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 第五章 教育と地方文化
   第四節 庶民の生活
    一 庶民の倫理
      説教にみる庶民像
 太宰春台の「民は小児の如なる者也、上の政と教とに依りて善くも悪くも成也」(『経済録』)の文章に象徴的に表現されているように、農工商以下の庶民を愚かな人間であるとするいわゆる愚民思想は、封建社会を維持するうえでは非常に有効であった。真宗の教えが深く浸透していた越前にあっては、通俗的な封建道徳は説教を通じてより効果的に広められた。説教そのものは一回限りのものであるが、そのうちの三、四点は書写され法話の形で残っている。ここでは支配者が求めた望ましい庶民像を法話の中にみていくことにする。
 「光臨寺掟辨」(鳥山治郎兵衛家文書)は、吉田郡森田村の浄因寺の寺家光臨寺の便僧の説教を天保十一年(一八四〇)に書写したものである。そこには江戸時代後期の庶民が、いかに人生を送るべきかのひとつの方向が示されていて興味深い。「御文章」を下敷にしながら、冒頭の部分では公儀の法度に背かず、地頭領主の命を守り、村にあっては庄屋・年寄を、家にあっては亭主を敬うべきこと、年貢は完納すべきことなどが語られている。以下、具体的な内容について述べる。
 大酒の上の喧嘩・博奕・徒党はいわずもがな、二枚舌を使うな、嘘を言うな、驕りの心をもつな、我を張るな、貧者には施せなど、ありきたりの道徳が説かれる。そのうえで次のように結論づける。悪事をなして身を捨てるようなことではせっかく人間として生まれた意味がない、所詮は死にゆく身であるが、人から嫌がられて死ぬより惜しまれて極楽に成仏すべきである。続けて親孝行から始まって兄弟愛・夫婦愛・女の心構えが語られる。二つや三つ、五つや六つで世渡りした者はいない、一五、一六の嫁入盛り、一八、一九の婿入盛りまで育て、仁義五常の道を教え、しかも仏となる身を授けてくれたのはみな両親である。それ故に親の恩は海よりも深く、山よりも高いといわれるのである。兄弟は他人のはじまりとはいうが、二親を見送るという間柄においては、三千世界を尋ねても兄弟ほど親しい者はない、一生仲良くすべきである。袖振り合うも多生の縁というように、煙草の火を借りるのも、茶屋に腰掛けたのも因縁である。まして夫婦は元は他人とはいうものの、よくよくの因縁がなかったら夫婦にはなれない。互いに夫となり妻となったからには、限られたこの世のみならず、極楽往生に至る来世の良き道連れとして、夫は妻に情をかけ、妻は貞女の道を守り夫大事を心がけるべきである。親からもらった眉を剃り白い歯を黒く染めるのは不義をしないとの夫への誓いのためである。
 最後の締めくくりに如何に一生を終えるのがよいかを説いている。人間五〇年間も生きれば「化物」と変わらない、所帯を息子夫婦に渡した後は、あれこれ口出しするべきではない。例えどんなにまずい食べ物であっても、感謝の気持ちでいただくような心構えが必要である。数珠をかけ杖を頼りに寺参りができ、仏の慈悲を喜ぶことが年寄の仕事である。所詮この世の善悪は過去の因縁とわきまえ、また沙婆の五〇年は公儀の掟に従い、未来の一大事は如来に任せそれぞれの家業を大切に勤めるのが一番である。ここには封建道徳から踏み出すことなく、体制に従順に生きることをよしとする考え方が如実にうかがえる。



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