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『福井県史』通史編2 中世
三)藤原信昌は、嫡子将広が「奉公隙なし」のため自分が丹生郡織田剣社を修復したと述べているが(資5 劒神社文書一号)、この...劒神社文書一号)、この将広の実名は斯波義将の一字を受けたものと考えられるから、丹生郡織田荘近辺の国人藤原氏と守護義将との結びつきを示している。応永...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-3-01-01-03-01.htm -
『福井県史』通史編2 中世
南北朝末期の明徳四年(一三九三)に丹生郡織田荘の藤原信昌は、斯波義将の一字を受けて子の兵庫助を将広と名...ら越前一向一揆に加担している様子が知られる。しかし翌三年、織田信長が再度越前に進攻して越前一向一揆を平定すると、その支配...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-3-01-03-01-03.htm -
P01-56.pdf
明11年(1479)2 月に孝景が織田寺玉蔵坊に宛てた文書に(劔神社文書9号)、 織田庄内田数壱町壱段小地利分〈目録坪付...文書のなかに存在する。永禄元年(1558)5月に織田 寺玉蔵坊はもと織田寺より玉蔵坊領であった田地三カ所(分米3石)・畠一所(地子銭300文)の...localhost/fukui/08/2006bulletin/images/2006fpakiyou-matsuura.pdfThu Mar 28 00:00:00 JST 2019 55.7K bytes -
『福井県史』通史編2 中世
格でもあった義景を頼むに足らずと考えた義昭は、七月に美濃の織田信長のもとへ去った。一乗谷滞在はわずか九か月であった。そし...上洛を促してきたが、義景はこれに応じなかったため、朝倉氏と織田氏との宿命的な対立が始まるのである(本章四節四・五参照)。...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-4-01-02-02-04.htm -
『福井県史』通史編3 近世一
頼隆には跡継ぎがなく、死去直後にはその跡に織田信長の四男で豊臣秀吉の養子となった豊臣秀勝が入部すると噂さ...localhost/fukui/07/kenshi/T3/T3-0a1a2-02-03-01-05.htm -
『福井県史』通史編6 近現代二
福井鉄道には福武線(福井市田原町・武生市武生新間)と鯖浦線(鯖江・織田間)、南越線(武生市社武生・鯖江市戸ノ口間)があり、三路線...越線の戸ノ口・粟田部間が廃線となり、鯖浦線は七二年一〇月に織田・西田中間が、七三年九月に西田中・水落間が廃止となった。八...localhost/fukui/07/kenshi/T6/T6-4a5-02-02-01-02.htm -
『福井県史』通史編2 中世
ついて、内徳知行者である織田寺は雨夜新左衛門を名代職に任命し、本役・夫役は朝倉氏へ、内徳分は織田寺へそれぞれ納入するという書違(契約書)を交わしている(資5...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-4-01-02-05-04.htm -
『福井県史』通史編3 近世一
前ページへ 次ページへ 第一章 織豊期の越前・若狭 第二節 織田期の大名 二 越前国支配の様相 城下町勝山の形成 天正三年...localhost/fukui/07/kenshi/T3/T3-0a1a2-02-02-02-09.htm -
『福井県史』通史編2 中世
天正三年(一五七五)、興福寺大乗院の門跡尋憲の使者が織田信長の禁制を携えて河口荘に赴いたとき、荘内の各郷には禁制を...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-3-01-03-03-03.htm -
『福井県史』通史編2 中世
まず古くから勢力をもつ密教兼修の丹生郡織田剣社・織田寺、丹生郡越知社・大谷寺、今立郡大滝社・大滝寺の神事・...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-6-01-01-02-01.htm