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『福井県史』通史編2 中世
義重が承久の乱の新恩地として志比荘の地頭職を受けたことを明らかにする史料は存在しないが、道元を同荘...が知られることから、義重と時光は越中国野尻とともに志比荘の地頭職を受け継いでいったものと考えられる。これらのことから義重...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-07-02-08.htm -
『福井県史』通史編2 中世
、彼は若狭国一宮十二代 宜景継の姪と婚姻し、娘を大飯郡本郷地頭であった本郷隆泰の従兄弟の道勝房に嫁がせるなどして三方郡以...(一三三四)には渡辺中務丞が、かつて得宗に没収された太良荘地頭職の回復をもくろむ若狭直阿と結び同荘に討ち入り、悪党人とし...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-3-01-03-04-05.htm -
『福井県史』通史編2 中世
大飯郡本郷は領主国衙、地頭本郷氏の 所領であったが、南北朝期以後は国衙職と称される国...が優先されていたことは、鎌倉期に国衙領で得宗や関東御家人が地頭であった所領のうち、室町期には幕府料所として現われるものが...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-04-06-04.htm -
『福井県史』通史編4 近世二
彼等は知行所の村役人とともに、江戸地頭所役人からの布達類を直接請けて知行所農民に伝達したり、領内...(一八三〇〜四四)期から嘉永期にみられ、同藩の為替によって地頭所に納められた。また安政二年(一八五五)には大庄屋が直納し...localhost/fukui/07/kenshi/T4/T4-0a1-02-01-02-03.htm -
『福井県史』通史編2 中世
モンゴル襲来と社会の変動 モンゴルの圧力と御家人・非御家人の対立 このように地頭と百姓・領家との対立の背景には社会の大きな変動があったので...た。幕府はここで、「蒙古人襲来」にそなえ、九州に所領をもつ地頭・御家人たちを所領に下向させて九州の防備を固めるとともに、...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-05-01-03.htm -
図説福井県史 中世6 仏教の新しい動き(1)
日本曹洞宗の開祖として知られる道元は、1243年(寛元1)吉田郡志比荘地頭の波多野義重の招きに応じ、京都深草興聖寺から越前に居を移し...寺しました。 1278年(弘安1)に大野郡小山荘木本郷内に地頭伊自良氏らの外護をうけ宝慶寺が創建され、道元の宗風を伝えま...localhost/fukui/07/zusetsu/B06/B061.htm -
『福井県史』通史編2 中世
元徳三年(一三三一)に松永荘地頭の惟宗(多伊良)能泰は、二親聖霊の成仏と藤原氏女の息災を願...の攻撃を受けて幼い二人の子息とともに死を決した大野郡牛原荘地頭の淡河時治は、妻に生き延びて誰とでも再婚してほしいと勧めた...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-06-03-06.htm -
『福井県史』通史編2 中世
若狭においては、元亨元年に太良荘助国名の地頭方年貢八貫七一六文と領家方年貢七石八斗五升を代納することに...年には助国名主職に補任され(ユ函三二)、さらにこのころ得宗地頭の給主の代官として荘の支配にあたっていた。覚秀は南北朝期には宗安名と太良宮...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-06-04-07.htm -
『福井県史』通史編2 中世
(「六条八幡造営注文」)、このときの大番役勤仕も、若狭国の地頭としてではなく在京人としての参勤であったと考えられる。のち...、それを根拠に再度不法を訴えた(エ函八・九)。 これに対し地頭代は一応承伏の姿勢をみせたが、領家側はこれ以上事を荒だてる...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-05-01-02.htm -
『福井県史』通史編2 中世
足羽郡角原等地頭職がみえる。文和元年十月には足利義詮がこのうち小礒部保を造営料所として安堵し、宮成保地頭職は寄進している(資2...間地域のすみずみに荘園支配が及んだ。なお当地には、領家方・地頭方など下地中分に関係するらしいことをうかがわせる地名が伝わ...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-04-07-03.htm