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『福井県史』通史編2 中世
太良荘における建武元年の地頭代脇袋頼国排斥の惣百姓一揆、延文元年から同三年の禅勝・実円排斥の惣百姓一揆、同三年の地頭代宮河弾正忠排...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-2-01-03-02-03.htm -
『福井県史』通史編2 中世
若狭国御家人の巻返し このような領家・百姓たちの地頭に対する反撃に呼応しつつ、承久以後、東国人の地頭の圧力によって苦境に立たされていた...する意図で発せられたのであるが、若狭国御家人たちは、これを地頭による御家人領の押領を排除する手がかりにしたのである。 寛...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-03-03-03.htm -
『福井県史』通史編2 中世
さらに大野市のもと小山荘内に集中してみられる領家方・地頭方に分かれた村名は、鎌倉後期に行なわれた下地中分の結果とし...市域北部の牛原荘の領主醍醐寺の鎮守が勧請されたものである。地頭の勧請した神社としては鎌倉後期に三方郡御賀尾浦に勧請された...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-01-02.htm -
福井県史年表(1351年~1400年)
1373 応安6 12 吉田郡志比荘地頭波多野朝道代官,東寺への本家役呉綿は地頭からでなく,領家からの負担であると弁明する[ル-67]....1351 観応2 2 1 足利尊氏,本郷家泰に坂井郡春近郷地頭職半分,佐々木道誉に若狭国税所今富名などを給与[(2)本郷-24,佐々木-2]....localhost/fukui/07/nenpyo/rekishi/chrn15.html -
『福井県史』通史編2 中世
二日、遠敷・三方両郡内の荘園・公領の地頭に補任された(ヒ函二七六)。 両郡の「惣地頭」ともいわれた忠季の所領は大飯郡の一...武家政権の成立と荘園・国衙領 第二節 鎌倉幕府の成立 二 稲庭氏の没落と東国地頭の入部 稲庭氏の没落と守護若狭氏 しかしこの交名が鎌倉に注...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-02-02-02.htm -
『福井県史』通史編2 中世
鎌倉幕府の成立 三 守護と地頭・御家人の動向 「下人」と荘の預と借上 新たに補任された守護・地頭と現地の人びととのこのよう...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-02-03-04.htm -
『福井県史』通史編2 中世
西福寺文書に多見する山内氏は、敦賀郡野坂荘櫛川郷の地頭職をもち、櫛川郷を所領として「櫛川殿」と称され、先の山内首藤家の一族と考えられる。... 西福寺文書一号)。観応元年(一三五〇)、山内重経が櫛川郷地頭給の田地の一部を売却しているから(同二号)、山内氏と櫛川郷...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-3-01-03-02-04.htm -
『福井県史』通史編2 中世
朝期に地頭方の土地に溝の造成費用が投下されて潅排水施設が設けられていったものとみられる。このような方法で太良荘地頭方にや...た。 遠敷郡太良荘の場合では、暦応年間(一三三八〜四二)の地頭方年貢算用状などによれば、「荒堀溝代」などの名目の費用一石...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-3-01-05-04-01.htm -
『福井県史』通史編2 中世
八)に百姓たちが和布・塩・鮨桶の代銭納の廃止を地頭に求めたのに対して、地頭は永仁年間(一二九三〜九九)より訴訟のため「在...している(資8 大音正和家文書二九・三七号)。また、太良荘地頭の若狭忠清は文永六年に京都大番役雑事として馬草・糠・薪・炭...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-06-04-02.htm -
『福井県史』通史編2 中世
このような銭貨普及をふまえて、延慶四年に多烏・汲部両浦は地頭方の年貢・公事を合計四〇貫文で請け負うという、年貢の地下請...かにされている。御賀尾浦や遠敷郡志積浦の例によれば、これは地頭などが浦の百姓一人に米二升宛を貸し付け、一升につき銭六六文を徴収するものであった(資8...localhost/fukui/07/kenshi/T2/T2-0a1-02-06-04-04.htm