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Results 51 - 60 of 360 for 検索ワード (0.01 sec)

  1. 『福井県史』通史編2 中世

    除や恒枝保との相論などで交渉する相手は武田であったし(し函五四、リ函二五九)、武田はしばしば上洛もしているので、京都と若...、やはり小守護代武田であったというべきであろう。 応永十三年の小笠原氏の失脚にともない、小守護代も武田長盛から長法寺納に...
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    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  2. 『福井県史』通史編2 中世

    、九月一日に武田勢の守る三宝院に猛攻を加えた。この戦いで武田信賢の弟元綱の奮闘があったものの、結局西軍が武田勢を破って三...次ページへ 第四章 戦国大名の領国支配 第一節 応仁の乱と朝倉・武田氏 一 京都の合戦 西軍の反撃 八月二十三日、大内政弘が大...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-4-01-01-01-03.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  3. 『福井県史』通史編2 中世

    戦国大名の領国支配 第四節 朝倉・武田両氏の滅亡 三 信長の若狭侵入 朝倉氏の再侵攻 武田信方は熊川で信長を出迎えることな...記』巻二、『毛利家文書』)、朝倉攻めに失敗して以降もなお旧武田家臣のほとんどを掌握していたと思われる。 ところが信長の勢...
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    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  4. 『福井県史』通史編2 中世

    第三章 守護支配の展開 第二節 一色・武田氏の領国支配 六 武田氏の半済と荘園支配 段銭 武田氏が分国から催促・徴収した諸役は、当然のことながら一色氏のとき(...貫文)に近い一〇貫文前後に達する例も珍しくはなかった。また武田氏は、免除の有無にかかわらず「(段銭高)十貫ニ三貫ツヽ」の...
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    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  5. 『福井県史』通史編2 中世

    守護支配の展開 第二節 一色・武田氏の領国支配 五 武田氏の領国支配組織 武田氏の被官 右にみたように、武田氏の権力中枢を担った重...れば、安芸出身の武田氏被官としてさらに温科・久村・南部・福島・香川・武藤らの諸氏を挙げることができ、武田氏治政下の若狭は...
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    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  6. 『福井県史』通史編2 中世

    第六章 中世後期の宗教と文化 第四節 戦国期の文芸 二 武田氏の文芸 武田文芸の終相 大永二年の三月二日のこと、京都の三条西実...ったかもしれないが、このころ武田領国には下剋上の動きがあり、領国支配の行き詰まりに元光は武田氏の危機を感じ取っていたので...
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    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  7. 『福井県史』通史編2 中世

    充を未進していた武田元信が催促に応じて納入したとある(『実隆公記』同日条)。享禄元年九月六日には守護武田元光が納入した小...あるが、史料上確認できない)。 文明九年八月六日、若狭守護武田国信は公家の広橋兼顕に対して、禁裏料所である小浜月充(御供...
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    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  8. P041-050fi¡‹ä„ª”¡.p1.pdf

    ざわざ表に出して武田氏への忠勤を尽くさせるのは、長秀らは、元亀元年(一五七〇)、若狭を経て越前に進む 時、武田氏の家臣団統制...16)・明智光秀の四人が連 署して、武田氏の旧臣三六人衆が、これまでと変わらずに武田元明に対して忠節をつくすのであれば、以前に与...
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    Thu Mar 28 00:00:00 JST 2019
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  9. 『福井県史』通史編2 中世

    次ページへ 第四章 戦国大名の領国支配 第一節 応仁の乱と朝倉・武田氏 一 京都の合戦 戦線の地方への拡大 京都での戦闘が沈静...記』応仁二年閏十月十四日条)。 文明元年(一四六九)四月、武田信賢の部将逸見・粟屋・温科らが、細川持賢の家臣天竺孫四郎と...
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    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  10. 『福井県史』通史編1 原始・古代

    朝倉義景館跡 若狭守護は永享十二年(一四四〇)に武田信栄が一色氏に代わる。信栄以来武田氏の支配は九代にわたるが、若狭は畿内に近く...次ページへ 通史編序説 政治・社会 一 政治の推移 朝倉氏と武田氏 朝倉広景は高経に従って越前に入り、黒丸城(福井市)に拠...
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    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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