今月のアーカイブ Archive of the Month

「春嶽の生きた時代-家譜から見た幕末・明治」

福井県文書館資料叢書 慶永家譜1~5
福井県文書館資料叢書4~8『越前松平家家譜 慶永』1~5
福井県文書館では幕末の福井藩主松平春嶽(慶永)の「家譜」(53巻)を 資料集(5冊)として刊行する運びとなりました。
今回の展示では、今年度発刊の資料集(3冊)*が対象とする時期 (1853年から春嶽が死去する1890年まで)のうち、とくに明治初年までを取り上げます。
英明な藩主としての藩政改革および幕府への積極的な提言、安政の大獄による謹慎、薩長と徳川家の仲介役としての活躍など、この時期、春嶽はまさに激動の人生を歩んでいました。黒船来航以降、洋学の導入、攘夷を強く主張する長州藩への対応、水戸天狗党への対応、戊辰戦争の勃発、さらには著作「逸事史補」に関わるエピソードなど、おもなトピックを「家譜」の草稿をはじめとするさまざまな資料、家譜の画像パネルなどでご紹介します。

*このうち『越前松平家家譜 慶永』5は、3月中旬刊行予定です。

会期

平成23年2月25日(金)~4月10日(水) 文書館閲覧室
展示説明会 3月13日(日)11:00~、14:00~(20分程度)

展示ケース

「家譜 慶永公」表紙
「家譜 慶永公」(表紙)
越葵文庫 福井市郷土歴史博物館保管
「家譜」は福井藩の藩主ごとにその事績を編年体(日付順)で記録した資料です。
慶永(春嶽)の代については慶永が藩主を退いたのち、 死去する1890年(明治23)まで53冊が書きつがれました。 
「越前世譜 慶永様御代」 松平文庫 展示風景
「越前世譜 慶永様御代」 松平文庫 福井県立図書館保管
「家譜」の草稿にあたるとされており、1867年(慶応3)までが残されています。
朱筆で加筆・削除がなされているほか、細川斉護(正室勇姫の父)の死去や安姫(勇姫との間に生まれた長女)の出生など、「家譜」では欠落している部分もあることがわかります。
「対問(慶永自筆)」 前半「対問(慶永自筆)」 後半
「慶永自筆対問」 1864年(元治1) 松平文庫 福井県立図書館保管
第一次長州出兵にあたり、慶永が藩主茂昭にあてた書状です。
当時禁裏守衛総督であった一橋慶喜(のちの15代将軍)は慶永に対し長州征討の副総督就任を求めました。慶永はこれを固辞しましたが茂昭にその役割が回ってくると、 元尾張藩主徳川慶勝の意向によっては総督兼任を求められることを想定し、兼任は辞退すべきことと、その際の理由を示しているものです。
なお、茂昭は副総督として小倉まで出陣しました。
シケイプスホウ軍艦図 表紙 松平文庫 福井県立図書館保管シケイプスホウ軍艦図(部分) 松平文庫 福井県立図書館保管
「シケイプスホウ軍艦図」表紙・図部分
松平文庫 福井県立図書館保管
「シケイプスホウ(Scheepsbouw)」はオランダ語で「造船」の意味です。
1857年(安政4)8月、福井藩は幕府を通じて 辞書や武器・蒸気機関・理学関係の書籍など5冊をオランダから購入しました。「家譜」にはその内訳として「シケイフスホウ」の記述がみられます。翌9月、福井藩は幕府に「コットル船」(洋式帆船)の建造を願い出ており、当時福井藩が軍事・貿易に高い関心を持っていたことがうかがえます。なお、展示物は後年福井藩士佐々木権六によって模写されたものと考えられています。

【追記】安達裕之氏から以下の指摘をいただきましたので補足します(2014.5.1)。
『越前松平家家譜 慶永3』(福井県文書館資料叢書6)の1857年(安政4)8月13日条に「レイキ一シケーフスホウ 壱部一冊」とある本に該当するのは、J. C. Rijk, Handleiding tot de Kennis van den Scheepsbouw, 1822. と考えられます。
また、上記の「シケイプスホウ軍艦図」はL. van Zwijndrecht, Verhandeling van den Hollandschen Scheepsbouw,1757.所載の図の写しで、本文は『西洋軍艦造法論』一~六(松平文庫、M557-3-1~6)として翻訳され、広く流布しましたが、今までのところ図のついた伝存本は知られていません。 
『逸事史補』(写) 松平文庫 展示風景
松平慶永『逸事史補』(写)
1879年(明治12) 松平文庫 福井県立図書館保管
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公職を退いた慶永は1870年(明治3)から、幕末維新史の補遺に資するためにこの著作の執筆を開始し、79年(明治12)に完成しました。「逸事史補」と名付けられたこの書は、のち渡辺洪基(初代帝国大学総長)がこれを謄写して一部の人々に知られることになりました。
このページには、強硬な攘夷論者とされている水戸藩の徳川斉昭が、 攘夷は正しい道筋であるが、不可能であれば慶永には交易和親の道を開くべきだと説くなど、実は開国やむなしと考えていたことが記されています。
なお、ペン書きで細かい文字が記された原資料は、福井市立郷土歴史博物館に保管されています。
「一橋慶喜感状」 松平文庫 福井県立図書館保管
「一橋慶喜感状」 1864年(元治1) 松平文庫 福井県立図書館保管
禁門の変において、福井藩は禁裏(皇居)堺町御門の警衛にあたり、長州藩と戦闘を行いました。これはその戦功をたたえて、 禁裏守衛総督(のちの15代将軍)一橋慶喜から下されたものです。
「明道館御用留抜書」 松平文庫 展示風景
「明道館御用留抜書」 1855~58年(安政2~5)
松平文庫 福井県立図書館保管
1855年3月、城内三の丸におかれた学問所は6月に明道館と命名されました。
56年、慶永が福井に入ると館の「御規則」が定められ、橋本左内らが幹事に任命されました。
57年には館内に洋学所が設けられ、さらには算科が設けられるなど、 実用的な洋学が導入され、人材の育成がはかられました。
このページには56年(安政3)9月25日、橋本左内と矢島立軒(恕介)を明道館の幹事に任じたことが記されています。

展示ケース外のパネル

「慶永家譜」の内容に即して、以下のトピックを紹介しています。
洋書と武器の購入 1857年(安政4)8月
不思議な落丁(?)1860年(万延1)
隠居にあたっての慶永直書 1858年(安政5)7月
禁門の変から長州出兵へ 1864年(元治1)
天狗党の乱 1864年(元治1)
戊辰戦争の勃発 1868年(明治1)
逸事史補と渡辺洪基 1890年(明治23)2月

ポスター

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開館時間

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