Fukui Prefectural Archives

月替展示

Monthly Exhibition

概 要展示内容LINK

内田吉左衛門家文書展~大商人が遺したもの~

 2018年(平成30)3月、越前の大商人であった内田吉左衛門家に伝わる貴重な資料約5000点が約60数年ぶりに東京都から福井県へ里帰りしました。内田家は今立郡岩本村(越前市岩本町)に本拠を構え、江戸時代を通じて五箇の紙や越前各地の特産物を手広く扱い、金融活動も盛んに行っていた総合商社ともいえる大商人です。
 今回の展示では、越前を代表する豪商であった内田家に残された資料の一部を紹介します。これらの活用によって、江戸時代の商業経営や和紙等の流通に関する研究が促進されることが期待されます。

会 期

2018年(平成30)10月26日(金)~12月19日(水) ※終了しました

会 場

福井県文書館閲覧室

展示資料

秀吉の朱印状
「羽柴秀吉朱印状(越前国中蝋燭司を野辺四郎右衛門尉へ免許)」

1585年(天正13)閏8月14日
「羽柴秀吉朱印状(越前国中蝋燭司を野辺四郎右衛門尉へ免許)」

内田吉左衛門家文書(当館蔵) X0025-00002

 豊臣(羽柴)秀吉が木村隼人佐に発行した朱印状です。朱印状とは花押の代わりに朱印を押して発行した文書のことです。隼人佐は秀吉の家臣の一人で、当時は若狭国三方郡(美浜町・若狭町)から越前国府中(越前市)に移ってきていたようです。
 この中で今立郡岩本(越前市岩本町)の野辺四郎右衛門尉が秀吉から越前国中蝋燭司を命じられています。そのため、四郎右衛門尉は越前国中から蝋燭を独占的に買い集めることができました。
 後に、野辺家の持っていた特権を初代内田吉左衛門が譲り受けました。

秀吉が発行した禁制(きんせい)
「(豊臣秀吉禁制状写)」

1583年(天正11)4月
「(豊臣秀吉禁制状写)」

内田吉左衛門家文書(当館蔵) X0025-00001

 豊臣秀吉が発行した禁制を写したものです。発行から260年後の1843年(天保14)に写された旨が書かれています。
 禁制とは権力者が禁止事項を公示した文書のことです。この禁制の適用範囲は越前国岩本村(越前市岩本町)となっています。
 禁止されている内容は秀吉の軍勢が庶民に乱暴狼藉を働くこと、放火すること、村に戻ってきた百姓を苦しめること、小屋を壊し取ることです。一つでも違反した場合、厳罰に処すことが書かれています。

秀康の黒印状 その1
「結城秀康黒印状(鳥子役ニ付夫役免許状)」

1602年(慶長7)9月10日
「結城秀康黒印状(鳥子役ニ付夫役免許状)」

内田吉左衛門家文書(当館蔵) X0025-00004

 結城秀康が鳥子屋才衛門に発行した黒印状です。黒印状とは墨を用いた印判を押した文書のことです。この中で秀康は才衛門に鳥子役を申し付けており、その代わりに諸役を免除しています。

秀康の黒印状 その2
 「結城秀康黒印状(蝋草買集ニ付)」

1602年(慶長7)9月10日 「結城秀康黒印状(蝋草買集ニ付)」

内田吉左衛門家文書(当館蔵) X0025-00005-001

 結城秀康が蝋燭屋野辺四郎右衛門・同小左衛門に宛てて発行した黒印状です。四郎右衛門と小左衛門が越前国中の蝋燭を買い集めることを許可しています。

秀康の黒印状 その3
「結城秀康黒印状(蝋燭司免許状)」

1602年(慶長7)9月11日 「結城秀康黒印状(蝋燭司免許状)」

内田吉左衛門家文書(当館蔵) X0025-00005-002

結城秀康が蝋燭屋野辺四郎右衛門・同小左衛門に宛てて発行した黒印状です。四郎右衛門と小左衛門を秀吉の時代と同じように越前国中蝋燭司に命じています。

内田家と蝋燭屋のつながり
「質物塩蔵預り証文」

1704年(宝永1)5月6日 「質物塩蔵預り証文」

内田吉左衛門家文書(当館蔵) X0025-02236

「預り支配申金子之事(200両、質物請払ニ付)」

1701年(元禄14)11月8日 「預り支配申金子之事(200両、質物請払ニ付)」

内田吉左衛門家文書(当館蔵) X0025-02234

 内田家は三国松ヶ下町(坂井市三国町)の蝋燭屋理右衛門と関係を持っていました。資料2点は両者の関係を示しています。
 「預り申塩之事」では、鍋屋徳兵衛が内田家から塩を質物として銀を借り受け、その塩は蝋燭屋の蔵で預かっています。蝋燭屋は鍋屋から毎月利子を取り立てていました。
 蝋燭屋は同様の証文を何度も内田家に差し出しましたが、過不足があったため、全ての合計を一紙としたものが「預り支配申金子之事」です。蝋燭屋は保管料として、内田家から毎月金10両につき、銀5分(0.5匁)ずつ受け取る契約となっています。

内田家と丸屋のつながり
「蔵預り一札之事(木布)」

1745年(延享2)閏12月 「蔵預り一札之事(木布)」

内田吉左衛門家文書(当館蔵) X0025-03033

 内田家は福井の商人木屋吉右衛門と関係を持っていましたが、木屋との関係が途絶えた後、福井の商人塩屋善兵衛と丸屋次郎兵衛と関係を持ちました。丸屋は内田家から大きな借金をして倒産を免れたため、内田家に従属していました。
 丸屋は内田家から資金を受けて木布(生布、織ったままでまだ晒していない布)を購入し、蔵で預かっていました。塩屋や丸屋は布を仕入れる買付問屋としての業務を担っていましたが、両者は後に経済的に苦しくなり、内田家との関係を断たれてしまったようです。

内田家と塩屋のつながり
「預り申証文之事(現蝋・平木布・菜種)」

1743年(寛保3)12月 「預り申証文之事(現蝋・平木布・菜種)」

内田吉左衛門家文書(当館蔵) X0025-02246

 内田家と福井の商人塩屋善兵衛との関係を示す資料です。塩屋は内田家に直接指示を受けて商品の売買を担っていました。
 塩屋は内田家の所有する原蝋4駄(144貫=約540キロ)、平木布700反(約34㎝✕700メートル)、菜種2叺(20貫=約37.5キロ)を預かっており、内田家の指図次第で売り払うことを確約しています。この方式では内田家の意図が優先され、塩屋は内田家の商品についての保管料と手数料を得るだけです。そのため、塩屋も内田家と従属関係を持っていたと考えられます。

蝋は直接仕入れたろう
「預り申蝋之事(75貫匁)」

1706年(宝永3)12月26日 「預り申蝋之事(75貫匁)」

内田吉左衛門家文書(当館蔵) X0025-02096

 内田家は他国産の蝋は江戸や大坂で購入し、越前産の蝋は商人を通して購入したり直接生産地から仕入れたりしました。資料は内田家が蝋を産地から直接仕入れていることが分かる資料です。
 内田家が文室村(越前市文室町)の勘左衛門らに銀1貫700匁(現代の価値で約200万円)を貸し付け、その担保として蝋75貫(約281キロ)を差し押さえています。しかし、実際は内田家が蝋を購入して、蔵に預けていたと考えられます。その後、預けられていた蝋は内田家に渡されなかったため、訴訟に発展しています。

布で結ばれた関係
「請取相定申晒布連判証文之事(製造上晒納方ニ付)」
「請取相定申晒布連判証文之事(製造上晒納方ニ付)」
「請取相定申晒布連判証文之事(製造上晒納方ニ付)」

1729年(享保14)3月17日 「請取相定申晒布連判証文之事(製造上晒納方ニ付)」

内田吉左衛門家文書(当館蔵) X0025-02901

 内田家は越前国内の商人と関係を布の集荷を通して持っていました。集荷された布は晒し(布を漂泊すること)に出されていました。資料は荒木村(福井市荒木町)の晒屋と村役人が連印で4商人(矢部(野辺)小左衛門・内田吉左衛門・木津治左衛門・灰谷徳右衛門)から請け負った布を晒す際に発行された証文です。
 内容は預かった布を紛失した場合は布の代金を個人で弁償する、個人で弁償できない場合は連印者や村で弁償する、というものです。また、今後も布の晒しを同じ条件で続けることを約束しています。

ガラスケース内

三都への進出
「三都への進出」

1692年(元禄5)5月~1802年(享和2)7月
「万覚書(-寛政4)」「万覚書(-天保13)」「大福内証牒」
「大福内証覚帳」「内証扣覚帳」「内証[ ]当坐[ ]」「内証覚帳(勘定目録)」

全て内田吉左衛門家文書(当館蔵) X0025-00064、66、 81、82、83、84、104

 内田家は越前国の特産品を販売し、他国産品を購入するために、三都(江戸・大坂・京都)の商人と関係を持っていました。これらの資料には、金融業や商業に関する諸項目が残されており、内田家がどのような取引を行っていたかが読み取れます。
 内田家は三都に出店を持っていませんでしたが、手代(商品の仕入れや販売などについて代理権を認められた使用人)を派遣して経営をゆだねたり、特定の業者と取引を行ったりしました。

朱漆の箱
「朱漆の箱」

年未詳

内田吉左衛門家文書(当館蔵)

 内田家に伝わった資料の中でも、貴重な豊臣秀吉の朱印状や結城秀康の黒印状などの中世の資料を保管していた朱漆の箱です。
 ふたには「御朱印」、箱の裏面に「野辺四郎右衛門」と書かれています。

帳箱
「帳箱」

1766年(明和3)

内田吉左衛門家文書(当館蔵)

内田家に伝えられてきた帳箱です。帳箱とは、帳場(帳簿をつけ、勘定をする所のこと)などに置き、帳簿などの書類を入れておくための箱のことです。

帳箪笥
「帳箪笥」

年未詳

内田吉左衛門家文書(当館蔵)

帳箪笥とは帳面や書類を入れておくための箪笥です。帳場箪笥とも呼ばれます。内田家でも帳場に置かれ、商売に必要な大事なものを仕舞っていたのではないかと思われます。
 帳箪笥は経済力の高い人々が購入し、人目につくような場所に置かれることが多かったそうです。そのため、他の箪笥と比べると装飾や作りにこだわりが見られます。
 帳箪笥に共通する特徴は、盗難防止のために鍵が多く、隠し箱などのからくりが仕込まれている点です。また、見た目も頑丈そうに製作されています。

ポスターとガイドペーパー