今月のアーカイブ Archive of the Month

資料で愉しむふくいの春 桜 種まき うた うたげ

春にちなんだ文書館資料
『少女歌劇タイムス』 高田富文書 A0502-00110
『小供画帖 花咲爺』 坪田仁兵衛家文書 C0005-02431
「農事日誌」 飯田広助家文書 G0024-00118-001
「敦賀港絵はがき(袋入)」 坪田仁兵衛家文書 C0005-01863
春の匂いが立ちはじめ、だんだんと濃くなってゆくこの季節。めぐりくる春の華やぎは今も昔もかわらず、人びとの心を浮き立たせます。
長い冬の後に春を迎える雪国ではその華やかさもまた格別で、ふくい人も眺めたり、詠んだり、種をまいたり、さまざまな形で春を愉しんでいました。
展示では実際に春がくるまで、その季節を待ちながら、春にちなんだ資料を紹介していきます。

会期

平成29年2月24日(金)~平成29年4月9日(日) 文書館閲覧室

ハナオサカセマシヨウ

『小供画帖 花咲爺』坪田仁兵衛家文書 当館寄託
1911年(明治44)発行 『小供画帖 花咲爺』
坪田仁兵衛家文書 当館寄託 C0005-02431
昔話「花咲か爺さん」の明治時代の絵本です。
「シヨジキヂヽイ」(正直爺)、「イヌ」、「ヨクバリヂヽイ 」(欲張り爺)、「トノサマ」、この4者の登場人物による勧善懲悪の物語で、「イヌ」を中心にして「シヨジ キヂヽイ」と「ヨクバリヂヽイ」との対比が描かれ、両者は最後に対照的な結末を迎えます。
「イヌ」は途中で「ヨクバリヂヽイ」に殺されてしまいます。その後、木になって再登場しますが、臼になっ たところで再び壊され、燃やされ、灰になってしまいます。しかし、灰になってからが見せ場です。
「イヌ」(臼)の灰を引きとった「シヨジキヂヽイ」は、その灰を抱えて枯れ木に登ります。そして「トノサ マ」の前で灰をまき、枯れ木に花を咲かせて褒美を授かります。(「ヨクバリヂヽイ」も灰をまきますが、「トノサマ」の目に入れてしまい、捕らえられていきます。)

春の便り

「万家重宝 女用花鳥文章」寺田与右衛門版 桜井市兵衛家文書
1729年(享保14) 「万家重宝 女用花鳥文章」 寺田与右衛門版
桜井市兵衛家文書(当館蔵) N0055-00604
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百姓や町人にも教育が普及してくると男子用や女子用に加え、 百姓用や町人用、さらには各地域用と、多種多様な 「往来物」(教科書)が作成されるようになりました。
これは女子用の往来物で季節の便りの文例のほか、和歌、字訓、裁縫の仕方などが多くの挿絵とともに書かれています。

春を歌う、春を舞う

『少女歌劇タイムス』 高田富文書
1933年(昭和8)年4月ほか 『少女歌劇タイムス』
高田富文書(当館蔵) A0502-00087、00098、00110、000111
福井県内初の百貨店「だるま屋百貨店」(現在の西武福井店)には「少女歌劇部」という部署がありまし た。現在も「宝塚歌劇団」に代表されるあの少女歌劇です。
春本番の4月、公演には春らしい演目が並び、少女たちは歌って踊って役を演じ、体全体で春を表現しました。

綿はこうやって栽培するのだ

「農稼業事抜書中之巻」 石倉家文書 福井県立図書館蔵
1819年(文政2)「農稼業事抜書中之巻」
石倉家文書(福井県立図書館蔵) A0067-00832
晩春に種をまくと夏に黄色の花が咲き、花がしぼむと、果実の中から綿花がふくらんできます。この綿花か らとれる繊維が綿です。
福井藩は農書「農稼業事」(著者は近江国の農学者)の抜書を作成し、それを藩内の村々に配付して綿や菜種の栽培を奨励していました。

なるほどなるほど

「農稼業事抜書帳中ノ巻村々并縁上之者共ヘ渡方帳 外ニ棉雌雄苗見分ケ書渡方奥ニ 有」 片岡五郎兵衛家文書
1819年(文政2)8月19日 「農稼業事抜書帳中ノ巻村々并縁上之者共ヘ渡方帳  外ニ棉雌雄苗見分ケ書渡方奥ニ有」
片岡五郎兵衛家文書(当館寄託) A0027-00019-001
1819年(文政2)に配付された「農稼業事抜書」は綿の「雌雄」、品種、採種、 種まき、間引き、肥料、添え木、害虫と、綿の栽培に必要な知識や技術がまとめられた1冊の小冊子で、これ自体が栽培マニュアルになっています。
この抜書は大庄屋(数十か村の庄屋のまとめ役)をとおして村々の百姓に配付されました。

種をまく人

「農事日誌」 飯田広助家文書
初年は1902年(明治35)・末年は1939年(昭和14)「農事日誌」
飯田広助家文書(当館寄託) G0024-00118-001~020
今立郡上池田村(現在の池田町)の「素人百姓」飯田広助(村長)がつけていた農業日誌です。広助は冒頭の「要領」(凡例)で記入事項や使用記号を定め、それにしたがい、約44年にわたって記録を続けています。
土を耕し、種をまき、苗を植え、肥料をやり、虫を除き、作物を収穫する。毎年、この繰り返しのようですが、天候に疫病に病害虫に…。
そして今年も土を耕し、種をまきます。

桜満開!城内開放!

「雑日記」松平文庫 福井県立図書館保管
1915年(大正4) 「雑日記」
松平文庫(福井県立図書館保管) A0143-21632
福井城は版籍奉還や西南戦争を期に解体が進められていましたが、それでも明治時代の中頃には本丸から三の丸までの広大な土地に百間堀をはじめとする巨大な堀、それに石垣も残っており、城内は豊かな自然環境に恵まれていました。
1893年(明治26)、最後の藩主松平茂昭の子康荘は ここに「松平試農場」(現在でいう農業試験場)をつくりました。現在も旧福井城本丸(現在の福井県庁・福井県警察本部)の周辺にはところどころに桜の木があり、春になると花を咲かせています。
当時の旧福井城(松平試農場)は市の中心部で豊かな自然に 親しめる場所でしたが、松平家の私有地でした。そのため、普段は一般に開放されていませんでしたが、1914年(大正3)より、桜の季節に限り一般に開放されるようになりました。
やはり、市民も楽しみにしていたのでしょうか。2年目の15年には、2日間で約3万人が旧福井城内で花見に興じています。

殿、歌を詠む

「昇安院様御筆花鳥」松平文庫 福井県立図書館保管
(年未詳)「昇安院様御筆花鳥」
松平文庫(福井県立図書館保管) A0143-21511
福井藩主松平吉邦(江戸時代中期)が詠んだ短歌です。歌の題材は1月から12月までの12か月、そのひと月ひと月の花と鳥です。題材の花と鳥はその月その月を想像しながら選んだのでしょうか。
1月は「柳」と「鴬」、2月は「桜」と「雉」、3月は「藤」と「雲雀」が 採用されています(それぞれ旧暦)。

殿、馬に乗る

『弘化四丁未歳正月ヨリ同年三月十八日迄御用日記』 宮崎長円家文書
1847年(弘化4)「弘化四丁未歳正月ヨリ同年三月十八日迄御用日記」
宮崎長円家文書(当館蔵) A0180-00001
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福井城の南東、荒川西岸の土手には桜並木があり、その土手の内側には桜の馬場という馬場がありました。
1847年(弘化4)旧暦2月28日、曇りのち晴れ。この日は午後1時から午後5時まで、藩主の城下廻りがありました。この時の藩主は松平慶永、20歳。慶永は城下廻りの途中で、この桜の馬場に立ち寄っています。
桜の馬場での目的は弓の稽古の観覧だったのですが、折節城下は花の盛りでした。桜に誘われたのか、弓の稽古を観覧した後、慶永は床几を立って馬場中をめぐり、さらにそれでは満足できなかったのか、そのまま常袴(普段着)で乗馬を楽しんでいます (この時、馬場には弓の弟子たちがいたため、慶永の側に仕えていた用人たちは弓の師匠がもってきていた幕を借り、それを弟子たちと慶永との間に 張ってその場をしのぎました)。
乗馬を終えると、慶永は再び城下廻りへと戻っていきました。

240年前の春

「(二十四輩参詣記念品)」吉川充雄家文書
1777年(安永6)「(二十四輩参詣記念品)」
吉川充雄家文書(当館蔵) C0037-00550-021
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坂井郡金津新町(現あわら市)の染物屋紺屋又右衛門が、旅の記念に集めた当時の植物です。
1777年(安永6)に「二十四輩」(浄土真宗の宗祖親鸞の24人の高弟)の旧跡を巡った又右衛門は、各地で植物を採集して持ち帰り、それを記念品として保管していました。

浮世絵で楽しむ石薬師の蒲桜

「東海道五十三対(石薬師)」 歌川国芳作、小嶋屋重兵衛版 松田三左衛門家文書
(年未詳)「(浮世絵など)」より
「東海道五十三対(石薬師)」 歌川国芳作、小嶋屋重兵衛版
松田三左衛門家文書(当館蔵) A0169-03426
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東海道の44番目の宿場伊勢国石薬師宿の名所です (現在の三重県鈴鹿市石薬師町)。 桜はヤマザクラの変種で、現在も季節になると白色の花を 咲かせています(県指定天然記念物)。
この浮世絵は東海道の揃物の一つ「東海道五十三対」の「石薬師」で、 原画は浮世絵を代表する絵師の一人歌川国芳が描いています。
源平合戦のさなか1184年(元暦元)、源氏の総大将源範頼(頼朝の弟)が伊勢国を行軍中に八幡神をまつる祠(現在の上地八幡宮)で戦勝を祈願し、手にしていた鞭(桜の枝)を地面にさしました。その枝が芽を吹き、木になり、 花をつけ、この蒲桜になったといわれています。
「蒲桜」の「蒲」はその範頼の通称「蒲冠者」にちなんでいます(さらにその「蒲冠者」は範頼の出身地 「遠江国蒲御厨」にちなんでいます)。

桜に恋、春の金崎宮

「敦賀港絵はがき(袋入)」 坪田仁兵衛家文書花換用の「桜の小枝」
(左)(年未詳)「敦賀港絵はがき(袋入)」
坪田仁兵衛家文書(当館寄託) C0005-01863
(右)花換用の「桜の小枝」 個人蔵
海に波に松という港町らしい背景に桜の花をあしらった敦賀港の 絵はがきです(写真は敦賀の名所「気比神宮」(左)と「金崎宮」(右))。
桜の花に金崎宮といえば、桜の季節の「花換まつり」。明治時代の末頃、花見がきっかけではじまったといわれています。
まつりと神事、そして花見で、期間中は境内がいっそうのにぎわいをみせ、意外な出会いも?もたらします。

「新曲 四季の敦賀」

「新曲 四季の敦賀」土岐善麿作詞・町田嘉章作曲 坪田仁兵衛家文書
(年未詳) 「新曲 四季の敦賀」土岐善麿作詞・町田嘉章作曲
坪田仁兵衛家文書(当館寄託) C0005-01859
歌詞は4番まであり1番では「金崎宮」、2番では「松原」、 3番では「気比神宮」、4番では「天狗党」と、名所や歴史を交えながら四季の敦賀を歌います。
春の後には夏が、秋が、冬が、そしてまた春がやってきます。でも、今年の春は今年だけ。まずは2017年の春を愉しみましょう。

「福井城下眺望図」

福井城下眺望図
大正8年(1919)模写 (福井市立郷土歴史博物館所蔵)

写真展示

写真展示 広報写真より

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開館時間

開館時間  9:00~17:00
休館日   月曜日(祝日の場合は翌日)
      第4木曜日