嘉永2年(1849)11月、笠原良策(白翁)は雪の栃ノ木峠を越えて天然痘のワクチン(痘苗)を福井城下にもたらしました。もどったその日から種痘を始め、翌年1月には近隣諸国や越前国内の金津・丸岡・勝山・大野の医師に対し、痘苗伝来の経緯を説明し、希望があればしかるべき人を2名寄こしてほしいという手紙を送りました。
そして、この手紙に応じた府中・鯖江・大野・敦賀・大聖寺・金沢・富山の医師に対して順次痘苗を分けていきます。
こうして福井から伝えられた痘苗は、ほぼすべての地域でまもなく絶えてしまうのですが、笠原の懸命な努力によって絶苗をまぬがれた福井藩は、再供給の拠点ともなっていきました。
ここでは、福井藩の種痘の中心となった藩営除痘館開設の触書と鯖江藩の出張種痘の年間カレンダーを紹介しています。
2020年9月1日(火)~10月10日 ※終了しました
「福井藩の藩営除痘館開設の触書」『御配符留覚帳』
A0169-00667 松田三左衛門家文書(当館蔵)
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笠原良策(白翁)が、天然痘のワクチンをもたらした2年後、嘉永4年(1851)10月に城下下江戸町に除痘館が開館しました。
この触書で「御医師中へ移痘」されたとしているように、ほぼすべての藩医を種痘に動員する新しい運営体制が組まれました。
この触書は、郡奉行出淵伝之丞から11月2日に出され、10日に南菅生浦に到着し、書き写されたものです。
未痘児がいれば召し連れるよう、その際一切謝礼には及ばないとありますが、30km近く離れた南菅生浦から城下まで種痘を受けにくることができた子どもはかなり限られていたと考えられます。
「未年種痘日」
G0024-01550 飯田広助家文書(当館寄託)
木版の年間カレンダーです。
6日めごとに種痘日となっていることから、30日まである大の月は1・3・6・9・11月(12月は不明)であり、「未年」は安政6年(1859)であることがわかります。
この年には、池田地域で大規模な出張種痘が実施されました。
「展示風景1」
「展示風景2」
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