Fukui Prefectural Archives

資料速報展

Mini Exhibition

概 要展示内容LINK

朱(あか)と黒(くろ)-秀吉も認めた豪商のあかし-

 2018年(平成30)3月、越前の豪商であった内田吉左衛門家に伝わる貴重な資料が約60数年ぶりに福井県へ里帰りしました。この速報展では、その中から豊臣秀吉の朱印状と結城秀康の黒印状を紹介します。

会 期

2018年(平成30)4月24日(火)~5月27日(日) ※終了しました

会 場

福井県文書館閲覧室

展示内容

内田吉左衛門家とは?

 内田吉左衛門は今立郡岩本村(越前市岩本町)に本拠を構え、江戸時代を通じて五箇の紙や越前各地の特産物を手広く扱い金融活動も盛んに行っていた有力商人です。
 内田家に残された膨大な資料は岩本村や五箇全体の紙漉業、越前国産の布・蝋・漆・菜種・煙草・薬などを中心とした商業活動に関わるものがほとんどです。これらの資料は江戸時代の商業活動を研究する上で非常に貴重なものです。

豊臣秀吉の朱印状
「豊臣秀吉朱印状(越前国中蝋燭司を野辺四郎右衛門尉へ免許)」

「豊臣秀吉朱印状(越前国中蝋燭司を野辺四郎右衛門尉へ免許)」

内田吉左衛門家文書(当館蔵) X0025-00015 1585年(天正13)閏8月14日

 豊臣(羽柴)秀吉が木村隼人佐に発行した朱印状です。朱印状とは花押の代わりに朱印を押して発行した文書のことです。隼人佐は秀吉の家臣の一人で、当時は若狭国三方郡(美浜町・若狭町)から越前国府中(越前市)に移ってきていたようです。
 この中で今立郡岩本(越前市岩本町)の野辺四郎右衛門尉が秀吉から越前国中蝋燭司を命じられています。そのため、四郎右衛門尉は越前国中から蝋燭を独占的に買い集めることができました。後に、野辺家の持っていた特権を初代内田吉左衛門が譲り受けました。

結城秀康の黒印状
「結城秀康黒印状(鳥子役ニ付夫役免許状)」

「結城秀康黒印状(鳥子役ニ付夫役免許状)」

内田吉左衛門家文書(当館蔵) X0025-00020 1602年(慶長7)9月10日

 結城秀康が鳥子屋才衛門に発行した黒印状です。黒印状とは墨を用いた印判を押した文書のことです。
 この中で秀康は才衛門に鳥子役を申し付けており、その代わりに諸役を免除しています。今立郡五箇(越前市岡本地区)の地は、鳥子紙や奉書紙といった高級紙の産地として有名であり、歴代領主による保護と統制を受けてきました。
 この黒印状は鳥子紙が用いられ、約410年を経過しているにもかかわらず、保存状態がよく、虫食いもほぼありません。「紙の王様」とよばれる鳥子紙の高い品質を感じます。

ガラスケース内

内田家の屋敷
「内田家住居間取図」

「内田家住居間取図」

内田吉左衛門家文書(当館蔵) X0025-00299 年未詳

 今立郡岩本村(越前市岩本町)にあった内田家の屋敷の絵図です。絵図の端に内田善四郎の名前と印があります。この絵図の縮尺は「右図曲尺以五分為壱間」とあるため、五分(約1.5㎝)=一間(約1.8m)となり、約1/120となります。
 この絵図の中に「酒蔵」がたくさんあることから、内田家は酒造も行っていたことが分かります。 他には「土蔵」「味噌(みそ)蔵」「水車場」「臼(うす)場」「前庭」などがあります。
 越前の豪商がどんな家に住んでいたのかがよく分かる資料です。

朱漆の箱
「朱漆の箱」

内田吉左衛門家文書(当館蔵) 年未詳

 内田家に伝わった資料の中でも、特に貴重な中世の資料を保管していた朱漆の箱です。ふたには「御朱印」、箱の裏面に「野辺(やべ)四郎右衛門」と書かれています。展示している豊臣秀吉の朱印状と結城秀康の黒印状はこの箱に収められていました。

帳箱
「帳箱」

内田吉左衛門家文書(当館蔵) 1766年(明和3)

 内田家に伝えられてきた帳箱です。 帳箱とは帳場(帳簿をつけ、勘定をする所のこと)などに置き、帳簿などの書類を入れておくための箱のことです。このような道具も長年にわたり内田家の商業活動を支えていたものです。