-蜂起150年- 水戸天狗党敦賀に散る
今から150年前の1864年(元治元)、 筑波山で蜂起した水戸藩の尊王攘夷派天狗党は京都を目指して西上しましたが、敦賀で追討軍に包囲されて降伏、そのうち約350名が敦賀で処刑されました。
この展示では、 来夏リニューアル開館予定の敦賀市立博物館と共催し、敦賀・福井の人々が残した遺品や記録から 天狗党の乱の記憶をたどっていきます。
会期
平成26年8月29日(金)~10月22日(水) 文書館閲覧室
事件のあらまし
敦賀までの行程
遺された遺品・記録類
こよりで作られた茶卓 敦賀市立博物館蔵
天狗党の一人が手遊びに作ったものです。食事を運んでいた塩谷熊吉に手渡されたと伝えられています。
大鋏 敦賀市立博物館蔵
斬罪を執行する際、この鋏で武田耕雲斎らの髻(もとどり、頭髪を束ねている根元の部分)を切ったと伝えられています。
前編(敦賀奉行所御用留)
敦賀郷土博物館蔵 M0006-00378
敦賀奉行所で送受された達書などの書類を写した控です。表題はなく、表紙に「前編」と朱書きされているのみで、「後編」は失われています。
武田耕雲斎事跡 浪士真筆陣中日記 1864年(元治元)7月
敦賀郷土博物館蔵 M0006-00379
関東での初戦から大子村への脱出までのようすと、降伏後に敦賀の本妙寺に入るまでの行程が記されています。
横田藤四郎(天狗党の乱に参加していた商人)が所持していたともいわれています。
浪士某日記 1865年(元治2)2月
敦賀郷土博物館蔵 M0006-00612
那珂湊合戦から始まる5か月分の日記です。
天狗党が宿泊していた寺で掃除の者が拾い、書き写したものです。
水戸浪士日記 1864年(元治元)10月~65年2月
敦賀郷土博物館蔵 M0006-00380
天狗党の西上行軍記の他、敦賀本勝寺での浪士辞世、武田伊賀守加賀藩上書、「関東御手当」と題した天狗党追討関係、1863年(文久3)の長州浪士による尊王攘夷運動、長州征伐記事など、尊王攘夷運動に関するさまざまな情報が記された備忘録ともいえる資料です。
配陣図
松田三左衛門家文書(当館蔵) A0169-03415
デジタルアーカイブは
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敦賀奉行所で送受された達天狗党と追討軍、両陣の配置が描かれています。
松田家は越前海岸東北部、越前岬と東尋坊のほぼ中間にあった南菅生浦の庄屋で、地理的には天狗党の行路から離れていましたが、領主であった福井藩松平家が動員されたこともあってか、情報を収集しながら動静を注視していたようです。
水藩浮浪姓名簿 1865年(元治2)2月
M0006-00382 敦賀郷土博物館蔵
降伏後に作成された天狗党一行の名簿です。天狗党の乱の数え唄も記されています。
筆叢拾遺 松
平文庫(福井県立図書館保管)A0143-00544~00547
デジタルアーカイブは
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令達・書状・風説書などが収められた雑記です。4冊の内2冊に天狗党の乱の記述があります。2冊の内1冊には乱に関する書状や覚書が、もう1冊には福井藩の探索方(山本龍次郎こと、関義臣)が収集した情報が記されています。
吉村昭 『動く牙』 1974年(昭和49)
敦賀郷土博物館蔵
県立図書館 /H930/Y/5B(ふるさと文学)、/H930/Y/5A(書庫)
『文芸春秋』に連載された天狗党が題材の中編小説です。
長編小説『天狗争乱』の原型にもなっています。
(上)「水戸浪士騒動図」 (拡大複製) 敦賀市立博物館蔵
(下)武田耕雲斎ブロンズ像 高さ43㎝ 佐藤助雄作 敦賀市立博物館蔵
(右)軍扇(武田耕雲斎所用) 9月24日まで展示 長さ34㎝ 開扇巾50㎝
松原神社蔵(敦賀市立博物館保管) 敦賀市指定文化財
武田耕雲斎ゆかりの人物より、陣羽織とあわせて松原神社に寄進されました。
親王家の一つ有栖川宮より拝領したもので、扇面は表が金色、 裏が銀色の無地になっています。
橋(骨)は黒色で、上橋(親骨)の上端に浮線菊の紋が金色で描かれています。 16本の橋は竹製、上橋・下橋は鉄製です。
陣羽織(武田耕雲斎所用)は9月26日から展示(軍扇は前半のみ。)
福井県に残る天狗党の乱のあと
リーフレット
ポスター