松平文庫テーマ展

給帳ってなんだ? -福井藩士の名簿-

「給帳」とは、歴代藩主ごとに作成された藩士名簿であり、禄高順に配列されたものや出身地が記されたものなどがあります。この給帳を活用することで、福井藩における家臣団の構成とその推移がよくわかります。
本展示では、江戸時代前期(藩祖秀康から吉品代まで)の「給帳」の概要とこれらを活用した福井藩士研究の事例を紹介します。

会期

2020年6月26日(金)~9月9日(水)※終了しました

会場

福井県文書館閲覧室

1-1 初代 秀康代の給帳

源秀康公御家中給帳・浄光院様御代分限帳・忠直公御家中給帳 (浄光院様御代給帳・御同代様分限帳・西岸院様御代給帳のうち)

「源秀康公御家中給帳」
年代未詳 松平文庫(当館保管)

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知行取497名の名簿で、1,000石以上の高禄の士が94名、そのうち1万石以上が11名含まれています。禄高・姓名に加え、藩士の出身地が記載されているのが特徴です。成立年は未詳ですが、元禄年間の朱注が加えられています。

1-2 「秀康第一の重臣」多賀谷左近

源秀康公御家中給帳・浄光院様御代分限帳・忠直公御家中給帳 (浄光院様御代給帳・御同代様分限帳・西岸院様御代給帳のうち)

「源秀康公御家中給帳」
年代未詳 松平文庫(当館保管)

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若くして下総国太田城主となり、結城秀康に仕えました。越前では柿原十楽(あわら市)に館を構え、加越国境の鎮めに任ぜられました。領内にため池をいくつも作り、農作の安定を図ったと伝えられています。

2-1 2代 忠直代の給帳

源忠直公御家中給帳

「源忠直公御家中給帳」
年代未詳 松平文庫(当館保管)

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知行取522名の名簿で、禄高と姓名のみが記載されています。巻末に「右之帳無之落申乎」として、今村掃部(かもん)(盛次)や清水丹後守(孝正)、久世(くぜ)但馬守など本来採録されるはずの藩士が追記されています。

2-2 「幸村を討った士(おとこ)」西尾仁左衛門

源忠直公御家中給帳

「源忠直公御家中給帳」
年代未詳 松平文庫(当館保管)

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大坂夏の陣で真田信繁(幸村)を討ち取った功績により1,800石に加増されました。
なお「忠昌様大坂ニ而御戦功有増(あらまし)」によると、西尾は相手が幸村と知らずに槍で戦い、討ち取った後で幸村だと判明したと記されています。

3-1 3代 忠昌代の給帳

隆芳院様御代給帳・源光通公御家中給帳・清浄院様御代給帳(隆芳院様御代給帳・大安院様御代給帳・清浄院様御代給帳のうち)

「隆芳院様御代給帳」
年代未詳 松平文庫(当館保管)

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幼少であった光長(忠直の子)と忠昌(忠直の弟・高田藩主)の領知替により、福井藩の家臣団は大きく再編されました。給帳にみえる知行取458名のうち、忠昌に従って高田から福井に移住した家臣の数は300名とされます。

3-2 「鬼が志摩なる」永見志摩守

隆芳院様御代給帳・源光通公御家中給帳・清浄院様御代給帳(隆芳院様御代給帳・大安院様御代給帳・清浄院様御代給帳のうち)

「隆芳院様御代給帳」
年代未詳 松平文庫(当館保管)

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当時の落首に「頼むへし 本多丹波に壱岐如来 鬼が志摩なる 伊勢海老のつら」とあります。秀康以来の重臣本多と、高田から随従した功臣3名(杉田壱岐・永見志摩・狛(こま)伊勢)が巧みに藩政に当たっていたことをうかがわせます。

4-1 4代 光通代の給帳

隆芳院様御代給帳・源光通公御家中給帳・清浄院様御代給帳(隆芳院様御代給帳・大安院様御代給帳・清浄院様御代給帳のうち)

「源光通公御家中給帳」
元禄17年(1704) 松平文庫(当館保管)

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知行取534名に加え、扶持・切米取119名も「御擬作(おんあてがい)不知分(しらざるぶん)」として記載されています。知行取では200石台以下の少禄の士が増加していることが特徴で、総数が増えたのもこの層の増加によるものです。

4-2 あの有名武将の孫も…

隆芳院様御代給帳・源光通公御家中給帳・清浄院様御代給帳(隆芳院様御代給帳・大安院様御代給帳・清浄院様御代給帳のうち)

「源光通公御家中給帳」
元禄17年(1704) 松平文庫(当館保管)

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大谷吉継の孫・大谷助六は、松平文庫の「諸士先祖之記」によると寛永3年(1626)に京都で召し出され、福井藩士となりました。その子孫も1,000石以上の家禄を与えられ、高知席(家老を輩出する家格)に列していました。

5-1 6代 綱昌代の給帳

源綱昌公御家中給牒

「源綱昌公御家中給牒」
元禄17年(1704) 松平文庫(当館保管)

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知行取554名に加え、扶持・切米取158名が「御合力御切米御扶持方」として記載されています。なお、綱昌は貞享3年(1686)に改易処分となり、福井藩領は47万5,000石余から25万石に半減します(いわゆる「貞享半知」)。

5-2 「貞享半知」で御暇(おいとま)、力丸十兵衛

源綱昌公御家中給牒

「源綱昌公御家中給牒」
元禄17年(1704) 松平文庫(当館保管)

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家祖は秀康代に 1-2 多賀谷左近 の取り持ちで召し出された1,000石取の力丸藤左衛門です。代々藩に使えましたが、このあとの「貞享半知」で「御暇」を下されることになります。

6-1 7代 吉品代の給帳

見性院様御代松岡給帳・探源院様江大安院様より吉江御附人・探源院様御再勤後給帳

「探源院様御再勤後給帳」
年代不明 松平文庫(当館保管)

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知行取264名、扶持・切米取213名が収録されています。綱昌代と比べると知行取の数が激減しています。「貞享半知」によって大幅に人員が削減されたことがわかります。また、残留した藩士の禄高も著しく減少しています。

6-2 力丸又左衛門(25石5人扶持)

見性院様御代松岡給帳・探源院様江大安院様より吉江御附人・探源院様御再勤後給帳

「探源院様御再勤後給帳」
年代不明 松平文庫(当館保管)

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5-2の力丸十兵衛とは、系統が異なります。
こちらは「貞享半知」以後も残留しましたが、10代宗矩代の延享4年(1747)に「御暇」を下されることになります(一説には切腹したとも)。

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開館時間

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