今月のアーカイブ Archive of the Month

おくりものでお国自慢

 お土産に……。プレゼントに……。お中元にお歳暮に……。今も昔も、やっぱりうれしい贈答品。
 現代よりも品物の調達が、保管が、輸送がたいへんだった江戸時代、しかしそんな苦労はものともせず、贈答は生活の一部といえるほど、頻繁にやりとりがなされていました。
  あんな物が?あんな時に?あんな人が?あんな人に?展示では、春夏秋冬たえまなく、人々の間を行き交っていた贈答品を、福井藩を中心に紹介します。  
 
※展示にあたっては、昨年秋に公開したオープンデータ「幕末福井関連資料データ」を利用しています。

会期

2019年(平成31)3月1日(金)~2019年(平成31)4月24日(水)
※終了しました

春嶽・容堂おくりもの合戦

 「御書翰 二」
「御書翰 二」
「御来翰 三」
「御来翰 三」
御来翰 二」
「御書翰 三」
「御書翰 三」
「御書翰 三」
1863年(文久3)12月28日~1864年1月2日 
「御書翰 二」「御来翰 三」松平文庫(県立図書館保管)A0143-00557,00558
「御来翰 二」「御書翰 三」松平文庫(県立図書館保管)A0143-00579,00580
 1863年(文久3)12月28日、京都。前福井藩主松平春嶽は、この日京都に到着した前土佐藩主山内容堂に、「御着京之御祝儀之印」として『 磁杯 』をおくりました(一緒に『 侍医 』も差し向けています。なお、春嶽は10月18日から京都に滞在)。
 それから2日後の30日、大晦日(改暦前のため、31日がない)。今度は容堂が春嶽に「出足前螺旋銃に而獲候(出発前にライフル銃で獲った)」『鶴』と『シイタケ』をおくってお返し。おしまい。ではありません。
 明けて元日、春嶽が容堂に「今夕之御祝杯之御用(新年の祝い酒のアテ)」として「弊国ゟ贈越候(福井から届いた)」『蟹之足』をおくり、同日夜、容堂が春嶽に蟹之足の「御礼」として『鯨肉』をおくってお返し……。年をまたいで2往復、4日かけて6品をおくりあった春嶽と容堂。
 しかし、時は文久。二人はたまたま京都に居あわせていたわけではありません。この時、京都には京都守護職松平容保、薩摩藩主父島津久光、前宇和島藩主伊達宗城、将軍後見職一橋慶喜の姿もありました。そして将軍徳川家茂も、再上洛に向けて江戸を出発。海路大坂へ……。

家康・秀忠、鱈でゴキゲン

「越前世譜 茂昭様御代(6)」
「越前世譜 茂昭様御代(6)」
1862年(文久2)9月13日
「越前世譜 茂昭様御代(6)」松平文庫(県立図書館保管)A0143‐01978
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 1862年(文久2)、文久の改革(幕府の軍制改革や、安政の大獄で処罰されたいわゆる一橋派の復権など)を推進していた幕府は、閏8月22日、幕府への献上品を制限するという触を出しました。諸藩の負担軽減につながる施策です。
 ところが、翌9月13日、前藩主の松平春嶽が政事総裁職として改革を推進している福井藩が自ら、2品の献上を継続したいと願い出ました。
 「寒中両度献上仕候生鱈(小寒~立春の間の2度にわたる献上生鱈)」と「拝領之御鷹ニ而捉飼候雁鴨(将軍から拝領した鷹でらえた雁・鴨)」の2品、『生鱈』などはその由緒と伝統をつづった「別紙」も添えて、「是迄之通献上仕度(これまでのとおり献上したい)」と伺いを立てています。
 幕府からは『生鱈』継続、『雁・鴨』廃止という回答が。
 がんばって、よかった。……よかった?

鯛がしょってたつものは

「覚(御献上たい他諸覚)」
「御側向頭取御用日記(6)」
「御側向頭取御用日記(6)」
1863年(文久3)5月16日
「覚(御献上たい他諸覚)」松田三左衛門家文書(当館蔵)A0169‐00701
「御側向頭取御用日記(6)」松平文庫(県立図書館保管)A0143‐00516
 南菅生(みなみすごう)浦庄屋松田三左衛門
 「覚。文久三(1863)、え~亥五月十五日。御献上、た、い……っと」

 福井藩郡(こおり)奉行
 「南菅生2の北菅生2で4か。ひ~、ふ~、 み~、よ~。よしっ、だいじょう……あっ!手紙!手紙を添えないと!」

 前福井藩主松平春嶽
 「菅生浦の鯛か。4尾あるから……1尾は僕が食べて、あと3尾。そうだな、まずは……膳番の助右衛門(御膳番格荒川助右衛門)に2尾!それと……手伝台子たちに1尾!よしっ!」

 春嶽御側向頭取 大井弥十郎
 「それから川村藤市郎がお目見えして……南北菅生浦が鮮鯛2尾ずつ献上……郡奉行の手紙あり……と鯛の内訳は、宰相様(春嶽)が1尾召し上がって、2尾は助右衛門に下されて、1尾は手伝台子一同へ……そのあと八つ半時(午後3時頃) 過ぎに……」

右から左へ汐見饅頭

 「御側向頭取御用日記(14)」
1867年(慶応3)8月6日
「御側向頭取御用日記(14)」松平文庫(県立図書館保管)A0143‐00524
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 拙者、彦根の船奉行、片岡市郎兵衛と申す。
 ここは琵琶湖に浮かぶ船の中。船には“あの”松平春嶽が乗っている。直弼公との一件(安政の大獄)からまだ10年もたっておらんが、東で政事総裁職、西で参与、今も京都からの帰途らしい……。
 先ほど、その春嶽殿から菓子を賜わったのだが、それが大津の『汐見饅頭』であった。京都帰りの福井の春嶽殿が彦根の拙者に大津の菓子、これいかに?
 ……この『汐見饅頭』(一箱)は、大津の本陣(大名・公家・幕府役人などが宿泊する家)が、町総年寄矢島藤五郎宅で休憩していた春嶽に献上した品でした。船の出発地がその大津、つい数時間前のことです。
 なにはともあれ、一箱の菓子が、大津本陣と前福井藩主、前福井藩主と彦根藩船奉行、2つのかけ橋に!

おくりものは時限爆弾

 「御側向頭取御用日記(16)」
1868年(慶応4)7月9日
「御側向頭取御用日記(16)」松平文庫(県立図書館保管)A0143‐00526
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 1868年(慶応4)7月9日、京都。北陸・東北は戦争(戊辰戦争)のさなかです。この日、議定松平春嶽は朝廷に出仕せず、屋敷にいました。午前は家臣(高田孫左衛門・伊藤友四郎、中根雪江)と用談、午後は数通の書状(三条西季知、伊達宗城、植松雅言(まさこと)、秋月種樹(たねたつ)・戸田忠至(ただゆき))をしたため、夕方は客人(種樹、忠至)と内談という屋敷での一日。
 しかし、その合間にも、長州藩主毛利敬親と山階宮晃親王、それに興正寺門主本寂から春嶽の権中納言・従二位昇叙(6月27日)のお祝いの品が届き、また春嶽自身も数日前にお祝いの品を届けてくれた前左大臣・議定近衛忠房(7月2日、交御肴1台・鯛1・塩蚫5・はも1)と元右大臣・議定鷹司輔煕(7月4日、金300疋)にお返しの品をおくっています。
 敬親と晃親王から“春嶽への”お祝いの品、“春嶽から”忠房と輔煕へのお返しの品、屋敷に入ってきたものと出ていったもの……中身はどこか似ています。あっちからこっちへと運ばれてきて、こっちからそっちへと運ばれていった魚介類、季節は夏。忠房は、輔煕は、食べたのでしょうか?それとも近衛家から、鷹司家から、またまたどこかへ運ばれて……?

幕府の老中も使ってた!かも?

「酒井家御代記 参」
「酒井家編年史料稿本 巻五百六十五」
「酒井家編年史料稿本 巻五百六十五」
1831年(天保2)7月25日
「酒井家御代記 参」(小浜市教育委員会蔵)O0057‐00001‐003
「酒井家編年史料稿本 巻五百六十五」(小浜市教育委員会蔵)O0110‐00366
 1831年(天保2)2月16日、当時30万両とも40万両とも(数百億円)いわれる借財をかかえていた小浜藩酒井家。ちょうど、藩主忠順(ただより)も参勤交代で江戸にいたこの日、家臣が水野家に呼び出されました。幕府の老中、しかもその首座をつとめる沼津藩水野家。呼び出し場所も「勝手(台所)」です。なにか大変な話なのか……それとも人目についてはまずい理由でもあるのか……。
 家臣が水野家の屋敷(江戸城三の丸大手門外の役宅)に行ってみると、そこには水野家の公用人が。いよいよこれは……と思ったら、「若狭塗箸五十膳程差上候様(若狭塗箸を50膳ほど差し上げるように)」
 それからひと月が過ぎ、ふた月が過ぎて……いつ月目の7月25日、再び家臣が、今度はできあがった『若狭塗箸』を持参して、水野家の「勝手」へ。無事ご用命にお応えしました(少し多めに70膳)。

献上寒鱈早駈の図

「十一月 献上寒鱈早駈の図」
「十一月 献上寒鱈早駈の図」
「福井藩十二ヶ月年中行事絵巻」
福井市春嶽公記念文庫 (福井市立郷土歴史博物館蔵)中の1枚
 福井城の門から駆け出す男たち。「献上寒鱈」(「生鱈」)は、4人一組で担いでいる荷の中に。
 これから数日間、江戸までの 500数十kmの道のりを、担ぎ 手を交代しながら、休まず駆け続けていきます。

鮎梁落の図

「八月 鮎梁落の図」
「八月 鮎梁落の図」
「福井藩十二ヶ月年中行事絵巻」
福井市春嶽公記念文庫 (福井市立郷土歴史博物館蔵)中の1枚
 「梁(やな)」(図中の“Y”)にかかって「落」ちてきた「鮎」をかきあつめる。
 流れがある川ならでは、秋になると産卵のために川を下る鮎(落ち鮎)ならではの漁です。

閲覧室の様子

贈答品あれこれ
複製本
展示ケース内

パネル展示

パネル展示

配布物

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