Search Options

Results per page
Sort
Labels
Advance

Results 41 - 50 of 233 for 検索ワード (0.01 sec)

  1. 『福井県史』通史編2 中世

    越前では河口荘の荘官が京方となり、武蔵局が地頭に補任され、前述したように没収地となった生部荘a久安保重富の地頭職が勲功の賞として島津忠時に与えられた。...要人が相ついで地頭職となっていた大野郡牛原荘では、広義が京方に立ったために、新たに北条時房の子時盛が地頭に補任された(資2...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-03-01-05.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
      2.1K bytes
      1 views
      Cache
  2. matsuura.pdf

    までの「惣都合銭」に対する守護課役の平均割合は、地頭方は41.1%、領家方は25.6%に達している (地頭方の比率が高いのは領家方にはない地頭御家人役の節供料足と椀飯・采女・修理替の料足を負...石(銭にして6180文)、地頭方 3 石(銭にして3300文)を負担している。 *3 この年より守護から地頭方に課されていた椀飯...
    localhost/fukui/08/2015bulletin/images/matsuura.pdf
    Mon Apr 04 00:00:00 JST 2016
      1014.2K bytes
      1 views
  3. 『福井県史』通史編2 中世

    が、守護方は地頭方分の一騎も出すよう 催促してきた(タ函一五)。斯波氏の論理は、地頭方の呼称がある以上、地頭の有無にかか...は丹波出陣のため国内の地頭・御家人のみならず、寺社領の荘官にも参陣を命じた(ゑ函三九)。これは地頭・御家人に限って軍事動...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-02-05-03.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
      3.5K bytes
      Cache
  4. 『福井県史』通史編2 中世

    荘園・国衙領の分布と諸勢力の配置 一 越前の荘園・国衙領と地頭・御家人 南条郡 南条郡はもと南仲条郡といい、古代から中世...脇本荘の北隣りの大塩保(旧南条郡王子保村の一部)には、早くから地頭が置かれていたことが確認される。建保二年(一二一四)前後の...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-04-01-03.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
      3.5K bytes
      5 views
      Cache
  5. 『福井県史』通史編2 中世

    鎌倉殿勧農使を務めた比企朝宗が地頭で(『吾妻鏡』建久五年十二月十日条)、のち波多野氏が地頭となる。六波羅評定衆を務めた波...。前述のように仁和寺領の丹生郡石田荘地頭であり、法金剛院領の今立郡河和田荘の「地頭下司」を自称し、越前の寺領支配に深く関...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-04-01-07.htm
    Fri Apr 19 11:32:03 JST 2019
      5.5K bytes
      Cache
  6. 『福井県史』通史編2 中世

    に久安保重富の地頭職が与えられているが(同前)、これは大内惟信の没収跡であろう。 また大野郡牛原荘の地頭土佐広義も京方と...房の子時盛が地頭に補任された(資2 醍醐寺文書二〇・二五号)。さらに坂井郡河口荘についても、いったんは地頭職が停止されて...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-03-01-03.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
      5.1K bytes
      Cache
  7. 『福井県史』通史編2 中世

    鎌倉初期に地頭が置かれ、承久の乱のとき預所は後鳥羽上皇の乳母藤原兼子(卿二位)だった。乱後に地頭はこのことを幕府へ...は生部荘・久安保重富の地頭に任じられた(『島津家文書』)。主計保は鎌倉末期には内管領長崎氏が地頭であった(資2 二神文書一号)。...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-04-01-06.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
      6.4K bytes
      1 views
      Cache
  8. 『福井県史』通史編2 中世

    違っていた(領家方桝一石は地頭方では一・〇六石ないし一・〇七石)。ただし、もとは領家方・地頭方において別々に行なわれてい...する場合があった(二章四節二参照)。しかし他方では、守護・地頭・土豪たちによる支配権の確保が荘園支配を複雑なものとしていることも見逃してはならない。...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-3-01-04-01-01.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
      2.8K bytes
      Cache
  9. 『福井県史』通史編2 中世

    が保の地頭に相当する地位にあったが、幕府から所領のほとんどを奪われて没落し、代わって守護の若狭忠季が太良保の地頭となった...下った真行房定宴は、地頭の非法に苦しみながらも抵抗を続けていた勧心・時沢・真利らの農民を支援して地頭を訴え、寛元元年(一...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-04-01-01.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
      4.5K bytes
      Cache
  10. 『福井県史』通史編2 中世

    荘園・国衙領の分布と諸勢力の配置 三 若狭の荘園・国衙領と地頭・御家人 浦と荘園 大田文では、別名型の所領などとは区別さ...時定の有した少なくとも二五か所に及ぶ国衙領・荘園の下司職が地頭職となって若狭氏に受け継がれ、十四世紀初頭までには守護職・...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-04-03-02.htm
    Fri Apr 19 11:32:03 JST 2019
      2.6K bytes
      Cache
Back to top