- Sort Score
- Result 10 results
- Labels All
Results 101 - 110 of 233 for 検索ワード (0.01 sec)
-
『福井県史』通史編2 中世
山王社)の行神事分の餅一九八枚・酒二斗が、領家方・地頭方の百姓から地頭代官の得分として納められることになっている(ハ函四三)。...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-6-01-01-02-03.htm -
『福井県史』通史編2 中世
先にも述べたように、名主などが本役を未進し逃亡したような場合、その地の地頭などは名主の権限を否定し、名主がそれまで収納していた内徳分...福寺が「如法なんぎ」(どうみても困難)な是時名作職の改替を地頭の力を借りて強行しているのは、この地の作職を否定して散田として支配するためであった(資8...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-4-01-02-05-05.htm -
『福井県史』通史編2 中世
モンゴル襲来と社会の変動 モンゴルの圧力と御家人・非御家人の対立 このように地頭と百姓・領家との対立の背景には社会の大きな変動があったので...た。幕府はここで、「蒙古人襲来」にそなえ、九州に所領をもつ地頭・御家人たちを所領に下向させて九州の防備を固めるとともに、...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-05-01-03.htm -
『福井県史』通史編2 中世
しかし少なくとも寛喜元年には、忠時自身は若狭から姿を消し、その所領一六か所の地頭職を没収されたことは間違いないところで(同前)、後年の状況...は二階堂氏、三方郡前河荘は殖野(上野)為時がこれに代わって地頭に補任された。 ただ若狭忠清は兄の事件とは関わりなく九か所...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-03-02-01.htm -
『福井県史』通史編2 中世
南北朝期さらに室町期の変動のなかで、荘園・公領の領主および地頭がどのように交代していったかをみておきたい。ここで領主とい...町期において寺門支配の史料を見出せず、応永二十一年に三分一地頭職が南禅寺竜華院に安堵されていることなどからみて支配権を失ったものと考えられるが(資2...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-04-06-01.htm -
『福井県史』通史編2 中世
義重が承久の乱の新恩地として志比荘の地頭職を受けたことを明らかにする史料は存在しないが、道元を同荘...が知られることから、義重と時光は越中国野尻とともに志比荘の地頭職を受け継いでいったものと考えられる。これらのことから義重...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-07-02-08.htm -
図説福井県史 中世6 仏教の新しい動き(1)
日本曹洞宗の開祖として知られる道元は、1243年(寛元1)吉田郡志比荘地頭の波多野義重の招きに応じ、京都深草興聖寺から越前に居を移し...寺しました。 1278年(弘安1)に大野郡小山荘木本郷内に地頭伊自良氏らの外護をうけ宝慶寺が創建され、道元の宗風を伝えま...localhost/fukui/07/zusetsu/B06/B061.htm -
『福井県史』通史編2 中世
元徳三年(一三三一)に松永荘地頭の惟宗(多伊良)能泰は、二親聖霊の成仏と藤原氏女の息災を願...の攻撃を受けて幼い二人の子息とともに死を決した大野郡牛原荘地頭の淡河時治は、妻に生き延びて誰とでも再婚してほしいと勧めた...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-06-03-06.htm -
『福井県史』通史編2 中世
若狭においては、元亨元年に太良荘助国名の地頭方年貢八貫七一六文と領家方年貢七石八斗五升を代納することに...年には助国名主職に補任され(ユ函三二)、さらにこのころ得宗地頭の給主の代官として荘の支配にあたっていた。覚秀は南北朝期には宗安名と太良宮...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-06-04-07.htm -
『福井県史』通史編2 中世
、彼は若狭国一宮十二代 宜景継の姪と婚姻し、娘を大飯郡本郷地頭であった本郷隆泰の従兄弟の道勝房に嫁がせるなどして三方郡以...(一三三四)には渡辺中務丞が、かつて得宗に没収された太良荘地頭職の回復をもくろむ若狭直阿と結び同荘に討ち入り、悪党人とし...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-3-01-03-04-05.htm