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  1. 1461-.xlsx

    三方郡山東郷下司職をめぐり,青蓮院と武田氏被官中山氏が争う〔結番日記〕. 1477 文明9 3 28 武田国信,細川政元より山科七郷における武田氏足軽...応仁1 10 25 武田氏,東寺領遠敷郡太良荘を押領し,年貢を徴収〔ヌ-223〕. 1468 応仁2 2 武田信賢が若狭に城郭を築く〔私要鈔〕....
    localhost/fukui/07/nenpyo/rekishi/Excel/1461-.xlsx
    Sun Nov 29 13:51:43 JST 2020
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  2. 『福井県史』通史編2 中世

    第四章 戦国大名の領国支配 第三節 武田氏の領国支配 四 領民支配 年貢・公事の収取 武田氏あるいはその被官人らが単位所領ご...を納入する直接の相手は、半済方はもちろん、本所方についても武田氏被官ということになったのである。この時期の太良荘本所方に...
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    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  3. 『福井県史』通史編2 中世

    戦国大名の領国支配 第三節 武田氏の領国支配 一 領国支配の強化 荘園下地の押領と請所制 若狭国内の諸荘園に対する守護武田氏の半済が、荘...〇年ほどあとの永正年間(一五〇四〜二一)になると、この地は武田氏の重臣粟屋孫三郎元泰(のち右京亮元隆)の請所となり、年間...
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    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  4. 『福井県史』通史編2 中世

    戦国大名の領国支配 第四節 朝倉・武田両氏の滅亡 二 武田氏の滅亡 元明の若狭脱出 武田氏に合力して三方郡の粟屋勝久らを攻...を越前へ救出した(同前)。これをもって八代約一三〇年続いた武田惣領家による若狭支配は事実上終止符が打たれたことになる。若...
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    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  5. 『福井県史』通史編2 中世

    戦国大名の領国支配 第四節 朝倉・武田両氏の滅亡 三 信長の若狭侵入 朝倉氏の再侵攻 武田信方は熊川で信長を出迎えることな...記』巻二、『毛利家文書』)、朝倉攻めに失敗して以降もなお旧武田家臣のほとんどを掌握していたと思われる。 ところが信長の勢...
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    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  6. 『福井県史』通史編2 中世

    第三章 守護支配の展開 第二節 一色・武田氏の領国支配 六 武田氏の半済と荘園支配 段銭 武田氏が分国から催促・徴収した諸役は、当然のことながら一色氏のとき(...貫文)に近い一〇貫文前後に達する例も珍しくはなかった。また武田氏は、免除の有無にかかわらず「(段銭高)十貫ニ三貫ツヽ」の...
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    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  7. 『福井県史』通史編2 中世

    戦国大名の領国支配 第三節 武田氏の領国支配 三 領国支配機構 在国支配機構 応仁以前、武田氏の若狭における支配機構の頂...もこの体制は引き続き存在していたと思われる。文明九年八月、武田国信からの使者が皇室領小浜の年貢の件について「国の儀有名無...
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    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  8. 『福井県史』通史編4 近世二

    写真163 武田耕書斎の墓 処刑は、二月四日から町はずれの来迎寺境内の刑場で始まり、まず武田耕雲斎を初め二四人が...日七六人、二十三日に一六人が処刑された。武田耕雲斎・山国兵部・田丸稲之衛門・武田小四郎の首級は塩漬けにして水戸に送られ、...
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    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  9. 『福井県史』通史編2 中世

    次ページへ 第四章 戦国大名の領国支配 第一節 応仁の乱と朝倉・武田氏 一 京都の合戦 戦線の地方への拡大 京都での戦闘が沈静...記』応仁二年閏十月十四日条)。 文明元年(一四六九)四月、武田信賢の部将逸見・粟屋・温科らが、細川持賢の家臣天竺孫四郎と...
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    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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  10. 『福井県史』通史編2 中世

    第二節 一色・武田氏の領国支配 四 武田氏の地位と信賢の活動 中央における信賢の活動 実質的に若狭守護としての武田氏初代とな...が、大内氏の抑え役を安芸の分郡守護武田氏に期待して支持したためである。幕府における武田氏の地位はこうした事情によっても支えられていたのである。...
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    Thu Mar 28 12:12:50 JST 2019
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