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図説福井県史 中世8 南北朝の動乱(2)
8 南北朝の動乱(2) ▲越前の南北朝期の山城跡 上から鷹巣(高栖)城、三峯城、鷲ケ岳(伊知地 山城)、妙法寺城、杣山城。杣山城下の阿久和...localhost/fukui/07/zusetsu/B08/B082.htm -
図説福井県史 中世8 南北朝の動乱(1)
8 南北朝の動乱(1) 1333年(元弘3)に鎌倉幕府が滅亡した後に後醍醐天皇は天皇政治の復活をめざしました。しかし得宗...localhost/fukui/07/zusetsu/B08/B081.htm -
『福井県史』通史編2 中世
「相国寺供養記」にみえる斯波氏の随兵 表20 南北朝期の斯波氏重臣 のちの幕府管領細川氏の一族と思われる細川(完草)氏は南北朝初期の斯波家中で最高...目次へ 前ページへ 次ページへ 第二章 南北朝動乱と越前・若狭 第二節 守護支配の進展 二 斯波氏の越前支配 斯波氏の被官...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-02-02-02.htm -
『福井県史』通史編2 中世
が発する代継安堵状(補任状の形式をとる)も南北朝期以後はみえなくなる。南北朝期の代継安堵状は、貞治六年(一三六七)の乗蓮跡真利名(資9...目次へ 前ページへ 次ページへ 第二章 南北朝動乱と越前・若狭 第三節 動乱期の社会変動 二 惣百姓の一揆 名主職相論の終焉...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-03-02-03.htm -
『福井県史』通史編2 中世
序章 南北朝期・室町期 得宗専制のもとで押さえ込まれていた諸矛盾の激化が鎌倉幕府の崩壊、建武新政府の成立、南北朝期内乱を...に突入していく。 鎌倉後期より現われた「悪党」的な行動は南北朝期には一種の社会現象として広くみられるようになり、旧来の身...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-01-03.htm -
『福井県史』通史編2 中世
南北朝分立期にあたり、越前は南朝方振興の一拠点の役割をもち、南北朝両軍攻戦の場となった。斯波高...する。若狭は京都に近いため諸事波及・影響することが多く、南北朝期に守護交替もしきりに行なわれ、やがて四職家の一色氏が守護となる。...localhost/fukui/07/kenshi/T2/2-2kansyuu-01.htm -
『福井県史』通史編2 中世
右に述べたように、領家方は南北朝期以降は地頭方の支配のあり方を引き継ぐことにより公田支配の限界を克服しようとしていた。また同じく南北朝期には...目次へ 前ページへ 次ページへ 第二章 南北朝動乱と越前・若狭 第四節 越前・若狭の荘園の諸相 一 太良荘 室町期の在地秩序...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-04-01-04.htm -
『福井県史』通史編2 中世
次ページへ 第二章 南北朝動乱と越前・若狭 第三節 動乱期の社会変動 五 女性の活動 家の形成 南北朝期には、それまで荘園...などによって分割されて半名が多くなり(な函五二)、さらに南北朝期にはこの半名が分割されて四分一名が一般化するが(オ函五九...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-03-05-01.htm -
『福井県史』通史編2 中世
次ページへ 第二章 南北朝動乱と越前・若狭 第三節 動乱期の社会変動 三 一円支配への動き 武士と荘官の動向 南北朝の内乱は領主...することが可能であったが(資2 本郷文書八・一二一号)、南北朝以後はそうした新所領における庶家分立は不可能となった。した...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-03-03-01.htm -
『福井県史』通史編2 中世
としての桑原は在地武士桑原氏の台頭によるものと考えられ、南北朝期以後のことであろう。桑原氏の館跡と称するところは、集落北...とまる。この地域は戦略的拠点として重視されていたものか、南北朝争乱期には南朝方がこの城を攻め、激しい攻防戦が行なわれたと...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-5-01-03-01-02.htm