたことは間違いないところで(同前)、後年の状況...は二階堂氏、三方郡前河荘は殖野(上野)為時がこれに代わって地頭に補任された。 ただ若狭忠清は兄の事件とは関わりなく九か所...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-03-02-01.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  7. 『福井県史』通史編2 中世

    (「六条八幡造営注文」)、このときの大番役勤仕も、若狭国の地頭としてではなく在京人としての参勤であったと考えられる。のち...、それを根拠に再度不法を訴えた(エ函八・九)。 これに対し地頭代は一応承伏の姿勢をみせたが、領家側はこれ以上事を荒だてる...
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    Fri Apr 19 11:32:03 JST 2019
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  8. 図説福井県史 中世6 仏教の新しい動き(1)

    日本曹洞宗の開祖として知られる道元は、1243年(寛元1)吉田郡志比荘地頭の波多野義重の招きに応じ、京都深草興聖寺から越前に居を移し...寺しました。 1278年(弘安1)に大野郡小山荘木本郷内に地頭伊自良氏らの外護をうけ宝慶寺が創建され、道元の宗風を伝えま...
    localhost/fukui/07/zusetsu/B06/B061.htm
    Fri Apr 19 11:32:08 JST 2019
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  9. 『福井県史』通史編2 中世

    若狭においては、元亨元年に太良荘助国名の地頭方年貢八貫七一六文と領家方年貢七石八斗五升を代納することに...年には助国名主職に補任され(ユ函三二)、さらにこのころ得宗地頭の給主の代官として荘の支配にあたっていた。覚秀は南北朝期には宗安名と太良宮...
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    Fri Apr 19 11:32:03 JST 2019
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  10. 『福井県史』通史編2 中世

    元徳三年(一三三一)に松永荘地頭の惟宗(多伊良)能泰は、二親聖霊の成仏と藤原氏女の息災を願...の攻撃を受けて幼い二人の子息とともに死を決した大野郡牛原荘地頭の淡河時治は、妻に生き延びて誰とでも再婚してほしいと勧めた...
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    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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