今月のアーカイブ Archive of the Month

あらためまして松平文庫展

 松平文庫は、福井藩や越前松平家に伝来した古文書・古記録、国書・漢籍など約1万点からなる資料群です。昭和25年に県立図書館が越前松平家より寄託を受け、一般の利用に供してきました。
 このたび、寄託先が記録資料の専門機関である県文書館に変更(移管)されることとなり、それを記念した企画展示を開催します。
 本展示では7つのテーマをもうけ、松平文庫の中から約200点の資料を紹介します。

会期

2019年10月25日(金)~12月18日(水)※終了しました

テーマ一覧

(1)藩政史・幕末史の基礎資料

(2)描かれた資料

(3)越前国の地誌

(4)福井藩の忍者

(5)最後のニホンオオカミ?

(6)文書館での利活用あれこれ

(7)絵図(複製)

(1)藩政史・幕末史の基礎資料

片聾記 全4巻

「片聾記 上編」
松平文庫(文書館保管) 嘉永3年(1850)写 A0143-01342~
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 「片聾記」は、伊藤重将が元文2年(1737)に完成させた編年体の福井藩史
 本資料は、これに加え重将の子・耀忠が書き継いだ後編、著者不詳の三編、合計4冊を横山時矩が手写したものです。
 活字本にない逸話も多く掲載されています。

国事叢記 全16巻(首巻欠)

「国事叢記 一(天正2~元和1)」
松平文庫(文書館保管) 弘化4年(1847) A0143-01184~
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 藩命を受けた田川纓が、天方家伝来の「覚書」と皆川家伝来の「御代規録」の2書を比較検討して編纂した福井藩史(自筆本)。
 編年体の歴史書で、結城秀康が誕生した天正2年(1574)から書き起こし、明和7年(1770)までを扱っています。

越藩史略 全13巻(巻1・2欠)

「越藩史略 三」
松平文庫(文書館保管) 安永10年(1781) A0143-01369~
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 梯翼章が著した漢文・編年体の福井藩史(自筆本)。藩祖・結城秀康が誕生した天正2年(1574)から12代藩主・松平重富の安永10年(1781)1月までを扱っています。
 多くの文献を参照・明示しており、その実証的な姿勢が評価されています。

昨夢紀事 全15巻

「昨夢紀事 一(嘉永6年1~6月)」
松平文庫(文書館保管) 明治9年(1876) A0143-01199~
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 中根雪江が、安政の大獄で処罰された松平春嶽の無実を明らかにするため執筆した歴史書(自筆本)。
 嘉永6~安政5年(1853~58)の春嶽の国事との関わりを豊富な史料を用いて執筆しており、幕末史研究の一級史料と評されています。

続再夢紀事 全22巻

「続再夢紀事 壱 (文久2年8月27日~9月)」
松平文庫(文書館保管) 明治25年(1892) A0143-01229~
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 松平茂昭が春嶽の業績を後世に伝えるため、村田氏寿・佐々木千尋に命じて執筆させた歴史書。対象時期は文久2~慶応3年(1862~67)。
 執筆にあたり参照した書簡や日記類が多く引用されており、史料価値が高く評価されています。

丁卯日記 全2巻

松平文庫(文書館保管) 明治4年(1871) A0143-01253~
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 中根雪江が自身の手記などをもとに編纂した歴史書で、いわゆる「日記」ではありません。慶応3年(1867)10月13日~12月晦日の福井藩の国事との関わりを扱っています。
 近年、暗殺直前の坂本龍馬に関する記載が注目を集めました。

戊辰日記 全5巻

松平文庫(文書館保管) 明治4年(1871) A0143-01255~
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 中根雪江が自身の手記などをもとに編纂した歴史書。慶応4年(1868)正月元日~8月6日の福井藩の国事との関わりを扱っています。
 松平春嶽が、内戦の回避や徳川宗家の存続のために尽力した様子が克明に記されています。

奉答紀事 全3巻

「奉答紀事 上」
松平文庫(文書館保管) 明治9年(1876) A0143-01260~
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 中根雪江が著した松平春嶽の半生記。『昨夢紀事』『再夢紀事』『丁卯日記』『戊辰日記』がどちらかと言えば、国事に関することがらを扱うのに対し、本書は天保9年~明治元年(1838~68)の藩政との関わりを主に扱っています。

(2)描かれた資料

越前三大川沿革図 足羽川之図

「足羽川之図(越前三大川沿革図のうち)」
松平文庫(文書館保管) 明治10年代後半(1882-86) A0143-00459
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 藩政時代、堤防・用水の維持管理のため藩の用水方で作成された図が元になっています。その後に架けられた橋や築かれた堤防などを書き加え、明治10年代後半に本図が作成されました。
 半木半石の九十九橋や常夜灯も描かれています。

越前国浦々ノ図

「越前国浦々ノ図」
松平文庫(文書館保管) 天保期(1830-44)ヵ A0143-21201
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 福井藩領の崎浦(坂井市)から大谷浦(南越前町)までの16か浦を10場面に区分した絵図。外国船の往来を受けて危機感を強めた藩が、海岸防備のために描かせた絵図面とみられています。海底の様子や水深、「大筒台場」の記載が見られます。

日光山御宮之図

「日光山御宮之図」
松平文庫(文書館保管) 宝暦2年(1752) A0143-21502
 寛保3年(1743)8月、福井藩は幕府から日光普請手伝いを命じられます。千人以上の藩士が日光に駐在し、約1年がかりで工事は完了。これを記念して藩は原文哲に東照宮内陣などを写生させ、8年の月日を経て本絵巻が完成しました。

鉄炮十一巻書のうち 目当之絵図

「鉄炮十一巻書のうち 目当之絵図」
松平文庫(文書館保管) 慶長14年(1609) A0143-21171
 稲富流炮術の秘伝書。奥書には、稲富一夢の高弟で砲術「天下一」と称された浅野幸長(和歌山藩主)が、「懇求」に応じて写したとあります。
 狙点の秘伝を示したもので、鳥や獣、虫、人物などの標的が絵師の手によって美しく描かれています。

(3)越前国の地誌

越前国古今名蹟考 全13巻14冊

「越前国古今名蹟考」
松平文庫(文書館保管) 文化12年(1815) A0143-21215
 福井藩士・井上翼章が編纂した越前国の地誌(自筆本)。先行する33種の文献を集大成して自らの考証を加え、地図や風景画など73図を載せています。村・浦・町ごとに石高や領別・寺社・名所・伝承・産物などが記載されています。

古今類聚越前国誌 全7巻4冊

「古今類聚越前国誌」
松平文庫(文書館保管) 文化元年(1804)序 A0143-21213
 丸岡藩主有馬誉純の命で同藩儒者・関龔らが編纂した越前国の地誌。
 先行する国史・歌集・地誌などの文献から関連箇所を抜粋するとともに、新たな記載も加えています。なお、表紙に用いられている料紙は越前和紙に特有の「水玉」です。

(4)福井藩の忍者

組々之由来

「組々之由来」
松平文庫(文書館保管) 明治初期 A0143-01164
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 藩の卒身分(下士)のうち、忍之者を含む諸組・組之者(足軽)の概要を記しています。忍之者は、武具土蔵の管理や参勤交代のお供、義経流兵学や半弓の稽古を職掌としました。慶応2年(1866)に予備組に改組されて、忍之者は消滅します。

慶永公御代給帳

「慶永公御代給帳」
松平文庫(文書館保管) 原本:嘉永5(1852)以降 A0143-01321
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 松平春嶽の時代の藩士名簿。側物頭を務めた小栗治右衛門の配下に忍之者10人と忍之者下役2人の記載があります(小栗は忍之者預りを兼任)。
 こうした名簿では忍之者を含む組之者は人数で把握されるだけで、名前は記されません。

恐悦之部・御出殿之部・文武諸芸之部

「恐悦之部・御出殿之部・文武諸芸之部」
松平文庫(文書館保管) 近世後期 A0143-01057
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 忍之者は忍之者預りと呼ばれる役職の支配下にありました。
 享保19年(1734)当時、この職にあった井原丞助という人物が「忍之者に平岡山(現県立病院付近)で火矢を用いた半弓の稽古をさせたい」と家老まで願い出て、許可されています。

古御軍帳のうち本陣武具弓鉄炮諸色人馬積

「古御軍帳のうち本陣武具弓鉄炮諸色人馬積」
松平文庫(文書館保管) 嘉永5年(1852) A0143-20981
 従軍時に携行する武具や連れ行く人足・馬の数などを、身分や家格に応じて定めた帳面。忍之者は鎧・甲を身に着け、上役は半弓、下役は問矢之小筒(小銃)を携行しました。打鍵や外聞縄、雨松明など忍者特有の道具も含まれています。

越前世譜慶永様御代 嘉永六年癸丑

「越前世譜 慶永様御代(16上)」
松平文庫(文書館保管) 幕末期 A0143-01956
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 嘉永6年(1853)ペリー艦隊来航、6月9日には江戸湾に侵入。これを受けて江戸から福井に早飛脚が送られ、「御国海岸御備一番手」の江戸出府が命じられます。この総勢270名余の中に忍之者2人と下役1人が含まれていました。

(5)最後のニホンオオカミ?

松平康荘 肖像写真

「松平康荘 肖像写真」
松平文庫(文書館保管) 明治期 A0143-02533
 康荘は最後の藩主・茂昭の子。17歳で陸軍修行のためドイツに留学しましたが、後にイギリスに移り、英国王立農学校に入学します。農学と農業実践を学んだ康荘は、帰国後、福井に戻って松平試農場を創立することになります。

松平試農場一覧

「松平試農場一覧」
松平文庫(文書館保管) 明治後期 A0143-02528
 松平康荘は、明治26年(1893)に福井県の農事改善を目指し、福井城址に松平試農場を創立しました。本丸から東三の丸一帯に農業試験のための農地が設けられ、特に柿や梨などの果樹栽培を中心とした研究が行われました。

雑日記 明治43年

「雑日記 明治43年」
松平文庫(文書館保管) 明治43年(1910) A0143-21632
 試農場の雑事を綴った日記。試農場に入り込んだオオカミを、助手と研究生ほか5人がかりで捕殺した記事が載っています。
 「巨大ナル豺(オオカミ)」は体量が5貫目(18.75キログラム)あったといい、捕殺当日に写真撮影したとの記載も見えます。

オオカミ写真

「オオカミ写真」
松平文庫(文書館保管) 明治43年(1910) A0143-02540
 捕殺当日に撮影された写真。オオカミの死骸は首の辺りを棒で支えられています。
ニホンオオカミの骨や毛皮、剥製は各地に伝わりますが、写真は1枚もありません。
 これが二ホンオオカミだとすれば、唯一の写真ということになります。

松平試農場全景写真

「松平試農場全景写真」
松平文庫(文書館保管) 明治期 A0143-02523
 松平試農場の三の丸付近を撮影した写真で、4棟の建物は左から温室、事務所、園芸伝習所、寄宿舎。手前には蔬菜園と果樹園が広がり、鬱蒼とした場内の様子が見て取れます。オオカミは右端の寄宿舎付近で捕殺されました。

松平試農場地図

「松平試農場地図」
松平文庫(文書館保管) 原図:明治42年(1909)A0143-02611
 本図が作成された明治42年(1909)時点で松平試農場の耕地面積は13,888坪(東京ドーム約1個分)もの広さがありました。このうち果樹園が75%を占めており、オオカミが逃げ込むには格好の場所だったといえます。

(6)文書館での利活用あれこれ

士族 全7冊(第三冊欠)

「士族一(イ、ハ、ニ)」
松平文庫(文書館保管) 嘉永4年(1851) A0143-00485~
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 福井藩士約2700家は士分(上士・中士)と卒(下士)に大別されます。本資料は士分802名の現役当主について、明治5年(1872)に至る履歴を記したものです。
 給与・改名・家格・役職・出張・賞罰の変遷が細字で詳細に記されています。

剥札 全2冊

「剥札 上」
松平文庫(文書館保管) A0143-00469~
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 士分886家の歴代当主の履歴を記したもので、短冊状の札が貼られています。この札は、もとは「士族」およびそれに類似する帳面にあったもので、隠居や死去によって現役ではなくなった当主の札が剥がされてこの帳面に移されました。

子弟輩 全3冊

「子弟輩 八(イハニホトチヲワカヨタツ子ナムウ)」
松平文庫(文書館保管) A0143-01095~
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 幕末期、新たに召し出された藩士の子弟303名の人事履歴。
 長崎・横浜に留学した者、長州戦争や戊辰戦争に従軍した者が多く含まれます。米国留学中に客死した日下部太郎(八木八十八)や戦死した者は「子弟輩剥札」に収録されています。

新番格以下 全7冊

「新番格以下 一(イハニホヘト)」
松平文庫(文書館保管) A0143-01009~
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 士分(上士・中士)と卒(下士)に大別される藩士のうち、上・中級卒約470家の履歴を載せた帳面です。「新番格」は士分の最下級の格式にあたるため、本資料は正しくは「新番格より下」の格式(小役人・一統目見席・小算・坊主・下代)を扱っています。

越前世譜 茂昭様御代 全20冊

「越前世譜 茂昭様御代 上(1)」
松平文庫(文書館保管) A0143-01973~
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 福井藩の世譜方によって編纂された公的な歴史書で、歴代藩主の事績を編年体で記載したものです。本資料は最後の藩主・松平茂昭が家督を相続した安政5年(1858)から大きな藩制改革が行われた明治2年(1869)までを扱っています。

御側向頭取御用日記 全16冊

「御側向頭取御用日記(1)」
松平文庫(文書館保管) A0143-01973~
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 安政6~慶応4年(1859~68)の松平春嶽の側近(側向頭取)による公用日記。起床時刻や体調、登城等の時刻や装束、食事場所や行事の饗応、来訪者とその接遇、手紙の発着や贈答など、春嶽の日常の詳細が記録されています。

御書翰 / 御来翰 全22/20冊

「御書翰 一」
「御来翰 一」
松平文庫(文書館保管) A0143-00556~、A0143-00578~
デジタルアーカイブはこちら(御書翰)
デジタルアーカイブはこちら(御来翰)
 松平春嶽が文久3年(1863)10月~慶応3年(1867)8月の期間、大名や幕臣、公家などに出した手紙(御書翰)、彼らから春嶽が受けた手紙(御来翰)を写し取ってまとめたものです。彼らは互いに雅号や戯号、通称で手紙を送りあいました。

(7)絵図(複製)

御城下之図(複製)

「[御城下之図]」
松平文庫(原本:文書館保管)明治14年(1881) A0143-21342
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 福井城下が近代都市に変貌し始めていた明治14年(1881)、旧藩士・寺島知義が往時をしのび、色彩豊かに描いた絵図。幾重にも廻らされた堀の水色や足羽山・平岡山の木々の緑色、足羽川左岸の桃園の桃色が目に鮮やかに映ります。

御天守絵図(複製)

「御天守絵図」
松平文庫(原本:文書館保管) 寛文9年(1669)以前 A0143-21361
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 結城秀康が築いた北庄城天守を描いた絵図。四重五階で天守台を含めた高さは約37mもありました。寛文9年(1669)に焼失し、その後は再建されていません。
 北庄の地名は寛永元年(1624)に福居庄と改められ、後に福井となりました。

越前丸岡城図(複製)

「越前丸岡城図」
松平文庫(原本:文書館保管) A043-21453
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 丸岡城の城郭部分を描いた絵図。現在は丘陵部分を残し、全て埋め立てられてしまった五角形の内堀が描かれており、石垣の長さや堀幅などを詳しく記している点に特色があります。内堀の最大幅(南東部分)は約92mもありました。

粟田部・不老・大滝・岩本・新在家・定友絵図(複製)

「[粟田部不老大滝岩本新在家定友絵図]」
松平文庫(原本:文書館保管) 弘化2年(1845) A0143-21284
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 粟田部村と和紙産地・五箇の村々を絵画的に描いた絵図。
 色による村の区分がなされ、建物や山の様子が詳しく描写されています。道や水路が直交しているのは古代条里制の名残りです。薄墨桜や王子池など継体天皇ゆかりの地も見えます。

御座所絵図(複製)

「御座所御絵図」
松平文庫(原本:文書館保管) 弘化4年(1847) A0143-21379
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 松平春嶽の御座所(中央公園・福井神社・順化小学校付近)。空間が色で区分されており、黄色は表(公務空間)、青色は中奥(藩主の政務+日常空間)、緑色は奥(藩主や妻子らの住居空間)を表します。
 この後、御座所は東三の丸に新築移転されました。

御泉水指図(複製)

「御泉水指図」
松平文庫(原本:文書館保管) 文政6年(1823) A0143-21386
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 幕末の御泉水屋敷(現養浩館庭園)を描いた図。同屋敷は明治17年(1884)に松平春嶽によって「養浩館」と名付けられました。
 昭和20年(1945)に福井空襲で焼失しましたが、本図をもとに復原が進められ、平成5年(1993)に完成しました。

府中惣絵図(複製)

「府中惣絵図」
松平文庫(原本:文書館保管) A0143-21360
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 享保10年(1725)頃の府中(武生)の町を描いた図。
 府中は大身の福井藩士・本多家の居館が置かれた町で、南北を貫く北陸道と脇道に面して町人屋敷(白色)が置かれ、東側は侍屋敷(赤色)、西側は寺社地(水色)に分かれていました。

越前国之図(複製)

「越前国之図」
松平文庫(原本:文書館保管) 貞享2年(1685) A0143-21182
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 江戸時代前期の越前を描いた国絵図。村々を示す図形は藩領・幕府領の違い、色は郡域の違いを表します。
 寺社や山・池・森などが詳細に描かれている点に特長があります。この時、越前国68万石のうち47.5万が福井藩領(御領)でした。

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      第4木曜日