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 第五章 教育と地方文化
   第三節 新しい学問
    五 町人学者
      桑村丈之進と「雲浜八景」
 小浜の町医師でありながら、元禄末年に「雲浜八景」を刊行した町人学者に桑村丈之進がいる。若狭で最初の「八景」は、寛永十七年小浜町奉行であった江口夫右衛門の書留に見られる「若狭八景」で、近江八景に続く全国的に古いものであるという。それには、八幡秋月・小浜晴嵐・土橋夕照・間口帰帆・後瀬晩鐘・青葉夜雨・竹原落雁・多田暮雪が選ばれている。その後、『拾椎雑話』に載せる元禄初年の「若狭八景」は、後瀬秋月・青井晩鐘・雲浜朝霧・津田落雁・多田晴雪・両児帰帆・蒼島漁火・甲崎暮烟となっており、初期のものと変化が見られる。
 そのすぐ後、元禄末年に桑村丈之進が、京都の岡原仲に依頼して八景を選び、公家や歌人・学者に詩歌を請うて「雲浜八景」を刊行した。選ばれた八景は、後瀬春望・青井晩鐘・津田落雁・両児帰帆・雲浜秋月・蒼島漁火・久須夜外字・多太晴雪である。この丈之進は、戦国末期以来、廻船業で知られた桑村家の五代知碩の弟で、元禄十年、兄知碩の死去に伴って江戸より小浜へ帰り、家業を継いだ。『拾椎雑話』には「謙庵次男丈之進といふ、儒者にて上州奥平美作守様に仕官す、老年小浜に帰、医者と成」と載せられている。



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