今月のアーカイブ Archive of the Month

2016年2・3月 月替展示 『屏風の下張りタイムカプセル』
屏風の下張りに使われた古文書
浅田益作収集文書(当館寄託)
福井市街ではたび重なる大火や水害、空襲・地震によって町の自治や町人の暮らしを知ることのできる資料が驚くほど残されていません。
文書館では20年前に屏風の下張りからまとまって見つかった福井城下「寄合所」の資料をこのたび整理し、公開することになりました。
これらの資料からわかる200年前の人びとの暮らしを紹介します。

会期

平成28年1月29日(金)~4月10日(日) 文書館閲覧室

屏風の下張りと2,000点の資料

屏風の下張りから発見された資料
この資料は1996年(平成8)に坂井市の浅田益作氏が屏風を解体して発見したものです。
屏風の下地には福井城下の寄合所が発信した2,000点(1816年、1818~20年)をこえる文書が使われていました。
下張り資料の特徴として前欠・後欠となった文書が大部分ですが、それまで名称すら知られていなかった福井城下寄合所の19世紀初めの業務と役割について知ることができるまとまった資料です。

寄合所とは

福井城下の「寄合所」は城下11町組の有力町人から選ばれた組頭が運営する町奉行所の下部組織であり、その合議「寄合」が開かれる場でもありました。

組頭の寄合

寄合通知の文書寄合通知の文書
1816年(文化13)
浅田益作文書(当館寄託) C0121-00416
寄合所には福井城下11町組の有力町人から選ばれた組頭が順に月番を勤め、日常業務以外の懸案事項があると寄合が招集されました。
この寄合通知の文書は各組頭の間を順に送られ、受領印を押されて最後に寄合所へ戻されたと考えられます。

「江端御迎」って?

藩主のお出迎えについての文書
1818年(文政元)
浅田益作収集文書(当館寄託) C0121-00410・00415
組頭ら有力町人は参勤交代で江戸から帰国する藩主を城下南の江端村まで出迎えました。これを「江端御迎」といい、準備のための当番「江端輪番」も決められていました。
この時の藩主は松平治好。到着が日没にかかった時のために、各組頭から提灯が一張りずつ用意されていました。

城下寄合所のしごと

寄合所のしごとは町奉行所からの触書や通達の町民への伝達、領内各所へ順送りに運ばれる通知の頻繁な発送、そして実にさまざまな人足の徴用。さらに、株仲間札の配付や冥加金の上納、参勤交代をめぐる儀礼と年中儀礼、緊急的な事態への協議などのために、寄合もたびたび開かれていました。

芝原上水の川浚い

川浚い人足の徴用について
1820年(文政3)
浅田益作収集文書(当館寄託) C0121-01492-1・01706
上質な地下水に恵まれなかった福井城下では九頭竜川中流から引水した芝原上水を飲料水に使っていました。
例年4月初旬に行われる川浚いがこの年はなぜか延期に。藩の上水掛り目付の記録(下記参照)から、嘉千代(将軍家慶の子)の死を悼んでの延期であったことがわかります。

雪かき人足がのべ2万人!

雪かき人足の徴用について
1819年(文政2)
浅田益作収集文書(当館寄託) C0121-01289~01293・01296
1819年(文政2)11月下旬からの大雪で24日には6通の人足徴用の「覚」によって 雪かきに3,400人が徴用され、12月24日までにのべ2万人に達しました。
通常の人足賃金は町の運営経費(町役銀)から支出されたと考えられていますが、こうした非常事態にはどのように対応したのでしょうか。

大火のあと片づけ人足

大火のあと片付け人足徴用について
1818年(文政元)
浅田益作収集文書(当館寄託) C0121-00453
1818年(文政元)7月には城下町方約5,000戸のうち町家1,179戸が焼失する大火があり、 孝顕寺などの菩提寺の片づけに弁当を持って人足のべ175人が出ていました。

御膳雲丹の道具持ち人足

雲丹の道具持ちの人足徴用について
1816年(文化13)・18年(文政元)
浅田益作収集文書(当館寄託) C0121-00426
越前名物として名声のあった塩雲丹。藩主の御膳にのぼり、将軍家や諸大名への贈答にも用いられていました。
毎年6月に漬け込みが行われ、その道具持ちに人足が徴用されています。

突然の「勝山様御泊」で大あわて

勝山藩主の宿泊に関する文書勝山藩主の通行の時に行灯を差し出させる通達
1820年(文政3)
浅田益作収集文書 (当館寄託) C0121-01516~01518
勝山藩主の行列の到着が夜にかかることが予想されたため、道沿いの家いえに行灯を 差し出すよう通達が出されたのですが、到着はさらに遅延。
一行は急に城下に宿泊することになったようです。あわてた寄合所は二手に分けて組頭たちに寄合招集の通知を出しています。

「押込」刑と恩赦

大赦に際して、組頭に該当者を申告させる文書押込の御免を申し渡された文書
1818年(文政元)・19年
浅田益作収集文書(当館寄託) C0121-00421・00922
「押込」は自宅の門戸を閉ざし外出を禁じた刑罰で、申渡しと解除の達書はその刑の性質から寄合所を通して出されていたようです。また、法事やとくにめでたい事があった時には恩赦が行われました。
この「覚」は2万石が藩に加増された際の恩赦を示すものです。

参考資料

藩の上水掛り目付の記録

「上水掛り近例考 中」(松平文庫)
1848年(嘉永元)「上水掛り近例考 中」
松平文庫(福井県立図書館保管) A0143-00457
デジタルアーカイブはこちら
目付に任命された浅井八百里が、用水掛りの目付が置かれた1768年(明和5)以降の用水関連の触書などをまとめたもので、残存する2冊のうちの後半1冊です。

鈴木牧之 『北越雪譜』

鈴木牧之『北越雪譜』
1836~41年(天保7~11)
坪田仁兵衛家文書(当館寄託) C0005-00420~00426
牧之は越後魚沼郡塩沢の縮商で、豪雪地帯の気象・行事・産物・伝説などが巧みな挿絵とともに記されています。

越前雲丹のラベル

越前雲丹のラベル(明治期)
(右)小川利三郎家文書 当館蔵 E0123-00001
デジタルアーカイブの画像はこちら
(左)昭和30年代 当館蔵

行灯

行灯(明治期)
福井県立歴史博物館蔵

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