今月のアーカイブ Archive of the Month

「逃散・身売り・なりわい」-江戸時代はじめの漁村資料から-

越前町米ノの玉村九兵衛家(当館寄託、1,080点)の資料群には、江戸時代はじめの村の動きや田畑の売買、借金、奉公や逃散に関する資料が多く含まれています。
これらのうち、(1)人身の永代売買が禁止される時期の子どもの永代売渡し証文、製塩や船の所有などの生業にかかわる文書、(2)単なる貧困からの流亡ではなく、集団的になんらかの要求を実現する手段として行われた逃散の事例を紹介しました。 いずれも中世末から近世社会へと移り変わる村のようすをよく示している興味深い内容です。
福井藩が公的に編さんした藩史である「家譜」には、 1644年(正保1)5月、米ノ浦の村人106人が庄屋1人を残して突然行方不明となり、やがて越後新潟へ逃散したことが判明、藩は翌年五月にかれらを連れ戻し、首謀の頭取二名を入牢させたと記されています。
玉村九兵衛家文書には、これに照応する内容の資料が複数残されています。

会期

平成19年9月28日(金)~10月24日(水)

D0075 玉村九兵衛家文書について

庄屋を逃散させないことを請け負った文書

「御請状之事(百姓共欠落ニ付彦左衛門請人)」
玉村九兵衛家文書 D0075-00054
逃散が判明した1644年(正保1、申年)5月に作成されたものと考えられます。
ひとり残っていた米ノ浦の庄屋彦左衛門を「かけおち」(逃散)させないことを、近隣の厨浦と高佐浦の百姓が福井藩の役人に対して請け負っています。
「翻刻文」

米ノ浦の内部での争い

「今度米浦ニ出入候て小百性衆二皆堂迄罷出候所ニ跡々扱申定之事(12か条)」
「今度米浦ニ出入候て小百性衆二皆堂迄罷出候所ニ跡々扱申定之事(12か条)」
玉村九兵衛家文書 D0075-00001
逃散の背景となった浦内のようすがうかがえる文書です。
詳細はわかりませんが、1637年(寛永14)ころ、米ノ浦の小百姓と庄屋彦左衛門との間で、田畑の年貢の割方・村負債・夫銀の負担方法などをめぐって争いが起こっていました。
これはその解決のために小百姓が近隣の村に仲裁を依頼し、定めた事項を記したものです。
翻刻文

米ノ浦の逃散を題材にした脚本『逃散』

1955年(昭和30)の全国青年大会(日本青年団協議会、文部省等主催)で上演されて、 最優秀賞を受賞しました。
著者の坪川健一(1916-2006)は劇団「自由舞台」主宰、だるま屋百貨店創業者坪川信一の長男。

逃散のきざしがわかる文書(1)

「一札以進申候事(百姓欠落禁止ニ付年寄共請書)」
玉村九兵衛家文書 D0075-00002
1637年(寛永14)2月、米ノ浦の有力百姓である「年寄」10人が百姓が逃散した時には責任をもって行方を詮索すること、年貢等を怠らないことを証文としていました。
翻刻文

子どもの売渡し証文(1)

「売渡し申人之事(9才太郎20匁ニ永代売)」
玉村九兵衛家文書 D0075-00024
江戸幕府は当初から人身の永代売買を禁止し、福井藩でも1624年(寛永1)に男女ともに永代売買を禁止する触書を出していました。
これはその19年後の証文ですが現実には永代売買が行われていたことがわかります。 9歳の息子大郎を銀20匁あまりで売り渡し、逃亡した際には親みずからが捜索して引き渡すという文言が付けられています。
翻刻文

子どもの売渡し証文(2)

「売渡し申人之事(娘10年間)」
玉村九兵衛家文書 D0075-00044
1651年(慶安4)のこの証文では、娘なつを10年間の年季で売ると記しています。
翻刻文

田地一作の売渡し証文

「壱作売渡シ申田地之事(村納所銀ニ付)」
「壱作売渡シ申田地之事(村納所銀ニ付)」
玉村九兵衛家文書 D0075-00030
田2か所の一作分を年貢代金と引き換えに売り渡した証文です。
中世に行われた徳政令、領主の国替えや代官替え、さらにはどのような法令が出されても、この売買契約が有効であることを記しています。
翻刻文

塩焼き(製塩業)

「乍恐以書付を申上候(小砂上り塩焼困難ニ付)」
玉村九兵衛家文書 D0075-00042
「塩浜」(塩田)が大波で崩れ砂が流出したため、製塩ができなくなったことを訴えた文書です。
ここでの製塩法は、「あげはま揚浜式」と呼ばれる方法で、桶で汲み上げた海水を塩田にまき、天日で水分を蒸発させたあと、塩の結晶が付いた砂をかき集め、それに塩水をかけて濃い塩水を取り出し釜で煮詰めていました。
1651年(慶安4)頃には、米ノ浦には4つの塩釜があり、夏場に晴天が続けば1釜あたり50~60俵、雨がちであれば40俵ほどが生産できたことがわかります。
「翻刻文」

水主の成長

「相定申証文之事(米浦水主何方の舟へも乗打仕筈、借銀返済し何方の舟なりとも乗おり仕べく)」
玉村九兵衛家文書 D0075-00060
船で働く「かこ」(水主)が、船を所持しているか否かにかかわらず、自由にどの船にも乗り組めること、借金のあるものは返済の上で乗り降りすることを、米ノ浦の水主惣中と惣代2名が連名で取り決めています。
船主に縛られないで活動する水主層が現れてきているようすがうかがえます。
翻刻文

ポスター

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