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 第五章 教育と地方文化
   第三節 新しい学問
    五 町人学者
      板屋一助と『稚狭考』
 この『拾椎雑話』に遅れること一〇年、外字窓同様、町人学者であった板屋一助が明和四年に『稚狭考』一〇巻を著した。一助は、享保元年(一七一六)に生まれ、本姓を津田元紀、通称徳右衛門といった。一助の家は、近江津田の出身である板屋伝右衛門の分家で、代々小浜石屋小路において材木商を営んでおり、その屋号が板屋であったことから板屋と称した。一助は、家業の材木商はもっぱら弟に任せ、自らは「若狭国志」「若狭郡県志」を読み、それらの書に刺激されて本書の著述に専念することになったという。一助の学問的素養は、藩儒小栗鶴皐を師と仰ぎ、「千百年眼」を日本で再版した吹田定敏等との交際によるところも大きい。
 一助は、『稚狭考』の序文に、「本国に伝へ来れる古書の第一とせるは守護職次第・守護代記、この二部何人の作にやしら(知)す。続いて士官千賀氏の若耶群談、牧田氏の郡県志、稲庭氏の若狭志、友人木崎草三の拾椎雑話ありて……其功業夥しとす」べきであるが、「おほ(多)くは本地の産にもあらす……六部の書にもれたる事すく(少)なからぬやうに覚ゆるから」、「家道を勤むるの余力をもて、年々書置たるをとりあつ(取集)め」たものを「年月の前後、部類の条々、次第を改め」て一〇巻にしたと述べている。このように、『稚狭考』は『拾椎雑話』とは違った視点で編集された地誌である。
 一〇巻の内訳は、国史に関するもの三巻、町屋・寺院に関する旧説一巻、散楽祭礼の起源沿革に関するもの一巻、産業交易に関するもの一巻、草木魚鳥に関するもの一巻に加えて、近江国・丹後国・但馬国と敦賀郡に関するもの一巻、遠敷郡に関するもの一巻、三方郡・大飯郡に関するもの一巻となっている。
 一助は、安永九年(一七八〇)には、京都の書肆武村嘉兵衛から「行余随筆」二〇巻を刊行し、和歌「好衣集」二巻も著すなど文学にも優れていた。



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