左から朝倉孝景(英林)(心月寺蔵)、常高院(常高寺蔵)、酒井忠勝(個人蔵)
          死に臨んで、隠居の時、子の結婚など人生の節目に、人は何を書き遺し、何を伝えたかったのでしょうか。
          いわゆる“終活”に焦点をあて、譲状・遺言・家訓など受け継がれるべくして受け継がれた資料とそこに込められた願いを紹介します。
          こうした資料にあらわれる女性たちのありようにも注目します。
          会期
          平成28年8月26日(金)~10月26日(水) 文書館閲覧室
          遺された言葉 ~家訓・書置・遺言~
          朝倉氏の家訓
          
          年未詳「朝倉家之拾七ケ条」
          松平文庫(福井県立図書館保管) A0143-00483
          デジタルアーカイブは
こちら朝倉孝景(英林)が晩年に遺したとされる「朝倉孝景条々」の写本のひとつです。
          「朝倉館以外には領国内に城郭を造らせてはならない」、「領主自身が姿をかえて実際に領国を見廻るのもよい」など、領国と朝倉氏を存続させるために子孫に対して国主としての責務を家訓で示しています。
          酒井家 遺産のありかとつかい方
          
          1662年(寛文2)「覚遺物金銀之分(酒井忠勝遺物金銀覚書案)」 
          酒井家文庫(小浜市教育委員会蔵) O0057-00627
          1634年(寛永11)から若狭を治めた譜代大名酒井家に遺された資料です。 
          初代藩主忠勝から国許の家老にあてて遺産の内訳と保管場所が示されています。
          また「大きな普請役を命じられたとき」や「大火事に遭ったとき」など、つかい方についても細かな指示がなされています。
          近世初期の農民の遺書
          
          1600年(慶長5)「いつれもをきかきのことくニ(譲与田畠書置)」 
          伊藤三郎左衛門家文書(当館蔵) I0058 -00080
          デジタルアーカイブは
こちら田畑からの収穫ごとに「又五郎分」などの名前が書かれており、財産譲渡を主な目的として作成されています。
          前文では「親の名を泣かすなよ」、「ははをよきに養い…」など、相続者に対して孝養をもとめる文言もみられます。
          入り婿の心得
          
          1694年(元禄7)「口上書之覚(笹谷村市郎右衛門書置)」
          岩堀健彦家文書 D0001-00024
          丹生郡笹谷村の市郎右衛門から同郡朝宮村の岩堀家へ婿入りする実子に宛てた書置です。多くが義父母への孝養を説いています。
          「入り婿なので朝寝をすると人から笑われる」、「義父母より先に寝てはならない」など、当時の入り婿の立場がうかがえる資料です。
          葬儀は質素倹約を旨に…
          
          1928年(昭和3)「遺言証書正本(遺言者杉田定一、写)」
          矢尾真雄家文書(当館蔵) C0065-00274
          デジタルアーカイブは
こちら明治期に福井県下において自由民権運動を推進し、衆議院議長を務めた杉田定一の遺言書です。
          1898年(明治31)に施行された民法に則す形で作成されており、後継者のこと、葬儀に関すること、埋葬地についての指示などがなされています。
          “終活”からみる近世の女性
          常高院(お初)の願い
          
          1633年(寛永10)「かきおきの事(常高院遺言状写)」
          常高寺文書 O0517-00241
          浅井三姉妹の次女お初(落飾して常高院)が 京極高次後継の忠高に送った遺言の写しです。
          「国替えとなっても常高寺をそのままに」、「仕えてくれた侍女たちに扶持を…」などの願いが込められています。
          波乱の多い人生のなかで若狭小浜が彼女にとって安住の地だったのかもしれません。
          
          家を守りぬいた女性
          
          1792年(寛政4)「智鏡尼上座遺訓」
          花倉家文書 I0067-00081-001
          智鏡尼は大野郡中野村きっての豪農花倉家(本姓、松田氏)の25代当主の妻女です。 26歳のときに夫と死別し、老母・幼児3人と莫大な借財を抱えながらも
          「二十年来難儀苦行」して家を守りぬきました。
          「耕作に励め」、「華美を慎め」など家を存続させるための細やかな指示が並んでいます。
          息子の忠興が母の言葉をまとめた「書添」には「女は格別ままならぬ身…」という一文があり、さまざまな制限を受けながらも家を守りぬいた女性のたくましさと苦悩がうかがえます。
          妻へのラストメッセージ
          
          1807年(文化4)「相定申一札之事(半右衛門遺言状)」
          砂田弘太家文書(当館蔵) I0034-00049
          デジタルアーカイブは
こちら近世後期の資料で、夫が妻に対して自分の死後の指示を書き連ねた遺言書です。
          「娘の婿を決めること」、「親元へ戻る場合は身ひとつで…」など、立場だけでなく経済的にも制限されていた近世の女性の姿がうかがえる資料です。
          室町後期 女性への財産相続
          
          1525年(大永5)「譲状之事(良円名代職譲状写)」
          飯田広助家文書(当館寄託) G0024-03416
          室町後期の譲状の写しです。
          名代職(みょうだいしき…名の代官)として権利のうち、4分の3の権限が乙子女という女性に譲られています。
          中世においては、女性も相続人となりえましたが、15世紀頃からその女性一代に限り相続させる一期分という相続が登場し、近世には女性は相続人から除かれるようになります。
          
          他にも遺言にまつわるこぼれ話、辞世の句などを展示パネルで紹介しています。
          
          
          
          タペストリー展示
          
          朝倉孝景、酒井忠勝、常高院の肖像画とそれぞれに関する資料(「朝倉家之拾七ケ条」、「覚遺物金銀之分」、「かきおきの事(常高院遺言状写)」)の全文をタペストリーにして紹介しています。
          タペストリー展示
          
          ポスター