10 大用水と鳴鹿大堰(1)
 用水の起源は古く、江戸時代になって整備が進むようになりました。用水の取水源の多くは河川であり、越前では九頭竜川、足羽川、日野川とそれらに流れ込む支流から水が引かれました。なかでも、坂井郡の水田の多くを潤す用水は、九頭竜川の鳴鹿大堰から取水されました。足羽川から引かれる大きな用水としては、徳光用水や酒生用水などがあり、日野川から引かれる大用水には松ケ鼻用水などがあります。
「足羽川之図」  「足羽川之図」
 用水を取入れるための堰堤が多くみられる。なかで
 も、徳光用水と酒生用水の取水口は水門となってお
 り、前者には「六本錠トス」、後者には「水門長九尺、
 巾・高六尺、石水門」と注記されている。
                 松平文庫 松平宗紀氏蔵
                   福井県立図書館保管
 「日野川之図」  「日野川之図」
 白鬼女付近を描いたもので、右岸には鯖江八ケ用 
 水や小黒町四ケ村用水などの取水口がみえる。
                 松平文庫 松平宗紀氏蔵
                   福井県立図書館保管
鳴鹿大堰の樋埋仕立の図
▲鳴鹿大堰の樋埋仕立の図
1842年(天保13)の普請工事のさいの図面である。
                 芦原町 大連勘次氏蔵
現在の鳴鹿大堰
        ▲現在の鳴鹿大堰
        このすぐ下流に新しい鳴鹿大堰が建設中である。
■鳴鹿大堰の堰立と補修
 鳴鹿大堰の堰堤は石堤や籠堤であるので、決壊したり、水が堰の上をこえたり、あるいは水もれしたりした。さらに、取水口付近が土砂で埋まることも多く、毎年春になると用水組合の村むらから人足を出して、堰堤の修復や用水取水口の裏川入口の江浚いなどが行われた。
 大堰の築立には、ここから取水する村むらを領する福井蒲、丸岡藩、旗本本多大膳家などから毎年藤1000貫と杭1000本に相当する代米16石2斗8升5合が支給された。この代米で坂井郡山竹田村から藤と杭を買い入れ、普請工事を行った。このほか、堰に用いる蛇籠とよばれた竹籠や堰にかける筵、普請のための人足や舟などは用水を利用する村むらの負担であった。
 このほか、大水などにより大堰が大破されることがあり、1726年(享保11)夏には大堰の下が水の勢いで69間掘られ、翌年6月に大規模な修復工事がなされた。この大堰所下の埋戻し工事は、福井藩や丸岡藩などの援助のもと竹8000本、藤1133貫、杭木700本と9000人の人足を要して行われた。

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