これは京都のさる大名の家来が、鯖江藩の物産取扱に関わっていた大庄屋(資料の所蔵者の先祖)等に、唐藍(この場合は化学染料プルシアンブルー)を売り込んだ書状です。
この書状には染料の見本(写真)が同封されており、また、添え状には、お神酒徳利にいれて送られた2種類の薬品を使って実際に染料を作り出す方法が示されており、内容が具体的でたいへん解かりやすい書状といえます。
また、紙に包まれた意味ありげな染料に続いて、やがて文中には「青酸加里」の文言が現れるという、文書調査員にはとても刺激的な書状でもありました。
(宛名表)
越前鯖江上新町
飯田彦太郎様 従
出村屋吉左衛門様 京都
急用平□
(宛名裏)
四条通大宮西へ入
三月廿七日 永井若狭守内
吉川左右祐
〆 賃済
残念ながら年未詳ですが、一緒にあった資料などから安政期(1854-60)後半と推定されます。なお、送り主の主人は大和新庄藩(後に櫛羅藩)1万石の永井氏で、若狭守を名乗るのは藩主在任期間が嘉永3年(1850)から文久3年(1863)の七代直幹だけです。
高価な青石ラピズラズリの粉を原料とするウルトラマリンブルーの代替品として、18世紀初頭にプロシア(ベルリン)で初めて化学合成されたプルシアンブルー(ベルリンブルー)は、日本でも1830年代には浮世絵などに利用されて爆発的に広がりましたが、その化学染料が製法とともに我が福井県の鯖江にもたらされたことを示す資料でもあります。
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