10 大用水と鳴鹿大堰(2)
 鳴鹿大堰でせき止められ、右岸へ取り入れた九頭竜川の水は裏川とよばれた分流に入り、いくつかの水閘によって、坂井郡の高椋郷・磯部郷・十郷の118か村、6万6000石余の地を潤しました。これらの用水は、新江用水、高椋用水、磯部用水、十郷用水とよばれています。

 また、九頭竜川左岸では、鳴鹿大堰よりやや下った地点から取り入れられる用水に芝原用水があります。この用水は、左岸の4万石余の田地を潤しながら、福井城下に達しました。この用水は、城下では芝原上水といわれ、城内や家中、町人の生活用水として使われました。
 
「九頭竜川之図」  「九頭竜川之図」
 九頭竜川の鳴鹿付近から取水する十郷用水(図
 右上)、河合春近用水(図中央)や芝原用水(図左
 下)の堰がみえる。なお、この図は明治10年代後
 半の作成とされるが、藩政期の状況を示している
 と考えられる。「足羽川之図」「日野川之図」も同様
 である。           松平文庫 松平宗紀氏蔵
                   福井県立図書館保管
 用水は農業に欠かせないものなので、これをめぐる争論が数多くおこりました。堰や取水口に関するもの、分木・分石・胴木や番水など水の配分に関するもの、排水に関するものなど、その原因はさまざまです。当事者同士で解決できない時は、領主の裁断を仰ぐことになり、いくつもの藩領にまたがる争論では江戸の幕府評定所での裁許になることもありました。1751年(宝暦1年)8月におこった鳴鹿大堰から水を引いている鳴鹿用水組合の村むらと、吉田郡五領ケ島の鳴鹿大堰の切落としをめぐる争いは、56年2月に幕府の裁断でようやく決着しています。この裁断の結果、大堰は毎年8月から4月までの用水不用の期間、大堰138間のうち南側24間が切り放たれることになりました。このため、毎年春、大堰の築立が行われました。
十郷用水絵図  十郷用水絵図
 十郷用水のうち横落堤以北を描いており、
 主要な5本の江筋がみえる。丸岡城東方
 の水路は新江用水である。
             芦原町 大連勝美氏蔵

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