Search Options

Results per page
Sort
Labels
Advance

Results 51 - 60 of 233 for 検索ワード (0.01 sec)

  1. 『福井県史』通史編2 中世

    鎌倉初期に地頭が置かれ、承久の乱のとき預所は後鳥羽上皇の乳母藤原兼子(卿二位)だった。乱後に地頭はこのことを幕府へ...は生部荘・久安保重富の地頭に任じられた(『島津家文書』)。主計保は鎌倉末期には内管領長崎氏が地頭であった(資2 二神文書一号)。...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-04-01-06.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
      6.4K bytes
      1 views
      Cache
  2. 『福井県史』通史編2 中世

    荘園・国衙領の分布と諸勢力の配置 三 若狭の荘園・国衙領と地頭・御家人 浦と荘園 大田文では、別名型の所領などとは区別さ...時定の有した少なくとも二五か所に及ぶ国衙領・荘園の下司職が地頭職となって若狭氏に受け継がれ、十四世紀初頭までには守護職・...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-04-03-02.htm
    Fri Apr 19 11:32:03 JST 2019
      2.6K bytes
      Cache
  3. 『福井県史』通史編2 中世

    違っていた(領家方桝一石は地頭方では一・〇六石ないし一・〇七石)。ただし、もとは領家方・地頭方において別々に行なわれてい...する場合があった(二章四節二参照)。しかし他方では、守護・地頭・土豪たちによる支配権の確保が荘園支配を複雑なものとしていることも見逃してはならない。...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-3-01-04-01-01.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
      2.8K bytes
      Cache
  4. 『福井県史』通史編2 中世

    が保の地頭に相当する地位にあったが、幕府から所領のほとんどを奪われて没落し、代わって守護の若狭忠季が太良保の地頭となった...下った真行房定宴は、地頭の非法に苦しみながらも抵抗を続けていた勧心・時沢・真利らの農民を支援して地頭を訴え、寛元元年(一...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-04-01-01.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
      4.5K bytes
      Cache
  5. 『福井県史』通史編2 中世目次 福井県文書館

    二 稲庭氏の没落と東国地頭の入部 若狭国御家人交名の注進 稲庭氏の没落と守護若狭氏 三 守護と地頭・御家人の動向 比企氏の没落...気比社の人的構成 三 若狭の荘園・国衙領と地頭・御家人 荘園・国衙領の概観 浦と荘園 若狭の地頭と御家人 国御家人の動向 四 若狭一・二宮の動向...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-00.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
      78.6K bytes
      3 views
      Cache
  6. 『福井県史』通史編2 中世

    内乱ののちに鎌倉殿源頼朝を長とする御家人集団が将軍・守護・地頭などの職を公認されて一応の決着が図られ、荘園・公領(国衙領...平安期以来の土着武士で御家人となった人を国御家人とよぶが、越前・若狭ともにこの国御家人で地頭に任命された例はない。したがって彼らは、遠敷郡太良保の公文...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-01-01.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
      2.9K bytes
      Cache
  7. 『福井県史』通史編2 中世

    条義時が地頭であったことの知られる大野郡泉荘三ケ郷の地頭は鎌倉後期には藤原長継であり、同じく大野郡小山荘の地頭は八田氏の...針で検注を進めたと思われる。その結果、太良荘では地頭方の田畠が増加し地頭が莫大な得分を手中にしたのに対し、領家方の田畠は...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-05-02-04.htm
    Fri Apr 19 11:32:03 JST 2019
      5K bytes
      1 views
      Cache
  8. 『福井県史』通史編2 中世

    日これを本郷地頭美作左近大夫将監隆泰・松永保地頭多伊良兵部房頼尊に充てて施行し、頼尊は七月十二日この命を地頭・預所・御家人に伝えた(ム函八)。...このように一・二宮の造営は、関東—守護得宗—税所代得宗御内人の力を背景に、国内の有力な地頭二人を造営奉行とし、若狭のすべての荘園・公領への平均の国役...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-05-02-02.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
      4.5K bytes
      Cache
  9. 福井県史年表(1251年~1300年)

    10 13 遠敷郡西津保地頭代が多烏浦刀祢を宮河保地頭の一味だとして乱妨したことにつき,六波羅探題が地頭代に弁明を求める[秦-7]....弘安1 12 大野郡泉荘三か郷について,領家と地頭藤原長継が和与中分を行い,地頭の代銭請負となる[(2)一乗院-2]. 1278...
    localhost/fukui/07/nenpyo/rekishi/chrn13.html
    Sun Mar 26 10:03:02 JST 2023
      52K bytes
      Cache
  10. 『福井県史』通史編2 中世

    の乱後に国衙領となっていたとき地頭若狭忠清に押領されるなど、半数の名が失われた。そこで地頭方に勝訴した定宴は建長六年(一...軽蔑」して地頭方代官に味方した助国名主蓮仏を領家方百姓たちが「罪科逃れがたし」と訴えているように、名主は地頭(このとき地...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-04-01-02.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
      4.4K bytes
      1 views
      Cache
Back to top