今月のアーカイブ Archive of the Month

「資料をまちづくりに活かす -たかむく歴史玉手箱」

『たかむく玉手箱』表紙
『たかむく玉手箱』 2010年
たかむくのまちづくり協議会歴史文化部会編
福井県内には戦災や震災を乗り越え、ふるさとの歴史を今につたえる資料が数多く存在します。これらの資料はまちづくりにも大いに活かすことができます。
今回は「たかむくのまちづくり協議会」の協力を得て、 坂井市丸岡町高椋(たかぼこ)地区の歴史にスポットをあてます。
奈良・西大寺とのつながりが認められる資料や越前における時宗の拠点となった称念寺の資料、高椋地区笹和田の旧家に保管されていた明治期の資料や同地区舟寄出身で「コシヒカリの父」として知られる石墨慶一郎氏の育種観察記録等を紹介します。

会期

平成23年1月28日(金)~2月23日(水)  文書館閲覧室

坂井市高椋地区は?

坂井市の位置高椋地区は、ここです
人口 7,890人/94,659人(坂井市)世帯数 2,476世帯/29,486世帯(坂井市)
※いずれも平成22年6月現在
新旧国道8号線が通る高椋地区では福井市のベッドタウン化が進み、大型商業施設の進出等もあって人口が増加しています。
出典:『たかむく玉手箱』2010年、坂井市HP(生活環境部市民生活課)
西大寺食堂院跡出土木簡1 読み西大寺食堂院跡出土木簡2 読み
西大寺食堂院跡出土木簡  奈良時代後半(8世紀後半)
独立行政法人 奈良文化財研究所画像提供
2006年(平成18)年、西大寺旧境内食堂院跡推定地で実施された発掘調査において奈良時代後半の遺構である井戸から見つかった木簡です。
この井戸からは越前国関係の木簡があり、同時期の文献から、西大寺が「赤江庄(あかえのしょう)」という荘園を領有していたことがわかります。
さらに最近の研究によって、この「赤江庄」が、 現在の福井市上野本町付近から坂井市丸岡町高椋地区にかけて 存在していたと推定されています。
『倭名類聚抄』坂井郡・大野郡部分 松平文庫『倭名類聚抄』表紙 松平文庫
『倭名類聚抄』 1667年(寛文7)
松平文庫(福井県立図書館保管 M813-3)
もとは承平年間(931~938年)に成立した百科辞書です。
漢語の名詞を分類配列し、万葉仮名で日本語での読み(和名)を付し、漢文で説明を加えています。
古代律令制下の官職名、国・郡・郷名を網羅した基本史料で、 越前国坂井郡の箇所では「高向(タカムコ)(多加無古)」をはじめ現在にもつたわる郷名がみられます。
「足利義政袖判御教書」 称念寺蔵
「足利義政袖判御教書」
1458年(長禄2) 室町時代
称念寺文書 C0006-00028(複製)
室町幕府が称念寺および塔頭光明院の所領を安堵する書状です。
袖判とは文書の袖に署した花押のことで、この書状には8代将軍義政の花押が見られます。
「称念寺并光明院等寺領惣目録」 称念寺蔵
「越前国坂井郡笹和田村字限地籍(絵)図」
1876年(明治9)10月 田中善右衛門家 A0177-00002
高椋地区笹和田で江戸時代から続く旧家・田中家に残されていた地籍図です。
明治政府は財政収入の安定化を図るべく地租改正事業に着手しましたが、 その際地価を算定するための測量から地籍図作成までの一連の作業を、土地所有者である農民が行いました。
各村の字ごとに作成された地籍図には、面積や地番が付され、耕地整理や鉄道・道路などインフラ整備が進む以前のようすを知ることができます。
この地籍図が作成された1876年(明治9)は嶺北7郡が石川県に編入された年で、各村では県令宛と控えの2部が作成されました。
この地籍図には一筆ごとに所有権者が記載されていることから、その際別に個人用として作成されたものと思われます。
『村是』福井県坂井郡高椋村
村是 福井県坂井郡高椋村
1909年(明治42) 田中善右衛門家 A0177-00006
1889年(明治22)の町村制施行により新たな行政町村が発足し、その後の日露戦争を経ると国を支える地方の体制強化をはかる「地方改良」運動が全国的に進められていきました。
そして、各町村では自らの手で沿革と現状を調査・把握し、将来に向け町村内が一体となって取り組むべき目標・指針を打ち立てる「町村是」が作成されました。
この高椋村是には村会や財産管理の規則のほか、 当時の写真、統計(人口構成・土地利用・農業生産)、将来の展望・目標などが盛り込まれています。
県内では1916年(大正5)までに全町村の9割を超える160町村が調査作成を終えていたようです。

「コシヒカリの父」石墨慶一郎 (1921~2001)

収穫物調査を行う石墨慶一郎(左端)
1979年(昭和54)以降、作付面積日本一となり米の品種の代名詞として知られるコシヒカリ。その育成を担当したのが高椋地区舟寄出身の石墨慶一郎です。
石墨は1921年(大正10)、高椋村舟寄に生まれました。宇都宮高等農林学校で土壌肥料を学び、終戦の45年に満州から復員すると、翌年県立農事試験場(現農業試験場)に勤め、1977年(昭和52)に退職するまで品種改良・新品種の育成に心血を注ぎました。
コシヒカリ育成観察野帳のメモ
観察野帳のメモ 1953年(昭和28)
福井県文書館蔵
1948年(昭和23)に新潟県から雑種代第三代(F3)を配付された福井県農業試験場では、毎年生育の良否、草丈、穂が出る時期、葉の色や穂揃い、 病気や寒さに対する強さ、倒れにくさなどを丹念に観察し、優れた稲を選んでいきました。
画像は53年(昭和28)8月8日の出穂が始まる時期の観察記録で、「E17」は「越南17号」、のちのコシヒカリです。この年にはその地域の標準品種(ここでは農林30号)と比べて 実用的な価値がすぐれているかどうかを判断する調査(生産力検定試験)が行われていました。
「E17 農林30号に比、稍早く草丈伸び葉色淡 葉幅稍狭く 茎数稍多し」と記されています。

ポスター

福井県文書館

〒918-8113
福井県福井市下馬町51-11
TEL.0776-33-8890
FAX.0776-33-8891
Mail.bunshokan(at)pref.fukui.lg.jp

開館時間

開館時間  9:00~17:00
休館日   月曜日(祝日の場合は翌日)
      第4木曜日