今月のアーカイブ Archive of the Month

音をつづる

 生まれて、空気を伝わって耳に届く、消えてゆく「音」。
 人は、録音機器のない時代から「音」を文字に落としこみ、記録してきました。新生活のはじまりを告げる「チヤンチヤンチヤンチヤン」、山谷に銃砲声がこだまする「ゴウゴウ」、天地も砕く「ガラガラ」、あの松平春嶽7歳の「ドキドキ」…… 。
 あの時代が、あの場面が、あの瞬間が、資料から臨場感たっぷりに蘇ります。

会期

2019年6月28日(金)~8月21日(水)※終了しました

ひと夏の家、ひと夏の家族

「休暇日記」
「休暇日記」
「休暇日記」
「休暇日記」
1928年(昭和3)8月1日~31日 「休暇日記」
藤野厳九郎家文書(当館寄託)C0125‐00084
※展示は2日の記述
 8月1日、水曜日、曇。この日、本荘小学校 (現在のあわら市立本荘小学校)に通う4年生のツネヤ(恒弥)は、お母さん(文)と一緒に「朝一番列車」で敦賀に向かいました(2人は藤野厳九郎の長男と妻)。
 今日は夏期児童保養所(日本赤十字社福井支部が敦賀商業高校(敦賀高校の前身校)内に設置)に入る日です。ツネヤの部屋は5号室、同室は12人、新しい友達をじろじろ眺めているまに入所式、先生方のお話、広い食堂で食事、海水浴、お風呂……一日が終わり、次第に暗くなってきました。
 保養所で迎えるはじめての夜。赤い毛布を体に巻き、バンドで締めるのだから、まるで達磨さんの…よ……う………zzz zzz――――――――――――チヤンチヤンチヤンチヤン 起床の鐘に飛び起きる。

山谷に響く銃声、大空に轟く砲声

「(山砲兵分隊長滝本孝之陣中日記)」
「(山砲兵分隊長滝本孝之陣中日記)」
「(山砲兵分隊長滝本孝之陣中日記)」
「(山砲兵分隊長滝本孝之陣中日記)」
1938年(昭和13)7月3日~11月19日 「(山砲兵分隊長滝本孝之陣中日記)」
滝本嘉博家文書(当館蔵)J0127‐00003
※展示は10月16日~21日の記述
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 10月16日、晴。
 寒イ。朝マダ暗イ内ニ目ガ覚メル。アチコチノ営舎カラ焚火ノ煙ガ昇ッテイル。午前8時、出発。工兵隊ノ努力デ馬ガ通レル様ニナッテイルガ、全ク難路ダ。前進、約3キロメートル先デ谷間ニ下リル。待機、昼食。午後0時30分頃、敵迫撃砲ノ集中砲火。砲弾ガ盛ンニ付近ニ落下、炸裂。硝煙ニ覆ワレル。幸イ犠牲者ナシ。桑原桑原。 敵ハ総退却ヲ開始。午後6時、「除立市」ニ向ケテ出発。夜行軍。山ヲ越ヘ、谷ヲ越ヘ、川ヲ渡リ、急坂ヲ上リ下リ。真ノ闇夜ニ兵士・軍馬ノ苦闘、例ヘ様ナシ。午前2時、ヨウヤク平地ニ出テ露営。

 10月17日、晴。
 午前2時、就寝。5時、起床。8時30分、出発。前進、約5キロメートル先デ敵ト遭遇、戦闘。小川デ給水。久シ振リニ平地ヘ出タ。心ガ広々トシテ、実ニ心地ヨク露営。澄ミ渡ル秋ノ大空、星ヲ眺メツツ就寝。

 10月18日、晴。敵ハ退却シタカ、小銃ノ音ガ聞コエナイ。主力部隊ハ午前、残ル部隊ハ午後、出発。敵ヲ追撃。「三渓口」ヲ経テ左ノ追撃路ニ入ル。午前0時、川沿イノ高梁(モロコシの一種)畠デ露営。寒サガ身ニシミテ眠レナイ。付近ノ高地ニ敵陣地アリ。銃声ガ聞コエル。

 10月19日、晴。
 寒サデ目ガ覚メル。アタリハ未ダ薄暗ク、体ハ夜露ニ濡レテビッショリダ。寒イノモ無理ハナイ。午前、各部隊出発。「伍家」付近ニ到着。高地ニ敵陣地アリ、前方ノ友軍ニ抵抗、盛ンニ弾ガ飛ンデ来ル。直チニ攻撃開始。主力部隊ハ夜ヲ徹シテ猛攻。分隊ハ付近ノ高地ニ遮蔽シテ露営。

 10月20日、晴。
 払暁カラ銃砲声ガ物凄イ。夜半ニ友軍重砲隊ガ到着シタカ、後方カラノ発射音ガ山谷ニコダマシテゴウゴウトウナッテイル。敵モ地形ヲウマク利用シテ盛ンニ友軍陣地ヲ攻撃。午後1時、出発。約500メートル前進。望楼(やぐら)付近ノ集落ニ入リ、露営ノ準備。準備中モ盛ンニ敵ノ弾ガ付近ニ着弾。ソノ一発ハ不幸ニモ我ガ分隊ニ命中。馭者(馬、馬車を操る)京角一等兵ガ名誉ノ「左大腿部盲貫砲弾破片傷」ヲ受傷。付近ニイタ歩兵一名モ重傷デ、後方ニ送ラレル。上陸以来、分隊デ初メテ犠牲者ガ出タ。京角ニハ全ク気ノ毒ニ堪エヌ。夜ハ昼ノ戦闘ヲ思イツツ就寝。

 10月21日、晴。
 早朝カラ猛烈ナ砲兵戦。今ヤ戦タケナワ、秋ノ大空ニ銃砲声ガ轟キ渡リ、ゴウゴウト山谷ニコダマスル。アチコチデアノ憎イチェコ機関銃ガカタカタト火ヲ吐イテイル。上空ニハ友軍機ガ敵陣地ヲ偵察シナガラ悠々ト飛ンデイル。全ク頼モシイ限リダ。今日一日ノ戦闘モ終ワリ、ヤガテ静カナ戦場ノ夜。警戒シナガラ露営。

 この日記の著者は、大野郡野向村(現在の勝山市野向町)出身の分隊長滝本孝之さん。昨日の「ゴウゴウ」に続いて、今日も朝から「ゴウゴウ」「カタカタ」……猛烈な撃ち合いではじまったこの日も何とか命拾い。「静カナ戦場ノ夜」……になったかと思いきや「午後9時20分頃、命令来リ。急ニ追撃前進トナリ、眠ムタイ目ヲコスリ乍ラ準備ス」……そのまま行軍中に夜が明けました。日中戦争2年目の秋です。
 それから3年と2か月後の1941年(昭和16)12月8日、真珠湾攻撃でこの戦争は太平洋戦争に突入。それからさらに3年と8か月後の1945年8月15日、終戦。
 この秋から6年と10か月、この戦争もそこでようやく終戦を迎えました。

世界の終わり

「(福井地震体験日記)」
1948年(昭和23)6月20日~49年3月23日 「(福井地震体験日記)」
岩井正文書(当館蔵)A0193‐00001
※展示は6月28日の記述
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 だるま屋百貨店(現在の西武福井店)の向かいにある高津商店に勤める一人の男性岩井正さん24歳が、その日、聞いた音、見た光景です。
 1948年(昭和23)6月28日、晴。岩井さんは出勤日でした。午後5時(サマータイム、現在の4時)終業。岩井さんは5時に彼女(資料中の「K.S」さん)と映画を見に行く約束をしていました。遅れないよう、急いで店を、一歩出た、その時、天地も砕くガラガラ
 家が電柱が倒れ、市電がこっちに、電車から逃れようと店の方に身を寄せたら、丸七呉服店が、高津商店が、島田自転車が、かがみやがグラッ、倒れてくる建物から逃れようと今度は向かいのだるま屋の方に身を寄せれば、だるま屋百貨店も……これが世界の終わりか。

“世界の終わり”から一週間

「震災アルバム 二」
「震災アルバム 二」
「震災アルバム 二」
「震災アルバム 二」
1948年(昭和23)7月5日 「震災アルバム 二」
写真(当館蔵)50040~50043
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 1週間後の7月5日、三笠宮崇仁親王の慰問のようすを撮影した写真です。

春嶽の胸が高鳴る

「正二位慶永公御著述真雪草紙」
年月日未詳 「正二位慶永公御著述真雪草紙」
松平文庫(県立図書館保管)1554(仮164)/A0143‐21554
 御三卿田安徳川家の当主、徳川斉匡(福井藩主松平春嶽の実父)は、能が大好き。三月に一度の能に、月に一度の仕舞・囃子(略式の能)を恒例の行事にしていたほどです。
 今日は三月に一度の能の日。父斉匡に呼ばれた錦之丞(後の福井藩主松平春嶽、当時7歳)・群之助(後の田安徳川家当主徳川慶頼、同)兄弟、行ってみると父から「汝仕舞をせよ」との仰せが。これには春嶽も「胸がドキドキとしたり。」こうして錦之丞・群之助兄弟は、当日急遽、舞台で“高砂”を披露することに。
 舞台に上がった錦之丞、舞をはじめてしばらくしたところで、続きを忘れてしまいました。当惑する錦之丞、もはや「泣くより外あるまじ」しかし、何とか気を取り直した錦之丞、大声で「忘れてしまいました。舞い直します。」
 二度目は舞い切り、見所(観客席)を見ればみな笑顔。群之助は一度でうまく舞い切りました。
 お叱りを受ける覚悟で父のもとへ行くと、父からは「その年で『忘れた』と言って舞い直すとは……あっぱれ!」とお褒めの言葉。
 松平春嶽、後年になっても忘れ 得ぬ、7歳の頃の「ドキドキ」な 出来事でした。

気分は大坂?関が原?

「南越雑話 上」
「南越雑話 上」
1748年(寛延元)~81年(安永10) 「南越雑話 上」
松平文庫(県立図書館保管)956(仮697)‐1/A0143-02066
※年代は推定
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 御前に召し出されて戦場の話をお聞かせしていると、殿が槍を合わせる前(攻撃をしかける前)のことをお尋ねに。
 槍を合わせる前は、太鼓を打って勢力を一つにして進みます。そのようすを「太鼓ヲデント打テハ、ヱイト進、デント打テバ、ヱイト進」と口で説明、体で表現しているうちに、いつの間にやら夢中になって……「デン」「ヱイ」「デン」「ヱイ」「デン」「ヱイ」そのまま殿のお膝元まで進みいで……「なんと殿、面白くはござらぬか!」
 そして勢い余って殿のお膝を叩く! お怒り!?お手討ち!?殿は……笑顔でした。
 殿 :福井藩主松平光通 お話:藩士井野治郎太夫(武田流兵学者、戦場経験者)

与一の一矢

「平家物語 巻第十一」
「平家物語 巻第十一」
「平家物語 巻第十一」
1677年(延宝5)「平家物語 巻第十一」
桜井市兵衛家文書(当館蔵)N0055‐00789
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大将軍源義経 「あれハいかに?」
武将後藤実基 「射よと。」
源義経 「味方に射つべき仁ハ誰か有?」
後藤実基 「下野国の住人、那須太郎資高が子に与一宗高。小兵でハ候へ共、手ハ利いて候。」
源義経 「証拠が有か?」
後藤実基 「翔け鳥(空を飛ぶ鳥を射ること)などを争ふて、三に二ハ必ず射落とし候。」
源義経 「さらバ与一呼べ。」
 年の頃は20ばかり、重藤弓を脇に挟み、甲を脱いで高紐に掛け、義経の御前に畏まった男、与一。もし射損じれば、源氏の名に傷がつくと辞退を申し出ますが……義経は大将軍、やはり下知(命令)には背けません。大きくたくましい黒馬に乗って海岸へと進み出ます。
 的は遠く、乗馬のまま1段(約11メートル)ほど海に乗り入れる与一、それでも、的まではまだ、7段ほどあります。
 北風激しく、波高く、舟揺れ、的定まらず。沖では平家が舟を並べ、陸では源氏が轡を並べて見守っています。
 目を閉じる与一、心の中で「南無八幡大菩薩……」祈念して目を開けば、風は少し弱まり、的の動きも落ち着いています。
 与一、鏑矢をとって弓につがい、よく引いて「兵」と放つ―――――――――――――――――――――――――――――――「ひいふつ

深夜の大阪、雨の日本橋、旅の宿

「大正六年福井県師範学校本科女子部第4学年生修学旅行日誌」
「大正六年福井県師範学校本科女子部第4学年生修学旅行日誌」
1917年(大正6) 「大正六年福井県師範学校本科女子部第4学年生修学旅行日誌」
伊藤三郎左衛門家文書(当館蔵)I0058‐00346
展示は4月24日の記述
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 福井県師範学校(小学校の教員を養成)本科女子部4年生33人(+職員2人)で行く5泊7日の修学旅行。
 1917年(大正6)4月20日の午後8時19分に福井駅を出発。最初の目的地は三重です。米原駅(待ち時間3時間50分、仮眠)、名古屋駅(待ち時間1時間23分、名古屋城周辺散策)、亀山駅(待ち時間18分)で乗換、21日の午後0時39分に山田駅(現在の伊勢市駅)に到着。22日は三重から奈良へ。23日は奈良から大阪へ。24日は大阪から兵庫、兵庫から京都へ。25日は一日京都で、最終日26日は京都から滋賀へ、そして午後5時37分に石山駅(滋賀県)を出発。米原駅で乗換、午後11時45分に福井駅に到着。という旅程です。
 その旅の半ばの23日。大阪に降り立てば空は曇り、と瞬く間に雨……予定も変更を余儀なくされてしまいました。午後5時に宿に到着して夕食。おたのしみの夜の外出も雨。早々に切り上げて宿へと戻り、8時過ぎに就寝。
 その夜、ふと夢から覚めれば、はたはたと戸を叩く音。雨いまだ止まぬか……明くれば晴れよう……失望と希望とを織り交ぜながら、またもや夢の中へ。
 ――――24日。午前4時、 目覚ましの音が聞こえる。 雨戸を開ける。 冷風が頬をなでる。 外は……。

DSKのATK

「歌舞劇安宅一幕(脚本)」
(年月日未詳) 「歌舞劇安宅一幕(脚本)」
高田富文書(当館蔵)A0502‐00120
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 行く手をふさぐは、昨日も山伏を3人斬ったという判官殿(富樫左衛門)。一行は、ここを通ったのが運の尽きと決死の覚悟で最後の勤行。山伏(弁慶)のそばに寄り、呪文を唱え、数珠をさらさらと押しもんだり。そして「勧進帳」のくだりへ……。
 この「安宅」は、だるま屋少女歌劇部(DSK)でも、歌舞劇として上演されました(1935年(昭和 10)10月公演で初演、11月公演でも続演)。
 弁慶役に泉澄子さん、義経役に春日陽子さん、富樫役に濱眞砂子さんという配役で出演者は全員少女。義経役の春日陽子さんは蹠部(足の裏)捻挫を押しての出演、DSK版「安宅」の評価は……?

発症前夜

「夏休日誌」
「夏休日誌」
「夏休日誌」
1913年(大正2) 「夏休日誌」
松田三左衛門家文書(当館蔵)A0169‐02547
展示は8月22日の記述
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 福井中学校(藤島高校の間接的な前身校)3年甲組、松田幸農。出身は福井市の西、越前海岸にある鷹巣村南菅生(現在の福井市南菅生町)。通学するには遠いため、学期中は寄宿舎(福井市佐佳枝上町、現在の中央1丁目)生活です。
 7月24日、幸農はこの日から「夏中暇休」(夏休み)。午前3時に起床の4時に出発で、家族が待つ南菅生へ。
 夏休みも残り10日になった8月22日、この日は国見村鮎川(現在の福井市鮎川町)の漆崎くん(旧友)に会いに行くつもりでいたのに、用事ができて親戚の家に行くことに。そこに内田くん(旧友)がいて学校の成績を語り合いながらそのまま昼食。昼食後は蔵屋敷の石を片づけるお手伝い。夕食後はすぐに就寝、グーと眠る。
 実は石を片づけている最中に……幸農は体に違和感を覚えていました。
 23日、頭痛がするから掃除はやーめたっ! 24日、三国へ。朝から夜まで大満喫。 25日、朝から頭痛で仁丹が朝食代わり。26日・27日、朝から頭痛に腰痛で、夜は母や祖父に按摩をしてもらってようやく就寝。28日、朝に福山医師から薬をもらう。いわく「オコリ(マラリヤ)」らしい。ほんとかな?
 29日、全快したので「ウント食シ」「遊ビニモ行ク」「海ニモ入ル」――――――午後4時頃、悪寒。発熱。頭痛に腰痛。叔母いわく「今度ハマウ(もう)、本調子ノオコリトナツタ。」その夜、幸農は「一夜、マンジリトモ眠ラナカツタ、アア、疾コソハモウイヤダト、夢カ幺刀幻カニ云ツナーダ(ママ)。」
 31日、「キナ円」(マラリアの特効薬「キニーネ」か)で全快。

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