福井県文書館・県埋蔵文化財調査センター共催 福井城下のくらし
「戊午屋舗絵図」神明前と現在地 1858年(安政5)
山内秋朗家文書(福井県文書館蔵) X0142-00307
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1994年(平成6)から本格的に始まった福井城跡の発掘調査では越前焼や瀬戸などの陶磁器のほかに、木製品や金属器など江戸時代の城下のくらしを物語るものが数多く出土しました。
文字が刻まれた迷子札や付札・荷札のほか、日常的に使われていた眼鏡・煙管などの金属製品、笏谷石の石製品、城下を潤した芝原上水に関連する出土品などを、福井藩士関係の資料とともに紹介します。
本展示において展示されている出土品等の調査研究成果は「福井県埋蔵文化財調査報告」第36・72・109集『福井城跡』に掲載されており、本年3月発刊予定の第146集『福井城跡』にも掲載される予定です。
会期
平成27年1月23日(金)~4月12日(日) 文書館閲覧室
展示ケース1 迷子札
迷子札 (18C後半~19C、福井城下旧松原天草町から出土)
福井県教育庁埋蔵文化財調査センター提供
金属製の迷子札には「天草町 柳下勘七倅 久之丞」と住所と親子の名前が刻まれています。裏面の猪のデザインは、迷子札によくみられるものであったようで、生まれ年の亥年を意味するものと思われますが、道に迷った和気清麻呂を猪の群れが導いたという奈良時代の故事と関係がある可能性があります。
また猪とともに刻まれている松は子供の帰りを「待つ」という親心を表現しているのかもしれません(18C後~19C、旧松原天草町から出土)。
迷子札の出土地(北陸新幹線福井駅部)
柳下勘七は福井城下きっての武芸の達人として知られ、1778(安永7)年に家督を継いでから64年間柳下家の当主でした。
迷子札を持っていた久之丞はのち勘七の跡を継ぎ、1856(安政3)年には年来柔術に出精したことから褒美として「花葵御紋付御扇子」を拝領したことなどが藩の人事記録「剥札」からわかります。

上水掛り近例考 中[上水掛リ御用留抜書]
1848年(嘉永元)
A0143-00457 松
平文庫(福井県立図書館保管)
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上水で水あび!

久之丞の兄弟にあたる
平吉は、1822年(文政5)5月、松原伝五右衛門倅の伝次郎と酒井外記下屋敷向かいの芝原上水で水をあびていたところ、上水掛に見つかりました。
まだ子供だったからでしょうか、厳しい処分はなく、あとで松原伝五右衛門が上水役方に「挨拶」に訪れています。
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芝原上水は九頭竜川の水を城下北東部の志比口から引き入れて、城下の各地で分水され、最後は城下から出て田畑の用水となった重要なインフラでした。
松平文庫「上水掛り近例考 中」は上水を管理する福井藩役方が役務の参考とするための記録ですが、芝原上水を汚した場合には過料(罰金)が科せられるなど、城下に住む人たちの飲み水となる上水を厳しく管理していたことがわかります。
『日本都市生活史料集成 四 城下町篇Ⅱ』に一部翻刻されています。
上水を汚してもよい日
上水奉行や役方を任命し、見回りを行い、上水を汚す者を罰するなど厳しく管理された芝原上水ですが、上水を汚してもよい特別な日があったようです。
それは例年11月から12月にかけて特別に設けられた大根漬けのための大根を洗う日。大根をうずたかく積み、せっせと大根の泥を落とす人びとの姿、洗い終えた白い大根が目に浮かびます。冬支度として大根を洗うのは、城下町福井の初冬の風景でした。
この日だけは藩も目をつぶったのでしょう。松平文庫「上水掛り近例考 中」には大根洗いのあとは上水の清浚えが行われたことも記録されており、上水には再び清澄な水が流れることになります。
展示ケース2 植木付札・荷札
植木付札
植木付札は下が尖った形で、上に寄せて文字が両面に書いてあります。
江戸で1692年(元禄5)に植木商伊藤伊兵衛によって刊行されたツツジ・サツキの図説書『錦繍枕』には「三川むらさき」「めい月」「たかさご」などこの付札と同じ名前が見え、これらがツツジやサツキなどに付けられていたことが分かります。
これらは県国際交流会館の建設工事にともなう発掘調査の際、17世紀後半のごみ穴から見つかりました。当時、ここは福井藩士「笹川藤内」の屋敷付近で、そこで多種多様な園芸植物(ツツジなど)が育てられていたことが分かります。17世紀中ごろ、薩摩(鹿児島県)から霧島ツツジが大坂・京・江戸へ持ち込まれ、栽培が盛んになります。江戸では元禄年間にツツジの人気が高まり、『錦繍枕』のような図説書の刊行につながりました。
当時、この屋敷ではどのような目的で栽培がされていたのか、興味が深まります。
ツツジやサツキの各品種の特徴について書かれた図説書です。出土した植木付札と同じ「名月」「三川むらさき」「なつ山」などの品種名がみえます。
鉢物の献上
松
平文庫「御側向頭取御用日記」(13) A0143 -00523
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松平文庫「御側向頭取御用日記」などには、藩士による鉢物献上の記事が多くみられます。
1866年(慶応2)1月4日、福井藩士林作右衛門は 「鉄葉入」の常盤木、つまり当時まだ珍しかったブリキ製鉢入りの常盤木を前藩主松平春嶽に献上しました。
冬でも緑の葉を保つ常盤木は長寿を祈る縁起物とみられます。
荷札
荷札には両面に住所、名前、品名、数量などが書いてあります。えぐった部分に紐や縄をゆわえ、これを荷物に結んで使いました。
鯛やタニシなどの品名も見えますが、「上白米」「下白」「納四斗入」の文字から大部分は米に付けられたものと考えられます。
これらは17世紀後半のごみ穴や溝から見つかりました。当時ここは有賀式部などの藩士の屋敷で、そこに届けられた荷物に付いていたものと考えられます。
夫役の代わりに納める「足米」という語がみえるほか、「莇生田村」「板垣村」「山室村」など、現在の福井市内にあった村名がみえます。
これらの荷札は17世紀後半までの藩士による知行の状況を示す可能性があります。
福井城下出土の金属製品・石製品
壁面展示ケース
上水を引く・ためる
福井城下出土の石製品
ポスター