玉村九兵衛家文書

目録種別
古文書(資料群)
資料群番号
D0075
資料群名
玉村九兵衛家文書
地域(近世,行政村,現在)
丹生郡米ノ浦,城崎村米ノ,越前町米ノ(越前町)
資料の年代
1540年(天文9)~1894年(明治27)
資料目録件数
 
組織歴および履歴
米ノ浦は越前海岸の南部、干飯崎に位置する漁村。古くは干飯浦と称したが、1606年(慶長11)に段丘上の牛房ケ平を分村して改称したと伝える。近世を通じて福井藩領。正保郷帳では六呂師村を含んで田方13石余、畑方167石余の計181石余。「元禄郷帳」以後は159石余。
当家は1646年(正保3)には米ノ浦の庄屋役を勤めたことが確認できる旧家で、その後も代々村役を勤め、近代に入っても里長、戸長、連合戸長、城崎村村長などの公職に就いている。
2007年1月当館に寄託。2011年8月追加寄託。
資料群の概要
当家文書は、すでに「丹生郡古文書目録」の「はしがき」で、「農漁村の内部構造や生活を見るに、特に重要な史料を提供する」文書群として「寛永・正保・慶安頃の近世初期の百姓の借金銀、田畑・山林・屋敷の売渡、奉公人、逃散に関する文書が多く存し、また五人組帳が残っている。金銀借用状の如きは寛永以後、近世(ママ)初期の分を加えると六百数十通もある。また近世初期の奉公人売渡状が二〇通ほどある」と紹介されている。
撮影点数は1157点。このうち寛永期から明治初年までの一紙文書は915点で、その大半が貸借関係文書であり、「丹生郡古文書目録」との照合は困難であるが、数量から見てほぼすべてが伝存していると思われる。しかし、帳簿類は条目写など3点のみで、「同目録」に収載されている検地帳、五人組帳は今回調査分には含まれていない。県史で紹介されている資料は以下の通り。(1)鯛釣りの専門集団の来住を示す「そり子舟」の初出資料として1632年(寛永9)の「預り舟之銀子之事(銀20匁余)」(D0075-00904)、(2)江戸時代初期に庄屋-年寄-小百姓という三つの階層が村内にあったことを示す資料として1637年の「一札以進申事(百姓欠落禁止ニ付年寄共請書)」(D0075-00002)、(3)米ノ浦の逃散に関する厨浦・高佐浦の請状である1644年(正保1)「御請状之事(百姓共欠落ニ付彦左衛門請書)」(D0075-00054)。
残りの200点余は近代の資料で、大区小区制下の戸長役場文書、および米ノ浦外6か村の戸長役場文書が中心で、地租改正関係など米ノ浦だけでなく近辺も含めた浦・村の、明治20年代までの資料がある。
否撮カードは城山道改修工事に関するものなど近代資料65枚。
利用条件
 
県史収載
通史編4 P.273・514・525
県史以外の収載
『福井県丹生郡誌』、「丹生郡古文書目録」(京大文学部)
複製本番号
D0764~D0807
備考
 
利用上の注記(原本閲覧)
文書館に事前にお問い合わせください。
利用上の注記(二次利用)
文書館に事前にお問い合わせください。