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  1. 『福井県史』通史編1 原始・古代

    御代重ね」(一八—四〇九四)とか、「天照らす 神の御代より 安の川 中に隔てて 向い立ち 袖振りかわし」(一八—四一二五)のような歌を詠んでいるのである...
    localhost/fukui/07/kenshi/T1/2a3-02-02-02-03.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  2. 『福井県史』通史編2 中世

    によって足利義政の祈願所となり、寺領および塔頭領を安堵する袖判御教書を得た。それとともに、幕府の制札や守護の奉書・管領の御判を手にしている(資4...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-6-01-01-01-04.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  3. 『福井県史』通史編3 近世一

    )と寛文九年の城下の大火、明暦三年(一六五七)のいわゆる振袖火事による江戸藩邸の類焼などによって、財政難が顕在化してきた...
    localhost/fukui/07/kenshi/T3/T3-0a1a2-03-01-03-02.htm
    Fri Apr 19 11:32:03 JST 2019
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  4. 『福井県史』通史編2 中世

    り、それらが寄進・売買・譲渡されるさいには領主である元隆の袖判を据えた補任状が新たに必要とされた(資9 妙楽寺文書九・一...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-4-01-04-01-01.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  5. 『福井県史』通史編2 中世

    王大壷・残月肩衝などをもっていたというが(「仙茶集」)、小袖屋が府中の商人であったこととあいまって、越前府中に町人茶の湯...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-6-01-04-01-06.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  6. 『福井県史』通史編2 中世

    の城に入っており(資9 羽賀寺文書二七号)、宗全が信豊の領袖として重要な存在だったことをうかがわせる。 永禄年間(一五五...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-4-01-03-02-02.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  7. 『福井県史』通史編3 近世一

    無用之事、一、衣類其外傘履物等艱難いたし有合之品ニ而相凌、袖口半襟等ニ而あらたに買調申間敷事、一、粽・京餅等五節句之祝儀...
    localhost/fukui/07/kenshi/T3/T3-5-01-04-05-01.htm
    Fri Apr 19 11:32:04 JST 2019
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  8. 『福井県史』通史編2 中世

    言が露顕し、蓮崇は破門の身となった(「天正三年記」、「徳了袖日記」)。蓮如は明応八年(一四九九)三月二十五日に没するが、...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-4-01-05-01-08.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  9. 『福井県史』通史編2 中世

    年貢は五〇〇石で、そのほかに段別米・加徴米、あるいは綿・小袖絹・糸・苧などの公事を負担していた(資1 「醍醐雑事記」巻一...れており、絹製品の一部も銭納となっている。しかし布・綿・小袖絹・糸・苧は大部分が現物納であり(同三八号)、当荘は「絹の荘...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-04-05-04.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  10. 『福井県史』通史編2 中世

    法脈」『集成』四)、当初は大町門徒の一員であったが(「存覚袖日記」文和元年三月条)、今立郡山本荘に引き分かれ一派をなした...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-6-01-02-03-05.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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