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  1. 『福井県史』通史編2 中世

    二日、遠敷・三方両郡内の荘園・公領の地頭に補任された(ヒ函二七六)。 両郡の「惣地頭」ともいわれた忠季の所領は大飯郡の一...武家政権の成立と荘園・国衙領 第二節 鎌倉幕府の成立 二 稲庭氏の没落と東国地頭の入部 稲庭氏の没落と守護若狭氏 しかしこの交名が鎌倉に注...
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    Fri Apr 19 11:32:03 JST 2019
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  2. 『福井県史』通史編2 中世

    守護支配の進展 五 若狭の守護半済と国人 半済の進展 写真107 太良荘地頭方年貢等算用状(ハ函三〇、部分) 若狭における半済は、文和...若狭における半済は、文和三年(一三五四)細川清氏によって初めて実施された。この年太良荘地頭方では、東寺が収納した年貢五六石余の半分二八石余が「しゆこ...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-02-05-02.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  3. 『福井県史』通史編2 中世

    さらに大野市のもと小山荘内に集中してみられる領家方・地頭方に分かれた村名は、鎌倉後期に行なわれた下地中分の結果とし...市域北部の牛原荘の領主醍醐寺の鎮守が勧請されたものである。地頭の勧請した神社としては鎌倉後期に三方郡御賀尾浦に勧請された...
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    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  4. 『福井県史』通史編2 中世

    朝期に地頭方の土地に溝の造成費用が投下されて潅排水施設が設けられていったものとみられる。このような方法で太良荘地頭方にや...た。 遠敷郡太良荘の場合では、暦応年間(一三三八〜四二)の地頭方年貢算用状などによれば、「荒堀溝代」などの名目の費用一石...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-3-01-05-04-01.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  5. 『福井県史』通史編2 中世

    八)に百姓たちが和布・塩・鮨桶の代銭納の廃止を地頭に求めたのに対して、地頭は永仁年間(一二九三〜九九)より訴訟のため「在...している(資8 大音正和家文書二九・三七号)。また、太良荘地頭の若狭忠清は文永六年に京都大番役雑事として馬草・糠・薪・炭...
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    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  6. 『福井県史』通史編2 中世

    このような銭貨普及をふまえて、延慶四年に多烏・汲部両浦は地頭方の年貢・公事を合計四〇貫文で請け負うという、年貢の地下請...かにされている。御賀尾浦や遠敷郡志積浦の例によれば、これは地頭などが浦の百姓一人に米二升宛を貸し付け、一升につき銭六六文を徴収するものであった(資8...
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    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  7. 『福井県史』通史編2 中世

    当時の円覚寺の山本荘領有権はもと造営料所で、かつ地頭職の系譜を引くものと思われる。至徳元年(一三八四)に初代僧...に永代寄付している(『大徳寺文書』)。春近郷は、南北朝期に地頭職の半分が若狭国の御家人の本郷家泰に勲功の賞として充行われたり(資2...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-04-07-04.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  8. 『福井県史』通史編2 中世

    荘園・国衙領の分布と諸勢力の配置 一 越前の荘園・国衙領と地頭・御家人 敦賀郡 敦賀郡の郡名は古代から変わらないが、平安...しているが、当時の本家・領家は未詳である。南北朝期櫛川郷の地頭は山内首藤氏の一族の山内重経であった(資8 西福寺文書四号)。...
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    Fri Apr 19 11:32:03 JST 2019
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  9. 『福井県史』通史編2 中世

    鎌倉幕府の成立 三 守護と地頭・御家人の動向 「下人」と荘の預と借上 新たに補任された守護・地頭と現地の人びととのこのよう...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-02-03-04.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  10. 『福井県史』通史編2 中世

    地頭についても、三方郡倉見荘地頭の二階堂氏が延慶三年(一三一〇)荘内の御賀尾...て行なわれる流鏑馬に対する流鏑馬役が、国内の御家人役として地頭職所有者に課されている(ツ函六九、し函二二〇)。これはのち...
    localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-6-01-01-03-02.htm
    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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