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 第五章 宗教と文化
   第四節 文化の諸相
     五 食事・衣類・道具
      法令にみる生活規制
 幕府や諸藩は様々な法令を出して農民の生活を規制した。一方、村々においても「村定」や「村中申合」などと称して掟を定め自主規制を図った。そのほか農民統制に大きな役割を果たしたものの一つに五人組制度がある。五人組制度については第三章第一節にも述べられているが、村々では五人組帳が作成され、その前書には庶民の日常生活の細部にわたっての規定が記され、短いものでも七か条、長いものになると百数か条にわたった。なかでもとくに農民の生活を規制した触(条目)は毎年日を定めて読み聞かせられた。例えば、大野藩領の中野村では正月十五日、当日は休日に定められており、庄屋宅に集められた農民に条目を読み聞かせた。
 これらの法令類に掲げられた衣食および生活道具について、具体的にみていくことにする。しかしそれはあくまで法の世界における望ましい農町民像を示したものであり、実生活における農町民像とはかなりかけ離れたものであった。実像については次に述べるとして、具体的に史料をあげてみる。一、聟取娵取之儀者料理一汁三菜ニ不可過……朝夕之食事雑穀を用可申之事、一、 村中寄合相談之節酒肴其外百姓之もたいの食物一切給申間敷事、これは貞享三年(一六八六)幕府領の五人組前書である(経岩治郎兵衛家文書)。次の例は南条郡上平吹村の天保八年(一八三七)の村定(上平吹区有文書)である。一、元日三日七種一五日其外年中のもん日ハ雑飯、平日ハ雑炊煎粉等ニ而相暮生飯ハ一切いたすへからす、菜ハ一汁之外可爲無用之事、一、衣類其外傘履物等艱難いたし有合之品ニ而相凌、袖口半襟等ニ而あらたに買調申間敷事、一、粽・京餅等五節句之祝儀相止メ可申候、祭礼休業之節にしん(鯡)ハ力ニもなり夫食之足合ニ候間右之品ニ而相賄、魚物并とうふこんにやくニ而も出費之品ハ決て相遣ひ申間敷事、一、祝儀不祝儀ハ勿論酒ハ何之事ニよらす年中可爲禁制候事、
 飢饉時の村定ではあるが、このように常日頃から衣食ともに質素な生活を送る農民こそが、為政者の最も期待する農民の姿なのであった。



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