「藩士の給与のカタチ」
江戸時代の武士について、例えば「知行百石」という形で知行高を示し、その給与や家格の高下を紹介することがあります。
しかし、福井藩士の場合、こうした「知行取」にはいくつかの種類があり、またこれとは別に「切米取」という給与の形態がありました。
本展示では、はじめ吉江藩士でのちに福井藩士となった河崎(川崎)宗鋪に宛てられた「給与明細」の形態の変遷を紹介するとともに、吉江藩と福井藩における多様な「給与のカタチ」を取り上げます。
会期
2019年9月13日(金)~10月23日(木)※終了しました
河崎家系図
河崎家文書(福井県立図書館保管)
・幼少期、藩主昌親(ちか)生母の侍女の養子に、米20石3人扶持(給与額は25石5斗)
・明暦元年(1655)、藩主の奥御小姓に、切米25石5人扶持に(給与額は34石)
*切米…藩庫から年数回に分けて支給
切米支給を示す文書はない?
松平昌親 「知行宛行状(判物)」
河崎家文書(福井県立図書館保管)
寛文11年(1667)
切米取から知行取になった際の文書
*給与内訳(自分で徴税ヵ)
・本年貢…知行高(100石)×免(年貢率)
・口米…本年貢×3%
・夫米…知行高×5%
ほか小物成 「地方渡」と思われるが、村の指定なし
吉江藩給帳
松平文庫(福井県立図書館保管) A0143-01316
延宝2年(1674)
藩士名簿・給与総額を示す帳簿
知行取…「給人」40人と「御蔵出」2人⇒給人=「地方渡」
切米取…約70人
*延宝2年(1674)の給人の給与
知行高の38%(本年貢+口米+夫米)
松平綱昌 「知行宛行状 (朱印状)」
河崎家文書(福井県立図書館保管)
延宝5年(1677)
福井藩で知行取に一斉発給された文書
この頃、知行取全員が給人=地方渡
100石の内訳として村名と高が明示、給人は知行地の村から自身で徴税
*給与額は知行高の30~40%ヵ
制限はあるが独自の支配権を行使
「知行書出」
河崎家文書(福井県立図書館保管)
貞享4年(1687)
勘定所の御奉行が連名で発給した文書
知行100石は御蔵出とされ村名なし
代官付給人として藩直轄地から村指定
代官が免を決定、自身で村から受領
*天保期(1831-45)河崎家の給知(知行地):西大味村・下細江村(福井市)各50石
御用式目(藩の法令集)
松平文庫(福井県立図書館保管) A0143-20635
宝永4年(1707)
「貞享の半知」(1686)で大幅な制度変更
・知行高600石以上が「地方渡」
・知行高550石以下が「御蔵出」 ⇒知行取全体の約9割が御蔵出に
御蔵出の口米・夫米は藩庫に吸収⇒御蔵出とされた藩士の給与は減少
展示パネル