Fukui Prefectural Archives

平成30年度9月 ミニ展示

Mini Exhibition

概 要展示内容LINK

「福井藩と横井小楠-ふたつの資料から-」

 横井小楠を題材にした講演会「『公議』運動における福井の役割―横井小楠を通じて」にあわせて、文書館・図書館の収蔵品の中から、小楠と福井との関係が見えてくるふたつの資料を紹介します。

会 期

2018年(平成30)9月7日(金)~9月17日(月・祝) ※終了しました

会 場

福井県文書館閲覧室

展示内容

横井小楠
「横井小楠」(国立国会図書館ウェブサイト電子展示会「近代日本人の肖像」)

「横井小楠」

(国立国会図書館ウェブサイト電子展示会「近代日本人の肖像」)

 横井小楠(平四郎・時存)、1809(文化6)~69(明治2))は熊本藩士、儒学者・政治思想家。福井藩とは嘉永期(48~54)に交流がはじまり、58年(安政5)に藩主松平春嶽(慶永)の賓客として来福。藩政を指導し、62年(文久2)に政事総裁職に就任した春嶽を江戸で補佐。その後福井で「挙藩上洛計画」を立案して準備を進め、目前までたどり着くもやむなく中止となり、熊本に帰藩。以降も熊本・福井間で交流は続いた。
 維新後は参与に就任して国政に携わるが、69年(明治2)に尊王攘夷派により暗殺。

横井平四郎(小楠)書状
「遺愛帖 乾 (鈴木主税宛書簡集)」
「遺愛帖 乾 (鈴木主税宛書簡集)」
「遺愛帖 乾 (鈴木主税宛書簡集)」
「遺愛帖 乾 (鈴木主税宛書簡集)」
「遺愛帖 乾 (鈴木主税宛書簡集)」

1853年(嘉永6)8月17日 「遺愛帖 乾 (鈴木主税宛書簡集)」

大家紹嘉文書(当館寄託) X0148-00001-001

 熊本の小楠から江戸の鈴木主税(福井藩士、当時は寺社町奉行)と吉田悌蔵(東篁、福井藩士・儒学者(当時は私塾「東篁塾」主宰、のち藩校明道館助教))にあてた書状です。ペリーの浦賀初来航から2か月、いまだ対外方針が定まらない幕府の態勢に事態を憂慮し、外様大名の反応も気にしています。
 それでも、攘夷論者の水戸藩主徳川斉昭(当時は幕府海防参与)に希望を託し、いつか必ず好機がめぐると期待を寄せます。そして、自身にも、同志の熊本藩家老長岡監物にも、熊本藩からの出府の許可が下りないという状況にありながら、事態を打開する一助になりたいと、同志の熊本藩士津田山三郎(信弘)を江戸に急行させ、山三郎を介して主税・悌蔵に自身の考える方策を伝えようとしています。
 小楠と福井藩、協力し合いながら同じ目標に向かって行動していますが、このころはまだ、熊本藩の一儒学者と御家門の一藩、時の将軍は徳川家定、老中首座は阿部正弘、薩摩藩主島津斉彬も水戸藩主徳川斉昭も健在で、井伊直弼は溜詰の新進気鋭、朝廷はまだ政治の圏外、福井藩主松平慶永(春嶽)は26歳、志士梅田雲浜が動き出し、橋本左内は表御外科という時代です。

小楠先生送別の宴
「御側向頭取御用日記」

1863年(文久3)7月~12月 「御側向頭取御用日記」

松平文庫(福井県立図書館保管) A0143-00517

 挙藩上洛計画の中止から約半月、8月9日に春嶽の御座所でささやかな宴が催されました。この日を最後に小楠は熊本へ、前藩主春嶽・現藩主茂昭のはからいによる小楠先生送別の宴です。宴席では春嶽と茂昭が手酌でもてなし、家老の面々がご相伴。それだけではありません。
 さらに春嶽は庭で獲った「御拳之五位鷺(ゴイサギ)」を吸物にと持参し、みなに振る舞いました。春嶽の賓客として福井に招かれ、藩政の指導に心血を注いだ小楠と、その小楠に一時は藩の命運を預け、この人に賭けようとした福井藩。こうして小楠は福井を去りましたが、その後も熊本と福井との間で、小楠と福井藩との交流は続きました。

海陸御固泰平鑑
「海陸御固泰平鑑」

(年未詳) 「海陸御固泰平鑑(木版刷)」

飯田広助家文書(当館寄託) G0024-01801

 ペリー浦賀来航後の江戸湾の「御固」(警固)の情報をまとめた瓦版(現在の新聞)です。 福井藩は桜の名所「御殿山」(現在の東京都品川区北品川)に「一万六千人」を繰り出し、高台から江戸湾を監視しています。
 ※一時は、高台の麓、湾岸の鮫洲・洲崎の担当も。

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