「花押は語る-朝倉氏の織田支配」
          近年の花押研究の成果によって、中世における支配者や支配のありようが明らかになってきている丹生郡織田地域の資料を取り上げ、朝倉氏の支配の様子を紹介します。
          古文書に書かれた花押から歴史の謎にせまってみませんか。
          花押とは
          自署の代わりに書く記号のことで、印判と区別して書判(かきはん)ともいいます。
          その形が花模様のごとくであるところから花押とよばれました。
          会期
          平成21年1月29日(木)~2月25日(水) 文書館閲覧室
          「永代売渡織田庄本所方年貢等注文」
          
          文書の裏にある花押(かおう)の一部です。
          文書一紙目と二紙目の継ぎ目裏に書かれたもので二紙目が失われたため左下部が残ったと考えられます。
          
          
          (年代未詳)
          山内秋郎家文書 X0142-00021
          デジタルアーカイブは
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          某が「織田本庄本所方」の年貢米等を永代に売却した文書表の内容を「朝倉兵庫助」と追記される人物が裏判(うらはん、文書の裏にある花押)で安堵(あんど、保証)しています。
          
          紙背にある花押の一部と「朝倉兵庫助殿之御判」の異筆記事により、これまで特定されなかった織田荘本所方の支配者の実名(朝倉景亮、かげすけ)が明らかになりました。
          朝倉景亮は朝倉義景の近臣で、最初兵庫助を称し、のちに出雲守を称するようになります。
          「右衛門・正円兵衛連署請文」
          
          
          山内秋郎家文書 X0142-00035
          デジタルアーカイブは
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          永正17年(1520)付け千手院宛「大王丸正善之子右衛門」「正円兵衛」連署請文に対し、 天文4年(1535)に朝倉景良(かげよし)が裏判で千手院領であることを安堵した文書です。
          この文書によって、景良の花押をはじめて知ることができました。また、この花押が一致する他の文書(山岸長家文書 D0020-00006)から、景良が本所方北分を支配していた人物であることがわかりました。
          「朝倉延景安堵状」
          
          1551年(天文20)
          山内秋郎家文書 X0142-00001
          デジタルアーカイブは
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          朝倉延景(のぶかげ、のちの義景)が織田寺玉蔵坊(ぎょくぞうぼう)に対し、「沽却(こきゃく、売却)散在(さんざい、もとの持ち主を離れること)地等」を買得者から没収したうえで新寄進として安堵した文書です。
          「華押雑纂」巻一~巻五(写)
          
          1915年(大正4)
          山内秋郎家文書 X0142-00316~320 
          デジタルアーカイブは
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          滋賀県の『東浅井郡志』編さんを委嘱された黒田惟信氏が江北各地の古文書の署名と花押、印判を収集・整理してまとめた本を写したものです。
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