9 村の世界(2) | |
このように、村は自分たちでつくった独自の世界をもっており、百姓たちはその維持に団結してあたりました。村の地境や用水・入会地などでよその村と対立すると、まず自分たちで解決しようとしましたし、村の中に不正があれば、これも自分たちでただし、制裁を加えることがありました。 ところで、幕府や各藩では村の支配のために、しばしば村絵図を作成させることがありました。その目的によって絵図の描き方はいろいろですが、そこから江戸時代の村のすがたを読みとることができます。中でもよく見られるのは鎮守社の存在です。人びとはこの鎮守社において、春や秋には村をあげて豊作の祈願と感謝の祭り、日照りが続くと雨ごい、といった風景を毎年繰り広げたのでした。 |
![]() ▲平泉寺村法度定書 1811年(文化8)勝山町で大 規模な打ちこわしが発生した ため、近くの大野郡平泉寺村 はこれに巻き込まれないよう 村法を定めた。 勝山市 平泉寺区蔵 |
![]() ▲谷口村絵図 吉田郡谷口村は上谷口村と下谷口村に分かれていた。北を九頭竜川、南を山にはさま れ、中央を勝山街道が通る。村の中央に寺、周囲に観音堂・八幡堂・椿堂などの堂社、 中央西側に総社山があり、村は神仏の信仰をきずなにしていることがわかる。3か所の ため池と4本の用水路が記され、用水の確保に苦労していたようすがうかがえる。下浄 法寺への渡し舟が描かれている。この絵図は江戸後期に作成されたと思われる。 永平寺町 小林龍二氏蔵 |
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