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『福井県史』通史編2 中世
没後の第一人者の宗牧も天文七年一乗谷の宿所にあり(「古代名家連歌集」)、同九年にも一乗谷に逗留し、敦賀郡司奉行人の小河吉...来越を抜きにしては語られない。宗長が宗祇に同道して初めて一乗谷を訪ねたのは文明十一年三月のこと、二回目は永正十二年のことであった(「宇津山記」、「那智篭」)。...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-6-01-04-01-05.htm -
『福井県史』通史編3 近世一
の橘氏や慶松氏に還住を命じ、一乗谷にいた紺屋などの商人・職人を呼び集めている。こうして一乗谷より移住した商人・職人によっ...敷を諸役なしで与えられている(松村文書 資2)。 また、一乗谷や近辺の寺社には北庄へ移住することが命じられた。天正三年十...localhost/fukui/07/kenshi/T3/T3-0a1a2-02-02-02-06.htm -
『福井県史』通史編2 中世
朝倉氏の城下町一乗谷にも多数の礎石建物の遺構があり、武家屋敷・寺院そして朝倉館...その組織については今のところ詳らかでないが、府中・北庄・一乗谷といった都市部における建築需要の増大にともない、建築関係の...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-5-01-01-01-07.htm -
『福井県史』通史編2 中世
深岳寺のあった位置が一乗谷からさほど遠くないことも考え合わせると、深岳寺が一乗谷文化に果たした役割は大きいものであったと推察される。...仏教各宗派の形成と動向 二 禅宗諸派の展開 三万谷深岳寺と一乗谷の文化 朝倉氏は、禅宗においては曹洞宗宏智派をはじめとする...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-6-01-02-02-11.htm -
『福井県史』通史編1 原始・古代
通史編序説 宗教と文化 四 文化の諸相 朝倉・武田氏の文化 一乗谷には連歌師宗祇が文明十一年(一四七九)に来遊したのをはじめ...日本書紀抄』を講じており、その後も再三訪れて、天文十九年一乗谷で客死した。谷野一栢も天文元年招聘されて、医書を出版してい...localhost/fukui/07/kenshi/T1/0a1-01-04-04-01.htm -
『福井県史』通史編2 中世
謐たりといえども」(第三条)との文言や、一乗谷城以外の城郭構築の禁と家臣の一乗谷集住(第一五条)、領国内の文化振興(第五...末期の敦賀郡司支配権内および府中両人管轄権内においては、一乗谷当主の支配権が裁判権についても強められた。そのほか、朝倉氏...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-4-01-02-03-06.htm -
『福井県史』通史編2 中世
四 銭貨の流通 室町期の貨幣 写真250 銭の出土状況(一乗谷朝倉氏遺跡) 室町期になると銭貨の流通はいっそうの発展をみ...ことになった。流通貨幣の種類を朝倉氏の城下町である足羽郡一乗谷から出土した銭貨についてみると、北宋銭が二万枚あまり出土し...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-5-01-01-04-01.htm -
『福井県史』通史編2 中世
寺・光明寺を本山とする西山派も一乗谷に進出し、文明五年朝倉孝景の帰依によって安養寺が一乗谷東新町に建立された。長享二年(...(資8 善妙寺文書二・三・一二号)。 一方、朝倉氏の居城一乗谷も浄土宗布教の中心となり、鎮西派一乗寺・真照寺が存在した。...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-6-01-02-03-12.htm -
『福井県史』通史編2 中世
紺屋跡と確定される遺構(一乗谷朝倉氏遺跡) 一乗谷にも確実に紺屋が居住していた。朝倉氏滅亡後、北庄城下にもと一乗谷に住んでいた商工...の長の橘屋に納入していた(資3 橘栄一郎家文書二八号)。一乗谷では町屋の建物のなかの奥の部分に大甕を整然と並べた遺構が確...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-5-01-01-01-08.htm -
『福井県史』通史編2 中世
参詣の帰路に南条郡府中に逗留して化導にあたり、朝倉貞景も一乗谷安養寺に真盛を招いて説法を聞いた(『真盛上人往生伝記』)。...て二宮氏館跡に創建された寺院である。朝倉貞景の帰依以来、一乗谷にも真盛門下の寺院が数多く建立された。引接寺末寺の西念寺や...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-6-01-02-03-13.htm